夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

松田聖子さん、あの日は一睡もせず沙也加さんに寄り添った、77歳の私は学び、涙を浮かべて・・。

2021-12-25 14:56:01 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフー・ジャパンより配信されたニュースの中で、
『 松田聖子 あの日は一睡もせず沙也加さんに寄り添った
 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の住んでいる年金生活の77歳の身であるが、
過ぎし18日、神田沙也加さんが宿泊先で急逝したことは、
テレビのニュースで知り、動顛したりした・・。

私は過ぎし現役サラリーマン時代は、たまたまレコード会社に35年近く勤め、
松田聖子さんがソニーより私の勤めた会社に移籍されて、
この当時の私は、制作に直接関係のない管理畑に勤めいたが、
偶然に松田聖子さんにお逢いして、しぐさ、言葉遣いに瞬時に魅了されたりした。

たった一度だけだったが、数多くの歌い手を見かけてきた中で、
たぐいまれなスターであり、謙虚さもあり、私なりに好感してきた歌い手である。



このような心情のある私は、今回の記事を読んでしまった・・。
この記事は、【 スポニチアネックス 】に於いて、25日に配信され、
無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
神田沙也加さん(享年35)が18日に急逝して、1週間になる。





私は山桜を見かけると、 私が若き34歳の時、
自営業をしていた次兄が、資金繰りが破綻して、
突然に自室で睡眠薬を多量に飲み、自裁した・・。

この当時の私は、新築した家で住宅ローン返済で苦慮していた時期で、
次兄から私を資金に関しては無力と感じとられて、
結果的には私としては何の役にも立てずにいたことに、つらい日々を過ごしたりした。

私はこの山桜に心を託して、山桜の咲く時になると、次兄の言葉、しぐさを思い浮かべたりし、
何かとお世話になった次兄を思い馳せたりし、43年過ぎている。

          


私は何よりも困苦したのは、次兄が自裁された後、
私の母親は、殆ど毎日のように次兄のお墓に通われたことであった・・。

やはり母にしてみれば、自分のお腹を痛めて生んだ我が子が、
親の私より先に逝くことは、想像もできず、混とんとした心痛な思いで、
過ごされた・・・。

時が過ぎ・・やがて
死後満一年めの祥月命日に、
一周忌の法要を終えた後、母は平常心に戻った・・と私は感じたりした。

このような私のつらい思いもあったりして、何よりも私は母の動揺したしぐさを
私なりに見てきたので、今回の松田聖子さんの《・・あの日は一睡もせず沙也加さんに寄り添った・・》、
私は痛いほど理解でき、涙を浮かべたりした・・。
コメント (4)
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