第7章 阿寒湖の湖畔
家内達は、観光船でマリモ展示観察センター観たりするが、
私は興味がないので、湖畔周辺を散策することにした。
知床の『自然センター』から周辺を独りで散策したが、
熊と万一に出会いそうになった時は、
♪イヨマンテ
燃えろ かがり火
【『イヨマンテ(熊祭)の夜』 作詞・菊田一夫 】
歌手の伊藤久男のように朗々と唄えないが、
今回の旅行前から『イヨマンテ(熊祭)の夜』の歌を少しばかり練習をしていた。
今回も熊避(よ)けには、鈴などより余程効果があると信じている。
観光船乗り場の脇道から遊歩道があると聞いていたので、歩き始めた・・。
湖畔沿いの小道は、エゾマツ、トドマツ、ダテカンバ、ナナカマドの針広混生樹林の中を少し間引いて、
遊歩道として『湖畔コース』と名づけられていた。
湖畔に目を転じると、阿寒湖の情景が観え、
快晴の中、遠方に遊覧船が見えたりした。
広葉樹林は、紅色、黄色に染められて錦繍となり、
湖面の陽射しが差し込み、葉の一枚が枝から舞いながら水面に落ち、
微かな水紋でゆらいでいる・・。
この遊歩道をゆっくり歩きながら、
ときおりデジカメで風景を切り取り、15分過ぎたと思われるが、
私のほかは人影を見かけない。
その後、ご年配の独りの女性と会い、互いに黙礼をしながら、すれ違った。
硫黄ガスが感じられると『ボッケ』と称された泥火山が、
ボコボコと泥を跳ね除けて生きている火山の実感を見せていた。
湖畔の桟橋に下り立つと、
湖面の彼方に雄大な雄阿寒岳の雄姿が見られた。
振り返ると湖面に小島が観え、
針葉樹の中、広葉樹が秋たけなわの色合いに染められていた。
『森の小道』を目指して歩いたが、
近日の強風の為に倒木があったので通行止めとなって折、
やむ得ず『エコ・ミュージアム・センター』に向かった。
このE.M.C.に近づくと木道となり、湿原となっていた。
樹木に影を見たと思ったら、エゾリスが枝に移り去って行った。
・・
第8章 阿寒湖の夜は、アイヌ古式舞踊
街に戻り、遅い昼食をアイヌ村にある『喫茶ポロンノ』に行った。
夜の9時過ぎに『アイヌ古式舞踊』を観るための下調べを兼ね、
アイヌ料理に興味があったので出かけた次第である。
この店内は、アイヌのお土産売り場も兼ねているが、
鹿のサイコロ・ステーキ、キトピロという行者ニンニクの醤油漬けで
クラシック・ビールで頂いた。
鹿肉、行者ニンニクは、以前食べたことがあるが、
こうした風味は初めてであったが、美味しく頂けた。
家内達は、アイヌ特有の食べ物を食べたり、
飲み物も特有な品を注文したりした。
ホテルに一端戻った後、寒くなった夜空の8時半過ぎに、アイヌ村に出かけた。
円形の会場は、哀切帯びた『ムックリ』という民族楽器の音色が響き、
それに伴ない民族の唄が聴こえてきた。
舞踊する中核には、篝(かがり)火が燃え上がり続け、
周囲は黒土一色となっていた。
6曲前後の舞踊が披露された後、最終曲は我々観衆も踊りに加わり、
『踊り比べ』という曲の演奏に揃って、輪踊りをした。
その後、長老が記念写真のサービスをして下さり、
私は家内達を促(うなが)して、長老を囲んだ記念撮影を数枚写したりした。
帰路、この村でアイヌ工芸品を購入し、ホテルに戻った。
第9章 ときには、ご年配のお方と立ち話
22日の日曜日、家内達はホテルの館内でゆっくりしたいと言うので、
私は昨日の魅了させられた湖畔の小道を散策した。
日曜日の為か、人と行き交うのが多かった。
昨日見かけたご年配のご婦人と会い、ご婦人が私に話しかけてきた・・。
旭川市に生まれ、女学校を出て、疎開でこの阿寒湖に来た時、
この地の人にみそめられ、嫁いできたが、長年議員をしてきた。
10年前頃、辞職してから急にボケてしまい、
今や孫達に馬鹿にされている、と明るく話されていた。
