第3章 深浦海岸から青森市、そして竜飛崎
5月27日
『黄金崎 不老ふ死温泉』の観光ホテルに別れを告げ、
私達は送迎バスで五能線のウェスパ椿山駅に向った時、
道路際には芽吹きが終わり新緑に染まり、中には早くも若葉となった落葉樹の中、
ときおり八重桜(ヤエザクラ)が観られ、私はこの地にも春到来を感じ、和(なご)んだりした。
10時35分発の『リゾートしらかみ』で青森駅に向ったが、
深浦駅を過ぎた後の海岸の幾重かの奇岩が美麗な状景を観せたり、
陸奥高田駅の頃からは、田植えの終えた田んぼ、或いはリンゴの果樹園が広がり、
そして彼方に里山の光景となっていた。
この後、弘前駅を停車したが、やはり地方の街の雄であることを感じたりした後、
青森駅の終点に近づくと、やはり地方都市の状景となったりした。
午後1時32分に到着した後、
青森駅の午後3時44分発の電車で津軽半島の海沿いの蟹田(かにた)、
そして終点の三厩(みんやま)津軽腺に乗るまで、
市外の港に繋留されている青函連絡船だった『八甲田丸』に寄った。
私はたった一度だけ1962(昭和37)年に北海道に修学旅行の時、
上野駅発の夜行列車に乗り、翌朝に青森港から青函連絡船に乗り、
函館が観えた時、やっと北海道に来た、と感動を受けた思いもあったりした。
こうした想いも重ねたり、船内の実物の数々を拝見したり、
或いは展示された明治の頃からの変貌に新たに青函連絡船の歴史を学んだりした。
http://www7.ocn.ne.jp/~hakkouda/hakoindex.html
☆青函連絡船メモリアルシップ『八甲田丸』ホームページ☆
遅い昼食をコーヒー・ショップでサンドイッチの軽食した後、
青森駅の午後3時44分発の津軽腺で津軽半島の海沿いの蟹田駅に向ったが、
車中は高校生などの下校時の生徒が多く、
私達は隣席した婦人、高齢の漁師の方と談笑をしたりした。
そして、蟹田、これら向う三厩(みんやま)の戦後の時代のうつろいを学び、
東京首都圏はゆるやかに中産階級は崩壊しつつ、
地方の街は時の景気に大波、小波で翻弄されることが私の感じてきた昨今の思いが、
好悪に関わらず実情であることが認識させられたのである。
終点の三厩駅に午後5時10分に下車し、
路線バスで竜飛岬の漁港前まで乗車したが、竜飛岬近づくたびに、
どんよりとした曇り空、そして夜のとばりがまもなく迎える頃も重なり、
住居の殆どはつつましく最果ての集落と感じ、わびしい心情になったりした。
いずれにしても私達は、この地の竜飛崎温泉の観光ホテル『ホテル竜飛』に3日間宿泊し、
周辺を散策する。
このような思いでぼんやりとしていると、
ホテルの送迎用の乗用車が近づいてきた・・。
そして、私達は『ホテル竜飛』の3階の中央部にある部屋に通され、
洋上が正面に、彼方に北海道・・と戸惑いながらも明確に観え、
左側には竜飛漁港、そして帯島の美景となっていた。
http://www.hoteltappi.co.jp/
☆『ホテル竜飛』ホームページ ☆
《つづく》
5月27日
『黄金崎 不老ふ死温泉』の観光ホテルに別れを告げ、
私達は送迎バスで五能線のウェスパ椿山駅に向った時、
道路際には芽吹きが終わり新緑に染まり、中には早くも若葉となった落葉樹の中、
ときおり八重桜(ヤエザクラ)が観られ、私はこの地にも春到来を感じ、和(なご)んだりした。
10時35分発の『リゾートしらかみ』で青森駅に向ったが、
深浦駅を過ぎた後の海岸の幾重かの奇岩が美麗な状景を観せたり、
陸奥高田駅の頃からは、田植えの終えた田んぼ、或いはリンゴの果樹園が広がり、
そして彼方に里山の光景となっていた。
この後、弘前駅を停車したが、やはり地方の街の雄であることを感じたりした後、
青森駅の終点に近づくと、やはり地方都市の状景となったりした。
午後1時32分に到着した後、
青森駅の午後3時44分発の電車で津軽半島の海沿いの蟹田(かにた)、
そして終点の三厩(みんやま)津軽腺に乗るまで、
市外の港に繋留されている青函連絡船だった『八甲田丸』に寄った。
私はたった一度だけ1962(昭和37)年に北海道に修学旅行の時、
上野駅発の夜行列車に乗り、翌朝に青森港から青函連絡船に乗り、
函館が観えた時、やっと北海道に来た、と感動を受けた思いもあったりした。
こうした想いも重ねたり、船内の実物の数々を拝見したり、
或いは展示された明治の頃からの変貌に新たに青函連絡船の歴史を学んだりした。
http://www7.ocn.ne.jp/~hakkouda/hakoindex.html
☆青函連絡船メモリアルシップ『八甲田丸』ホームページ☆
遅い昼食をコーヒー・ショップでサンドイッチの軽食した後、
青森駅の午後3時44分発の津軽腺で津軽半島の海沿いの蟹田駅に向ったが、
車中は高校生などの下校時の生徒が多く、
私達は隣席した婦人、高齢の漁師の方と談笑をしたりした。
そして、蟹田、これら向う三厩(みんやま)の戦後の時代のうつろいを学び、
東京首都圏はゆるやかに中産階級は崩壊しつつ、
地方の街は時の景気に大波、小波で翻弄されることが私の感じてきた昨今の思いが、
好悪に関わらず実情であることが認識させられたのである。
終点の三厩駅に午後5時10分に下車し、
路線バスで竜飛岬の漁港前まで乗車したが、竜飛岬近づくたびに、
どんよりとした曇り空、そして夜のとばりがまもなく迎える頃も重なり、
住居の殆どはつつましく最果ての集落と感じ、わびしい心情になったりした。
いずれにしても私達は、この地の竜飛崎温泉の観光ホテル『ホテル竜飛』に3日間宿泊し、
周辺を散策する。
このような思いでぼんやりとしていると、
ホテルの送迎用の乗用車が近づいてきた・・。
そして、私達は『ホテル竜飛』の3階の中央部にある部屋に通され、
洋上が正面に、彼方に北海道・・と戸惑いながらも明確に観え、
左側には竜飛漁港、そして帯島の美景となっていた。
http://www.hoteltappi.co.jp/
☆『ホテル竜飛』ホームページ ☆
《つづく》
