夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

交響曲第9番に隠された“呪い”とは・・?、遅ればせながら私は学び、多々教示されて・・。

2021-12-16 12:47:11 | 喜寿の頃からの思い
先程、ヤフー・ジャパンより配信されたニュースの中で、
『 交響曲第9番に隠された“呪い”とは・・?
     【12月16日はベートーヴェンの誕生日】』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の77歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。



こうした中で、私は音楽の楽譜も読めなく、楽器も弾けない身であるが、
ときおり音楽を聴くことは好きなひとりである。

いつの日にか、私がこの世とサヨナラした葬儀の時は、
家族葬で私が愛聴している曲を流してほしい、と願ったりしている。



親族の一部の最小限のメンバーで通夜、告別式を執り行って、家族葬の形式と念願している。

ここ10年、式場の内部が、自宅の居間のような形で、片側に御棺を置き、
広いテーブルで食事やお酒を飲食できる会場もあると知り、私は微笑んだりした。

通夜の日、御棺の周りは私は幼年期は農家の児として育ち、
日本風土の土に還るので和花を中核として、欧米の書物、映画、音楽も少し愛してきたので、洋花も添える。
この時、和花が高価だったならば、洋花を中心としても差し支えない。
            
大きめのテープルには、食事処から取り寄せた和食、洋食を食べて頂き、
煎茶、コーヒー、紅茶などを飲んだり、ウィスキー、ワイン、日本酒、ビールなど吞んで頂いたり、
私の生前のこぼれ話しをテーマに、談笑して頂く・・。

人は誰しも故人の心の奥に秘めた心は解らないが、とりとめなく話して、
あの時は・・と笑って下されば充分である。

こうした中で、音楽が静かに流れれば、と念願したりしている。

選定する曲としては、今、瞬時に思い浮ぶ曲としては、
唱歌の『ふるさと』、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 第8番 『悲愴』、
交響曲第9番の第三楽章、アルビノーニのアダージョ、ショパンの練習曲作品10-3 『別れの曲』・・
この5曲ぐらいは・・と思ったりしている。

翌日の告別式は、このメンバーで自宅の居間のような形の式場に集合し、お線香一本を上げてもらい、
この後は火葬場に行き、ふたたびこの式場で、
お好みの飲み物を吞みながら、食事をして談笑して頂いた後、散会する・・。



このように私の葬儀の中で、たまたまベートーヴェンの交響曲第9番の第三楽章もあり、
今回、《 交響曲第9番に隠された“呪い”とは・・? 》、
どのようなことなの・・と思いながら記事を読んでしまった。

この記事は、経済ジャーナリストの大川洋三さんの寄稿文であり、
初めて知る公式サイトの【
マネー・トリビア】に於いて、12月16日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。

《・・
年末の一大行事となっているベートーヴェンの「交響曲第9番」の演奏と合唱。

そのベートーヴェンの誕生日には、12月15日、16日、17日の3説がある。
ただ、17日に洗礼を受けていることから、前日の12月16日を誕生日とする説が有力だ。


☆これを聴かないと正月を迎えられない人も多い、ベートーヴェンの「交響曲第9番」

何はともあれ、第4楽章の合唱。
まずバリトンの歌手が立ち上がり、「ああ友よ。このような音楽ではない」と歌いだす場面では、
感情の高まりを禁じ得ない人も多いはずだ。

さらに「もっと心地よく喜びに満ちたメロディーを歌おう!」、
「歓喜だ!(フロイデ!)」に続いて『歓喜の歌』が始まる。
いつ聴いても心が揺さぶられる冒頭部分だ。

筆者も10年ほど前に、年末に第九を合唱する機会があるから参加しないかと、知人から誘われた。
残念ながら所用もあり断ったが、今は後悔しきりだ。
あの歓喜の歌を、声を限りに歌えば、どれほどリフレッシュされることか――!

年齢を重ねると、筋トレ、脳トレが推奨されるのが常だが、声トレも必要だとする専門家は多い。
その観点からも歓喜の歌の合唱は、シニア層には意義のある機会だろう。


この『歓喜の歌』のメロディーは、クリスマスソングとともに、
日本の年末の音楽風物詩として定着している。

第二次世界大戦後の1947(昭和22)年に、
日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が年末に3日連続の第九コンサートを実施し、
絶賛を博したことが発端だ。

特に第4楽章で、演奏する人、歌う人、聴く人が一体となって、
『歓喜の歌』に続き、友愛や勇気をたたえる絶唱に酔いしれるひとときは、
新しい年への期待にもつながる。



ところが、この年末の第九の演奏は、
日本よりも早く第一次世界大戦後の1918年にドイツで始まっている。

平和を希求する声が高まる中で、ドイツのライプツィヒで年末の演奏として初めて実施され、
その後も引き続き名門オーケストラのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が演奏を継続している。

