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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

どなたでも強い味方の朗報は、『夏バテ完全攻略法』・・!?

2009-08-06 17:12:07 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
暑さに苦手な私は、この時節の午後のひととき、居間のクーラーの冷気の中で、
簡易ベットに横たわりながら、本を読んだり、昼寝をしてしまうことが多い。

先程、昼寝から目覚めて、パソコンを開き、偶然に見たのであるが、
【goo家庭の医学から癒しの健康までサポート】の中で、
ヘルスケアとして、【夏バテ完全攻略法】が掲載されて折、
遅ればせながらぼんやりと見たのである。

《・・
夏バテがおこるメカニズムを解明!

夏になって暑くなると、「なんとなくだるい」、「食欲が無くなる」、「無気力」と感じる人も多いのでは?
夏バテは、はっきりとした痛みや日常生活に差し障るような重大な症状を伴わないことが多いため、
とくに対策をたてないまま、涼しくなるのをぼんやり待ってしまいがちですね。

でも毎日の生活をちょっと工夫するだけで、
あのだるい夏バテは防げるものなのです。
暑い夏を元気に過ごすために、夏バテの原因とメカニズムを知って、
しっかり予防しましょう。
・・》

このように優しく表示され、私は思わず微笑んだのである。
そして、この下段には、

『 夏バテ解消テクニック 』
『夏のコンディションづくり』
『タイプ別夏バテ対策』
『夏の健康まめちしき』
『 夏バテに負けないレシピ』    

このような項目別に具体的に優しく明示されていたので、
これだったならばならば、暑さが感じられる秋のお彼岸の9月下旬の初めまで、
園児からご高齢者の方の何よりの強い味方かしら、と私は思いながら、
微笑みながら、読んだりしたのである・・。


http://health.goo.ne.jp/special/summer/index.html

そして、ネットの世界は、
ときにはこのような優しい提示は、10年前には考えられなかったことであり、
齢を重ね体力の衰えた私は、さりげなく甘受しているのである。




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私は早朝のひととき、西の空に向かい、黙祷・・。

2009-08-06 07:55:58 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
洗面した後、玄関庭に下り立ち、西の空に向かい黙祷したのは早朝の5時過ぎであった。

西の空の彼方の広島であり、その後は長崎も思いを重ねて、黙祷したのである。

かの大戦の終末時、アメリカは広島に8月6日午前8時15分に人類史上初めて原子爆弾が投下され、
少なくとも15万人の人が即死した。
そして、長崎は8月9日午前11時2分に投下され、8万人以上の人が即死した。
このことは勝利の国から歴史をどのように描いても、厳然たる事実である。

私は昭和19年9月に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
敗戦時の8月15日からは、ほぼ一年前になるが、
沖縄戦が事実上集結した6月23日の『沖縄慰霊の日』と同様なの心情で、
余りにも過酷で悲惨な8月6日の『広島被爆』、9日の『長崎被爆』は、
早朝に黙祷をし、多くの亡くなわれた人の尊い命の冥福を祈っている。


私が広島に初めて訪れたのは、二年前である。
このことは、2007年11月下旬に『宮島・萩・津和野』の周遊観光で
最初に広島市内の平和記念公園内の『平和記念資料館』を観た時の心情である。
時間の制約で、無念ながら一時間半ばかりであった。

【・・
(略)

私は高校時代で広島、長崎、そして沖縄の敗戦前後を学んで以来、
この地には気軽に観光する心情ができず、
50歳の手前で沖縄、今年の春に長崎、そして今回は広島は初めてとなっている。

『平和祈念資料館』で私は恥ずかしながら、
齢ばかり重ねて知らない事が多過ぎることを告白する。
たとえば、
【なぜ広島に投下したか?】のコーナーに於いて、

アメリカは、投下目標を原爆の効果を正確に測定出来るよう、
直径3マイル(約4.8キロ・メートル)以上の市街地を持つ都市の中から、
投下目標を選び、その都市への空襲を禁止した。
その結果、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかへ投下命令を下した。

ここまでは私なりのつたない知識で知っていたが、

広島を第一目標としたのは、
目標都市の中で唯一、連合国軍の捕虜収容所がないと思っていた、
と明示されていた・・。


この後、資料館を出た後は、記念公園の樹木を眺めていた。
公孫樹(イチョウ)の黄色い葉が、風もないのに空を舞い、ハラハラと地上に落下していた。

私は敗戦前の一年前に東京の郊外で生を受けた身であるが、
歴史の事実の前には、ときおり身震いさせられることがある。

先程、拝見した資料館の展示の前、私なりに心の動揺で、
かすかに身震いをしたのであった。

・・】


そして今年の1月の下旬に、初めて『長崎原爆資料館』を訪れた。
この時は長崎、雲仙の旅の中のひとつであったが、
私なりの心情が素直に綴られているので、再掲載をする。

