夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私なりの錦繍の想いで・・♪  ⑤

2008-09-02 20:12:33 | 定年後の思い
 第7章  阿寒湖の湖畔

家内達は、観光船でマリモ展示観察センター観たりするが、
私は興味がないので、湖畔周辺を散策することにした。

知床の『自然センター』から周辺を独りで散策したが、
熊と万一に出会いそうになった時は、


♪イヨマンテ
 燃えろ かがり火

【『イヨマンテ(熊祭)の夜』 作詞・菊田一夫 】

歌手の伊藤久男のように朗々と唄えないが、
今回の旅行前から『イヨマンテ(熊祭)の夜』の歌を少しばかり練習をしていた。

今回も熊避(よ)けには、鈴などより余程効果があると信じている。

観光船乗り場の脇道から遊歩道があると聞いていたので、歩き始めた・・。

湖畔沿いの小道は、エゾマツ、トドマツ、ダテカンバ、ナナカマドの針広混生樹林の中を少し間引いて、
遊歩道として『湖畔コース』と名づけられていた。

湖畔に目を転じると、阿寒湖の情景が観え、
快晴の中、遠方に遊覧船が見えたりした。

広葉樹林は、紅色、黄色に染められて錦繍となり、
湖面の陽射しが差し込み、葉の一枚が枝から舞いながら水面に落ち、
微かな水紋でゆらいでいる・・。

この遊歩道をゆっくり歩きながら、
ときおりデジカメで風景を切り取り、15分過ぎたと思われるが、
私のほかは人影を見かけない。

その後、ご年配の独りの女性と会い、互いに黙礼をしながら、すれ違った。

硫黄ガスが感じられると『ボッケ』と称された泥火山が、
ボコボコと泥を跳ね除けて生きている火山の実感を見せていた。

湖畔の桟橋に下り立つと、
湖面の彼方に雄大な雄阿寒岳の雄姿が見られた。

振り返ると湖面に小島が観え、
針葉樹の中、広葉樹が秋たけなわの色合いに染められていた。

『森の小道』を目指して歩いたが、
近日の強風の為に倒木があったので通行止めとなって折、
やむ得ず『エコ・ミュージアム・センター』に向かった。

このE.M.C.に近づくと木道となり、湿原となっていた。
樹木に影を見たと思ったら、エゾリスが枝に移り去って行った。

・・

   第8章  阿寒湖の夜は、アイヌ古式舞踊

街に戻り、遅い昼食をアイヌ村にある『喫茶ポロンノ』に行った。

夜の9時過ぎに『アイヌ古式舞踊』を観るための下調べを兼ね、
アイヌ料理に興味があったので出かけた次第である。

この店内は、アイヌのお土産売り場も兼ねているが、
鹿のサイコロ・ステーキ、キトピロという行者ニンニクの醤油漬けで
クラシック・ビールで頂いた。
鹿肉、行者ニンニクは、以前食べたことがあるが、
こうした風味は初めてであったが、美味しく頂けた。
家内達は、アイヌ特有の食べ物を食べたり、
飲み物も特有な品を注文したりした。

ホテルに一端戻った後、寒くなった夜空の8時半過ぎに、アイヌ村に出かけた。

円形の会場は、哀切帯びた『ムックリ』という民族楽器の音色が響き、
それに伴ない民族の唄が聴こえてきた。

舞踊する中核には、篝(かがり)火が燃え上がり続け、
周囲は黒土一色となっていた。

6曲前後の舞踊が披露された後、最終曲は我々観衆も踊りに加わり、
『踊り比べ』という曲の演奏に揃って、輪踊りをした。

その後、長老が記念写真のサービスをして下さり、
私は家内達を促(うなが)して、長老を囲んだ記念撮影を数枚写したりした。

帰路、この村でアイヌ工芸品を購入し、ホテルに戻った。



   第9章 ときには、ご年配のお方と立ち話

22日の日曜日、家内達はホテルの館内でゆっくりしたいと言うので、
私は昨日の魅了させられた湖畔の小道を散策した。

日曜日の為か、人と行き交うのが多かった。
昨日見かけたご年配のご婦人と会い、ご婦人が私に話しかけてきた・・。

旭川市に生まれ、女学校を出て、疎開でこの阿寒湖に来た時、
この地の人にみそめられ、嫁いできたが、長年議員をしてきた。
10年前頃、辞職してから急にボケてしまい、
今や孫達に馬鹿にされている、と明るく話されていた。