しかし、この音楽界の人類遺産ともいうべき第九には、あるジンクスがしばらく存在した。

ベートーヴェンが「交響曲第10番」の作曲に取り組む最中に世を去ったことが端緒だ。
ドヴォルザークも、「交響曲第9番」の『新世界より』を完成した後に天国へ召され、
ブルックナーも「交響曲第9番」を作曲中に他界する。

マーラーは、このジンクスを相当に恐れたようで、8番を作曲した後、
番号のない交響曲『大地の歌』を発表したほどだ。
安心したのか、その後第9番を作曲したが、第10番を作曲中に永眠している。



☆苦悩の中で楽聖とまで崇められる先駆的な作曲活動

ドイツのボンで生まれたベートーヴェンは、
宮廷のテノール歌手だった父親に3歳の時から音楽教育を強いられたこともあり、
7歳にして早くも演奏会を開くほどに、才能を開花させた。

一方、父親は課題の曲を弾き通せるまで、
食事もさせずに、部屋に閉じ込めるなど偏狭なところがあり、
ついにはアルコール依存症となって職を失い、子供たちにも当たり散らすようになる。

こんな家庭環境が、ベートーヴェンの人格形成に暗い影を落とす。
気難しい性格で、時には物を投げつけるなど癇癪の性癖を持つようになり、
近所とのトラブルも絶えなく、転居を繰り返したとされる。

音楽の面では、モーツァルトの前で演奏をしたり、ハイドンに師事したのちに、
20代前半にはウィーンを拠点に卓越したピアノ奏者として活躍する。

25歳の1795年には「ピアノ協奏曲第1番」を作曲し自らが独奏、
30歳の1800年には「交響曲第1番」を作曲・演奏するなど作曲家としての道を歩み始める。

ただ、20代後半から耳の不調が始まり、
30歳を過ぎると、日常生活にも支障が出るようになる。

前途を悲観して、32歳の時には、世をはかなみ遺書をしたためることもあった。

しかし、苦悩する日々の中で、
やがて音楽を通して生きていく自信と意欲に目覚め、新たな歩みを始める。

その後は約10年間にわたり、次々と後世にまで称賛される傑作を生み出す。
「交響曲第3番」(英雄)、オペラの「フィデリオ」、「ヴァイオリン協奏曲」などを世に出し、
さらに1807年から1808年にかけては「交響曲第5番」(運命)と
「交響曲第6番」(田園)を相次いで発表する。

翌年の1809年には、「ピアノ協奏曲第5番」(皇帝)を公表するなど、
不朽の傑作を次々と創作する。

なお、ベートーヴェンは、さまざまなジャンルの創作に取り組んだが、
常に先鋭的な作品を創作し、ロマン派への扉を開いたことなどから、“楽聖”と称される。

とりわけ、1824年作曲の「交響曲第9番」では、多様な新機軸が打ち出された。
交響曲に初めて合唱と声楽ソリストを取り込み、
軍楽隊だけが使用するのが常だった大太鼓やシンバル、ピッコロ等の楽器も使用するなど
革新的な手法を用いた。



☆経済面での不遇の中、音楽家の地位向上にも先導的な役割

1814年に友人のブルンスヴィック伯爵に宛てた手紙で、
演奏会への参加を呼びかけつつも、こうした演奏会の開催で、
貧乏から抜け出すべく努力していることを吐露している。

あわせて、約束された年金が、まだ一文も手元に届いていないことを嘆いている。

17、8世紀のヨーロッパでは、芸術家や科学者あるいは哲学者に
国王などが年金を与えるのが一般化していた。

デカルトやアダム・スミスなども恩恵に浴した。
ベートーヴェンが華々しく活躍する19世紀になると、
貴族たちも芸術家を自分の街にとどまらせるために、年金を与えるようになる。

ベートーヴェンがウィーンにとどまることを条件に、
3人の貴族が現在価値で400万円相当の年金を出すことを、1809年に約束する。

しかしその後、そのうちの1人が落馬して死亡したことにより、
支払いが延び延びになってしまう。

上記の手紙は、5年たっても約束の年金を手にできない辛さを書きつづったものだ。

しかしその後、貴族などに仕える従来からの音楽家の生活様式から、
貴族らと対等に契約を交わし、経済的に自立する作曲家を仲間とともに目指す。
こうした点でも音楽の世界に変革をもたらした作曲家といえる。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 
 
 

今回、経済ジャーナリストの大川洋三さんの寄稿文に導かれて、
ベートーヴェンの秘められた概要を、私は遅ればせながら、多々教示されたりした・・。

こうしたベートーヴェンの秘められた苦悩の多い人生の中で、
ともすれば美しい旋律を奏でる曲も数多く創作され、
時代を超えても、多くの人々に感動と感銘・・まさに芸術家の偉業のひとつだ、
敬意を重ねて、思い馳せたりしている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする