夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『秋分の日』お墓参り、この後は数か所で買い物して・・。

2023-09-23 16:00:40 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、

古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

毎年、『秋分の日』のこの日は、
私たち夫婦は私の生家の実家となっている長兄宅に行き、
仏壇に安置されている位牌にお線香を捧げた後、
長兄夫婦と他愛ない話をした後、お墓参りに行っているのが、恒例のようになっている。




今朝、雨上がりの9時半過ぎに、私たち夫婦は兄宅で、
兄夫婦、そして兄の息子夫婦と一時間ばかり歓談した後、
やがて自宅に戻ったりした。

まもなくお墓参り行く為に、小田急線の狛江駅の近くにある
寺院に向かった・・。

私はお墓参りは、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
両親、祖父、親族、祖先のお陰で、私がこうして生きていられるので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

このように、『春分の日』、『お盆の日』、『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをしている。



     
   
こうした中、私たちは私を育ててくれた祖父、父、母、次兄などが

永眠しているお墓の墓石を水で清め、
駅前で買い求めた生前の母が好きだったお花を奉(ささげ)、お米を備えた。
そして、お線香を奉げた。

お線香の紫煙が立ち昇る中、祖先はもとより、祖父、父、母、次兄などから、

改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。





こうした思いを重ねたりした後、毎年ながら母のおもかげがよぎっていった。

私の場合は、父が私の小学校の2年の時に病死され、
その1年を過ぎた後、まもなく祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。

こうした確かな記憶の片隅から、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、
表情、言葉づかいが想いだされる・・。

そして生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。
            
まもなく曇り空の中、お線香の煙が芳香を残して、
ゆったりと、立ち昇りながら消えていった・・。



やがて寺を辞した後、狛江の駅前より路線バスで調布の駅前に行き、買物をした後、
家内は靴を買い求めたい、と私に言ったりして、
まもなく新宿の京王デパートに行き、長年愛用している『ヨシノヤ』で購入して、
2時半過ぎに帰宅した。

しかしながら、数か所で買い物して、私は疲れ果てて、
こうしてブログの投稿文を書いて、平素の投稿時より遅れてしまった、
と微苦笑したりしている。
 
コメント
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