85歳の身のお方であるが、毎日この道を散策している、とのこと。
『ご健在・・何よりですよ・・』
と私は言いながら、別れた。
ボッケ付近に日当たりの良い処に、
ひとりのご年配のご婦人が座っていたが、
私を見かけると話しかけてきた・・。
軽い糖尿病があるので、毎日歩いているの、と言った。
そして息子4人と娘が近くにいるので、食事は毎日持ってきてくれるが、
自由に生きたいので、独り住まいをしている。
好きな時間に起きて、食べたい時は自分でも作れるし、
寝たくなったら、時間に関係なく眠ってしまうの、
だから私は幸せよ、と私に微笑んだ。
89歳のお方である。
私は偶然にご年配のご婦人のお二人から、
人生の生き字引を頂いた。
私は62歳の身であるが、
常日頃こうしたお方達から謙虚にお話を教示させて頂き、
人生の玉手箱を学んでいる。
街中に出た後、ヒメマスかワカサギで昼食しょうとし、
食事処を探した。
一軒の蕎麦屋に入り、ヒメマスの塩焼きでクラシック・ビールでほめた。
『評判通り・・確かな味でした・・』
と店を出る時に私は奥方に言った。
この蕎麦屋は、暖簾に郷土料理と蕎麦と綴られて折、
『奈辺久』と読めた。
第10章 日本の原風景に触れて
23日(月)は旅の最終日となり、JALライナーのバスで、
阿寒湖のホテルを出て、釧路湿原の北斗展望台で湿原を一望し、
その後に温根内周辺の湿原の木道を2時間前後散策する。
この時、NPO法人の『釧路湿原やちの会』のガイドさんに案内、解説をして下さる。
その後、釧路の駅前で昼食とし、釧路空港となる周遊コースである。
温根内は環境省の管理下で良く整備されている所だった。
バスを下車すると、我々の20名のグループは、
ガイドさんの指示でふた手に別れた。
私達のグループは、40代後半の女性のガイドさんの案内で、
樹林の中ゆるい下り道を歩くと、湿原の中に木道が観えた。
あたり一帯は葦(よし)の枯れた中、木道を歩いていたら、
微風が吹くと、葦の穂はいっせいに首を傾げたようになり、風は通り過ぎていった・・。
『風情ある情景だね・・』
と私は家内に軽口をたたいた。
家内は笑い、ガイドさんも微笑んでいた・・。
ガイドさんは、葦の穂を指して、
昔は葦(アシ)と呼ばれていた頃もあったが、
あしきこと・・悪き事・・なので、
葦(ヨシ)・・好し・・の方となった。
こうした解説は、私にとっては心の最良の薬となり、
ガイドさんの発露するセンスの好さの言葉に魅了された。
葦の一帯の下草が枯れて、朱色、黄色、薄緑色に染められて、
草紅葉となったいた。
そして、この葦の一帯に、落葉を終えた榛の木(ハンノキ)が所々に観られた。
その昔、本州に於いても開墾前はこのような状況で、
たまたま温暖な本州の一部で開墾がすすめられ、水田になったり、
やがて田畑になったりした。
この釧路あたりは余りの寒さで長い歳月放置された結果、
こうした残った・・・。
とガイドさんは教示してくれた。
こうした解説を聴くと、私は目をこらし、日本の原風景を観た・・。
長い歳月・・縄文の頃かしら・・或いは・・と
日本のたどってきた風土に思いを馳せた・・。
私は釧路湿原のこうした原風景に魅了された。
帰路、ゆるい昇り坂の脇に、
朱色の実を数多くつけた野生の果樹が柔らかな陽射しのあびて、
ひっそりとしていた。
『何気なく・・ありますが・・情感を秘めた樹ですね・・』
と私はガイドさんに言った。
『マユミ・・という樹です・・』
とガイドさんは微笑んで言った。
この後は、釧路市の街中にある『和商市場』の30数店舗のある海鮮即売店で、
単品で少量のお惣菜コーナーがあり、自在に選択でき『勝手丼』と称されて折、
中央のテーブルで賞味できる創意工夫された食事処となっている。
私達3人は絶賛しながら、秋の味覚を堪能し、
釧路空港に向かったりしたのである。