85歳の身のお方であるが、毎日この道を散策している、とのこと。

『ご健在・・何よりですよ・・』
と私は言いながら、別れた。


ボッケ付近に日当たりの良い処に、
ひとりのご年配のご婦人が座っていたが、
私を見かけると話しかけてきた・・。

軽い糖尿病があるので、毎日歩いているの、と言った。
そして息子4人と娘が近くにいるので、食事は毎日持ってきてくれるが、
自由に生きたいので、独り住まいをしている。

好きな時間に起きて、食べたい時は自分でも作れるし、
寝たくなったら、時間に関係なく眠ってしまうの、
だから私は幸せよ、と私に微笑んだ。
89歳のお方である。

私は偶然にご年配のご婦人のお二人から、
人生の生き字引を頂いた。

私は62歳の身であるが、
常日頃こうしたお方達から謙虚にお話を教示させて頂き、
人生の玉手箱を学んでいる。

街中に出た後、ヒメマスかワカサギで昼食しょうとし、
食事処を探した。

一軒の蕎麦屋に入り、ヒメマスの塩焼きでクラシック・ビールでほめた。

『評判通り・・確かな味でした・・』
と店を出る時に私は奥方に言った。

この蕎麦屋は、暖簾に郷土料理と蕎麦と綴られて折、
『奈辺久』と読めた。



   第10章  日本の原風景に触れて

23日(月)は旅の最終日となり、JALライナーのバスで、
阿寒湖のホテルを出て、釧路湿原の北斗展望台で湿原を一望し、
その後に温根内周辺の湿原の木道を2時間前後散策する。

この時、NPO法人の『釧路湿原やちの会』のガイドさんに案内、解説をして下さる。

その後、釧路の駅前で昼食とし、釧路空港となる周遊コースである。

温根内は環境省の管理下で良く整備されている所だった。
バスを下車すると、我々の20名のグループは、
ガイドさんの指示でふた手に別れた。

私達のグループは、40代後半の女性のガイドさんの案内で、
樹林の中ゆるい下り道を歩くと、湿原の中に木道が観えた。

あたり一帯は葦(よし)の枯れた中、木道を歩いていたら、
微風が吹くと、葦の穂はいっせいに首を傾げたようになり、風は通り過ぎていった・・。

『風情ある情景だね・・』
と私は家内に軽口をたたいた。
家内は笑い、ガイドさんも微笑んでいた・・。

ガイドさんは、葦の穂を指して、
昔は葦(アシ)と呼ばれていた頃もあったが、
あしきこと・・悪き事・・なので、
葦(ヨシ)・・好し・・の方となった。

こうした解説は、私にとっては心の最良の薬となり、
ガイドさんの発露するセンスの好さの言葉に魅了された。

葦の一帯の下草が枯れて、朱色、黄色、薄緑色に染められて、
草紅葉となったいた。

そして、この葦の一帯に、落葉を終えた榛の木(ハンノキ)が所々に観られた。

その昔、本州に於いても開墾前はこのような状況で、
たまたま温暖な本州の一部で開墾がすすめられ、水田になったり、
やがて田畑になったりした。
この釧路あたりは余りの寒さで長い歳月放置された結果、
こうした残った・・・。

