夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高齢者世帯の所得「312万6,000円」、77歳の年金生活の私は学び、やむなく微苦笑して・・。

2021-12-03 13:08:09 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフー・ジャパンより配信されたニュースの中で、
『 単身高齢者の「平均所得12万円」…「毎月赤字」悲惨な現在地 』、
と題された見出し記事の中で、
『 高齢者世帯の所得「312万6,000円」に何思う 』フレーズに誘惑されて、
記事を読んだりした・・。

私は東京の調布市に住む年金生活の77歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。



私は、東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉秋、
満二十歳となり、まもなく大学2年の時に中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画、その後に文学青年の真似事をしたが、やがて敗退した。
                  
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
 あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、
困苦することも多かったが、卒業した。
        
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
 私はこの新設されたレコード会社に転籍させられたりした。

 こうした中で、制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を
20年近く配属されたり、経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                   
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年から各社がリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
 定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。




このように私のつたない35年近いサラリーマン時代となり、
もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。

このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったした中、
この当時は大企業も盛んにリストラが実施されていた。

こうした中で、私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまい、
その直後から年金生活を始めた・・。

このようなつたない人生航路を歩んだ私は、たまたま高齢者世帯の所得「312万6,000円」、
と学び、どのような内訳なのかしら、と思いながら、
記事を精読してしまった。

この記事は幻冬舎の公式サイトのひとつの【幻冬舎ゴールドオンライン】に於いて、
12月3日に配信されて、無断ながら記事を転載させて頂く。


《・・「下流老人」、「老後破産」・・・なんとも辛い言葉が多くなった昨今。
老後に必要なお金、貯められていますか? 
厚生労働省『国民生活基礎調査の概況』(2019年)より、高齢者世帯の支出について見ていきます。

☆高齢者世帯の所得「312万6,000円」に何思う



☆自助努力の末の「資産形成」…投資信託などが人気だが

GGO編集部 ・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 
 
 

今回、最近の高齢者世帯の所得「312万6,000円」、
そして70歳以上では、1世帯当たりの所得平均394万6,000円、
77歳の年金生活の私は学び、やむなく微苦笑してしまった・・。

私が定年退職後のセカンドライフについて、家内と話し合ったのは、
最後の5年のリストラ烈風の中、私は出向となったのは55歳の時であった。

もとより老後の資金の予定額も必要で、経済にも疎(うと)い私は、
信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。

そしてデフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。

そして定年後に、年金生活を始めた時、
古ぼけた一軒屋を、新たに新築すれば相当な大金を要すると思い、
老後の資金に余裕がなくなり、私たち夫婦の趣味の国内旅行費などに制約されると思い、断念した。

そして定年退職時の2年前に、少しリーフォームをして、500万円前後で整備した程度となった。



こうした中、我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ17年ばかり過ごしてきた・・。

こうした中、私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
『 働らなくても、何とか生活ができるので助かるわ・・』、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりする。

『 そうだよねぇ・・』
私は苦笑しながら応じたりしている。



このように私は、裕福層と無縁な年金生活を過ごしているが、
私は敬愛しているチャップリンの遺(のこ)された言葉のひとつに、
《 人生には三つのものがあればいい。希望と勇気とサムマネー。 》
という名言があり、人生の確かな格言ですねぇ、と程ほどの貯金しかない私でも、
信愛しているひとりである。

そして『生きがい』を最優先とし、次に『健康』、そして程ほどの『お金』と思いながら、
年金生活18年目を過ぎている。
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