【・・
(略)

『長崎』、『雲仙』よかとこ滞在記 ~歴史のかたみの中で~  ④
    第4章 『長崎原爆資料館』を訪ねて


『長崎歴史文化博物館』を訪ねた後、
私は市電の浜口町駅を下車した後、坂道を登りながら、『長崎原爆資料館』にたどり着いたのである。

私は昭和19年9月に東京郊外の調布市で、
農家の三男坊として生を受けた身である。
そて、かの世界第二次大戦のひとつである太平洋戦争については、
学校の教科書はもとより、映画を観たり、小説、随筆、歴史書を読んだり、
或いは戦地に行き、帰還された親戚の叔父さん、
近所の小父さん達からも教えて頂いた・・。

このような私は二十歳過ぎた頃からは、
沖縄の過酷な地上戦が事実上終った日の『沖縄慰霊の日』となる6月23日,
『広島』の8月6日,そして『長崎』の8月9日に原子爆弾が投下された日、
敗戦となった8月15日には、黙祷したりしている。

そして、私は日本人のひとりとして、
沖縄には本土の防波堤のように犠牲になった人、
広島、長崎には被爆され亡くなった人、
少なくともこのような人々には鎮魂の思いが心の底にある。

このような心情の私は、この沖縄、広島、長崎の地には、
軽々しく観光気分では訪れるのを長らく避けてきたのである。
50代になり、初めて沖縄を訪れ、広島、長崎はここ2年前であったりしたのである。


長崎にある『原爆資料館』は、今回初めて訪れた・・。

http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/peace/


展示品の中で、原爆投下までの時系列となった表を読んだりした。
この表を読みながら、私は無知であったことを恥ずかしく思いながら、
ノートに転記したのである。

《・・
1945年5月31日
原爆投下に関する諸問題を検討する為K『暫定委員会』で、
投下に際して、日本に事前の警告を行わないことに合意。

6月11日
フランク委員会の報告で、
戦後世界における核軍備競争の恐れを危惧。

7月16日
ニュー・メキシコのアラモゴート砂漠で、人類初の原爆実験成功。

7月17日
ポツダム会議はじまる。
シラード、大統領宛ての要請書の中で、
日本に対する原爆の無警告使用に反対し、大量殺戮兵器使用の倫理的責任を強調。
69人の科学者がこれを署名。

7月24日
トルーマン大統領、ソ連のスターリンに《新兵器開発》を告げる。

7月25日
トルーマン大統領、原爆投下指令を承認。

8月6日
広島市に原爆投下。

8月6日
トルーマン大統領、ポツダム会談の報告り中で、
『何万何千ものの米国青年の生命を救う為に原爆を使用して』と述べた。

・・》


こうした内容の中で、特に無知であったのは、
《・・
7月17日
シラード、大統領宛ての要請書の中で、
日本に対する原爆の無警告使用に反対し、大量殺戮兵器使用の倫理的責任を強調。
69人の科学者がこれを署名。
・・》
であった。

私は国際間に影響をもたらす国家になれば成る程、
国益に基づいて、怜悧な政策と戦略を実行するのは知っていたつもりであるが、
改めて学んだのである。


この後の私は、この館が発行した『長崎原爆資料館 学習ハンドブック』を読んだりし、
質疑応答のような文書を心の中で呟きながら、読んだのである。

《・・

なぜ長崎に落とされたの?


空襲の被害をあまり受けていなかったこと(原爆の威力を調べるのに都合がいい)、
造船所や製鋼所、兵器製作所などの工場が集まっていたことなどが
理由として考えられます。



日本に落とそうとした理由は?


アメリカが日本に原爆の投下を決定した理由として、
多くの開発費や労力を投入して完成させた原爆を実際に使用し、威力を調べたかったという説、
戦争が長引いて日本上陸作戦を行うと、多数のアメリカ軍の兵が犠牲になるので、
早く日本を降伏させるために使用したという説、
ソ連に対する戦争後の立場を優位にするために使用したという説などがあります。

・・》


こうしたことは私は歴史書などで学んできたつもりであるが、
このようなことを若い小中学の生徒が読んだ時、どのような思いで感じるか、
或いはアメリカの少年・少女が知った時、どのように感じるか、
このように思いを馳せたりすると、
私は胸が熱くなったのである・・。

・・】


このよう思いを重ねて、投稿していたが、
私は二十歳以来、西の空に向かい、無力ながら黙祷している。





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