とガイドさんは教示してくれた。

こうした解説を聴くと、私は目をこらし、日本の原風景を観た・・。

長い歳月・・縄文の頃かしら・・或いは・・と
日本のたどってきた風土に思いを馳せた・・。

私は釧路湿原のこうした原風景に魅了された。

帰路、ゆるい昇り坂の脇に、
朱色の実を数多くつけた野生の果樹が柔らかな陽射しのあびて、
ひっそりとしていた。

『何気なく・・ありますが・・情感を秘めた樹ですね・・』
と私はガイドさんに言った。

『マユミ・・という樹です・・』
とガイドさんは微笑んで言った。




この後は、釧路市の街中にある『和商市場』の30数店舗のある海鮮即売店で、
単品で少量のお惣菜コーナーがあり、自在に選択でき『勝手丼』と称されて折、
中央のテーブルで賞味できる創意工夫された食事処となっている。

私達3人は絶賛しながら、秋の味覚を堪能し、
釧路空港に向かったりしたのである。


             《つづく》


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私なりの錦繍の想いで・・♪  ④

2008-09-02 20:07:22 | 定年後の思い
翌年、2006年(平成18年)の10月中旬、
家内の母の要望で、私達は北海道に7泊八日で道央、道東を周遊した。

この時も、周遊先でめぐり逢えた錦繍の情景が深く残っている・・。

あるブログ・サイトに【高齢者と初めての北海道旅行】と題して、
投稿した中の一部を掲載する。

尚、錦繍にめぐり逢えた時ばかりは、
絵葉書を見たように情感が乏しいので、この前後の心象も掲載する。



   序章  元気なうちに北海道

家内の母が、家内に
『元気なうちに・・北海道に行って見たいわ・・』
の一言で今回の旅行となった。

私を含めて3人で温泉滞在旅行は、たびたび出かけているが、
家内の母は76歳の高齢者の身であり、初めて飛行機に乗るので果たして・・
と思ったりしている。

詳細のコースは、過日『高齢者、初めての北海道観光・・♪』に掲載している。


旅の途中、知床のウトロに連泊、阿寒湖で三連泊で休息を設定しているが、
この間に私は周辺を散策する予定である。

私が独りで散策するが、熊と出会った時は、お互いにびっくりして、
互いに尻尾をまいて、退散すると思っている。
熊だって、見知らぬ東京の田舎者に逢いたくないと確信しているから・・。


   第1章  旅の始まりは、北海道限定ビール

私共夫婦は、北海道はたびたび旅行しているが、
旭川市に関しては、昨年『旭山動物園』に3時間ばかり観た以外は、
昼食に立ち寄る程度であった。

今回の旅行で、家内の母が動物好きなので、
この動物園をゆっくり観たい、という要望の為、
市内のホテルに宿泊することとなった。

旭川空港に昼に着き、バスで市内に入ると、
町の街路樹に紅い実をつけ、朱色に染め始めたナナカマドが観られた・・。

ナナカマドの樹木は、本州では里山、高山に見られるので、
『おかあさん・・やはり、北海道だね・・』
と私は、家内の母に言った。

・・・


   第2章  雨、そして風の中の層雲峡

旭川の明け方は、霧雨だった。

家内と家内の母は、旭山動物園に行き、
私は独りで今晩の宿泊先の層雲峡に向かった。

駅前で路線バスを待っている時、中国人の観光客のグループと同乗となった。
60代の温厚そうな男性がリーダーらしく、
15名の20代から40代の人達を先導していた。
上川市経由層雲峡に向かったが、雨は強さを増し、ときたま風が吹いた。

終点の観光ビルでホテルからの送迎車を待っている間、
私は『層雲峡・渓谷案内図』を温厚そうな中国人のリーダーらしき人に手渡し、
つたない英語の単語を並べ、解説した。

先方の方は、にっこりと笑い、頷(うなづ)いた。
後で私は反省したが、メモ用紙で漢字を並べた方が好かった、思ったりした。

昨年の5月に層雲峡は宿泊したが、夕方に到着し、朝にこの地を離れたので、
今回は黒岳方面のロープウェイに乗り、周辺の景観をほめる予定であったが、
風のために運行は中止となっていた。