《つづく》
家内達は、観光船でマリモ展示観察センター観たりするが、
私は興味がないので、湖畔周辺を散策することにした。
知床の『自然センター』から周辺を独りで散策したが、
熊と万一に出会いそうになった時は、
♪イヨマンテ
燃えろ かがり火
【『イヨマンテ(熊祭)の夜』 作詞・菊田一夫 】
歌手の伊藤久男のように朗々と唄えないが、
今回の旅行前から『イヨマンテ(熊祭)の夜』の歌を少しばかり練習をしていた。
今回も熊避(よ)けには、鈴などより余程効果があると信じている。
観光船乗り場の脇道から遊歩道があると聞いていたので、歩き始めた・・。
湖畔沿いの小道は、エゾマツ、トドマツ、ダテカンバ、ナナカマドの針広混生樹林の中を少し間引いて、
遊歩道として『湖畔コース』と名づけられていた。
湖畔に目を転じると、阿寒湖の情景が観え、
快晴の中、遠方に遊覧船が見えたりした。
広葉樹林は、紅色、黄色に染められて錦繍となり、
湖面の陽射しが差し込み、葉の一枚が枝から舞いながら水面に落ち、
微かな水紋でゆらいでいる・・。
この遊歩道をゆっくり歩きながら、
ときおりデジカメで風景を切り取り、15分過ぎたと思われるが、
私のほかは人影を見かけない。
その後、ご年配の独りの女性と会い、互いに黙礼をしながら、すれ違った。
硫黄ガスが感じられると『ボッケ』と称された泥火山が、
ボコボコと泥を跳ね除けて生きている火山の実感を見せていた。
湖畔の桟橋に下り立つと、
湖面の彼方に雄大な雄阿寒岳の雄姿が見られた。
振り返ると湖面に小島が観え、
針葉樹の中、広葉樹が秋たけなわの色合いに染められていた。
『森の小道』を目指して歩いたが、
近日の強風の為に倒木があったので通行止めとなって折、
やむ得ず『エコ・ミュージアム・センター』に向かった。
このE.M.C.に近づくと木道となり、湿原となっていた。
樹木に影を見たと思ったら、エゾリスが枝に移り去って行った。
・・
第8章 阿寒湖の夜は、アイヌ古式舞踊
街に戻り、遅い昼食をアイヌ村にある『喫茶ポロンノ』に行った。
夜の9時過ぎに『アイヌ古式舞踊』を観るための下調べを兼ね、
アイヌ料理に興味があったので出かけた次第である。
この店内は、アイヌのお土産売り場も兼ねているが、
鹿のサイコロ・ステーキ、キトピロという行者ニンニクの醤油漬けで
クラシック・ビールで頂いた。
鹿肉、行者ニンニクは、以前食べたことがあるが、
こうした風味は初めてであったが、美味しく頂けた。
家内達は、アイヌ特有の食べ物を食べたり、
飲み物も特有な品を注文したりした。
ホテルに一端戻った後、寒くなった夜空の8時半過ぎに、アイヌ村に出かけた。
円形の会場は、哀切帯びた『ムックリ』という民族楽器の音色が響き、
それに伴ない民族の唄が聴こえてきた。
舞踊する中核には、篝(かがり)火が燃え上がり続け、
周囲は黒土一色となっていた。
6曲前後の舞踊が披露された後、最終曲は我々観衆も踊りに加わり、
『踊り比べ』という曲の演奏に揃って、輪踊りをした。
その後、長老が記念写真のサービスをして下さり、
私は家内達を促(うなが)して、長老を囲んだ記念撮影を数枚写したりした。
帰路、この村でアイヌ工芸品を購入し、ホテルに戻った。
第9章 ときには、ご年配のお方と立ち話
22日の日曜日、家内達はホテルの館内でゆっくりしたいと言うので、
私は昨日の魅了させられた湖畔の小道を散策した。
日曜日の為か、人と行き交うのが多かった。
昨日見かけたご年配のご婦人と会い、ご婦人が私に話しかけてきた・・。
旭川市に生まれ、女学校を出て、疎開でこの阿寒湖に来た時、
この地の人にみそめられ、嫁いできたが、長年議員をしてきた。
10年前頃、辞職してから急にボケてしまい、
今や孫達に馬鹿にされている、と明るく話されていた。
85歳の身のお方であるが、毎日この道を散策している、とのこと。
『ご健在・・何よりですよ・・』
と私は言いながら、別れた。
ボッケ付近に日当たりの良い処に、
ひとりのご年配のご婦人が座っていたが、
私を見かけると話しかけてきた・・。
軽い糖尿病があるので、毎日歩いているの、と言った。
そして息子4人と娘が近くにいるので、食事は毎日持ってきてくれるが、
自由に生きたいので、独り住まいをしている。
好きな時間に起きて、食べたい時は自分でも作れるし、
寝たくなったら、時間に関係なく眠ってしまうの、
だから私は幸せよ、と私に微笑んだ。
89歳のお方である。
私は偶然にご年配のご婦人のお二人から、
人生の生き字引を頂いた。
私は62歳の身であるが、
常日頃こうしたお方達から謙虚にお話を教示させて頂き、
人生の玉手箱を学んでいる。
街中に出た後、ヒメマスかワカサギで昼食しょうとし、
食事処を探した。
一軒の蕎麦屋に入り、ヒメマスの塩焼きでクラシック・ビールでほめた。
『評判通り・・確かな味でした・・』
と店を出る時に私は奥方に言った。
この蕎麦屋は、暖簾に郷土料理と蕎麦と綴られて折、
『奈辺久』と読めた。
第10章 日本の原風景に触れて
23日(月)は旅の最終日となり、JALライナーのバスで、
阿寒湖のホテルを出て、釧路湿原の北斗展望台で湿原を一望し、
その後に温根内周辺の湿原の木道を2時間前後散策する。
この時、NPO法人の『釧路湿原やちの会』のガイドさんに案内、解説をして下さる。
その後、釧路の駅前で昼食とし、釧路空港となる周遊コースである。
温根内は環境省の管理下で良く整備されている所だった。
バスを下車すると、我々の20名のグループは、
ガイドさんの指示でふた手に別れた。
私達のグループは、40代後半の女性のガイドさんの案内で、
樹林の中ゆるい下り道を歩くと、湿原の中に木道が観えた。
あたり一帯は葦(よし)の枯れた中、木道を歩いていたら、
微風が吹くと、葦の穂はいっせいに首を傾げたようになり、風は通り過ぎていった・・。
『風情ある情景だね・・』
と私は家内に軽口をたたいた。
家内は笑い、ガイドさんも微笑んでいた・・。
ガイドさんは、葦の穂を指して、
昔は葦(アシ)と呼ばれていた頃もあったが、
あしきこと・・悪き事・・なので、
葦(ヨシ)・・好し・・の方となった。
こうした解説は、私にとっては心の最良の薬となり、
ガイドさんの発露するセンスの好さの言葉に魅了された。
葦の一帯の下草が枯れて、朱色、黄色、薄緑色に染められて、
草紅葉となったいた。
そして、この葦の一帯に、落葉を終えた榛の木(ハンノキ)が所々に観られた。
その昔、本州に於いても開墾前はこのような状況で、
たまたま温暖な本州の一部で開墾がすすめられ、水田になったり、
やがて田畑になったりした。
この釧路あたりは余りの寒さで長い歳月放置された結果、
こうした残った・・・。
とガイドさんは教示してくれた。
こうした解説を聴くと、私は目をこらし、日本の原風景を観た・・。
長い歳月・・縄文の頃かしら・・或いは・・と
日本のたどってきた風土に思いを馳せた・・。
私は釧路湿原のこうした原風景に魅了された。
帰路、ゆるい昇り坂の脇に、
朱色の実を数多くつけた野生の果樹が柔らかな陽射しのあびて、
ひっそりとしていた。
『何気なく・・ありますが・・情感を秘めた樹ですね・・』
と私はガイドさんに言った。
『マユミ・・という樹です・・』
とガイドさんは微笑んで言った。
この後は、釧路市の街中にある『和商市場』の30数店舗のある海鮮即売店で、
単品で少量のお惣菜コーナーがあり、自在に選択でき『勝手丼』と称されて折、
中央のテーブルで賞味できる創意工夫された食事処となっている。
私達3人は絶賛しながら、秋の味覚を堪能し、
釧路空港に向かったりしたのである。
《つづく》