やむ得ずホテルに直行したが、昼前であり、チエックインの時間前であったが、
部屋に通してくれた。

私は昼のひととき、大浴場、露天風呂に浸(つ)かったが、
たまたま独りであった。

露天風呂の前面は、渓谷に面していたので、
風がうなりの音をたてて通り過ぎて寒かったが、
これ以外はすこぶる快適であった。

・・・


   第3章  遙かなるオホーツク海

快晴の朝の中、層雲峡の銀河、流星の滝をほめた後、
大雪湖から石北峠に向かう道は私は好きな景観のひとつである。

エゾマツ、トドマツ、そしてダケカンバの多い樹林の中、
左側の道路沿いに数多くのせせらぎがある。
こうした中、ときたま鹿を見かける時もある。

『クマ(熊)なく・・シカ(鹿)と・・コンキよく・・観てください・・』
とバスガイドさんが言った。
確かに、この辺は熊、鹿、そしてキツネを見かけることもある。

北見市に抜ける途中は、広大な畑が広がり、
その奥まった処が小高い里山となり、紅葉、黄葉に染められた錦繍の世界が展開し、
私は道内の風物詩のひとつと思っている。

網走を通り過ぎると、オホーツク海が望め、
斜里を過ぎると、海岸沿いの道になると、
北海道らしい景観となる。

・・・

知床五胡の2湖を散策した途中、羅臼岳を望みながら、
湖面沿いの小道を歩くのも私の好きな光景のひとつである。

宿泊するホテルは、ウトロ港をまじかに景観できる処だった・・。



   第4章  『知床~それは命の営み』

夜明け前の3時過ぎに目覚め、
ウトロ魚港とその前方に拡がるオホーツク海を観た・・。

標題を掲げたのは、斜里町商工観光課が命題した『知床~世界遺産~』の豪華な小誌の中から、
拝借した言葉である。

宿泊しているホテルの館内で頂いたものである。

私は知床に関しては、象(ゾウ)の尻尾以下しか無知である。

斜里町から海岸沿いの国道をウトロに向かうと、
玄関代わりのオシンコシンの滝が迎えてくれる。
ウトロには秋、冬、春に来ているが、私の心の想いは流氷の時節が深く残っている。

・・

家内達は魚港周辺を散策するので、
私は『知床自然センター』の周辺を散策することにした。

この館内の映像展示館で『知床の四季』を観た。
解説に寄れば、映像を超えたダイナビジョンが誘う、大自然の世界、と綴られていたが、
まさに遂力のある映像から知床の大半が集約されている名画、
と感動を受けたりした。

その後、『乙女の涙』と称される海岸の滝までの遊歩道を散策した。
樹林の中のゆるやかな坂道を下ると、あたり一面平地となり遥か彼方に知床の連山が観られる一帯であった。

のどかな晴れ間の中、こうした光景の中で散策ができるのは、贅沢のひとつと感じたりした。

帰路、ウトロの街中で、ホッケを遅い昼食代わりにした。
このホッケは、私の好きな魚のひとつであるが、
都心で頂くのは小ぶりが多い。

私の友人の一人に小樽出身がいるが、
都心の居酒屋で、この小ぶりのホッケを私が食べていたら、
こんなのホッケじゃない、
と言われたりしたこともある。

私は本物のホッケをクラシック・ビールでほめ、
友人の顔を思い浮かべたりした。

ホテルの敷地の一角に足湯があったので、部屋に戻ると、浴衣に着替え、
足湯にのんびり浸かっていると、
こんな贅沢な昼下がりのひとときを過ごしてもよいかしら、
と思ったりした。

まもなく家内達が散策から戻る姿を見かけた。



   第5章  されど、知床観光航路

20日(金)は知床の硫黄山航路コースの観光船に乗船後、知床峠を通り、ウラス、標津、摩周湖、硫黄山、
そして阿寒湖までのJALライナーのバス観光周遊の移動の旅である。

前日の朝、港から沖まで晴れ渡って折、
家内達に明日のお天気は悪いから今日の日中に観光船に乗った方が良い、と私は言い、
私は『知床自然センター』に出かけた。

『乙女の涙』までの散策の途中で、道連れになった人達と話している時、
観光船が風と波で欠航になった、と教えて貰った。

この人達は、九州の方達で、団体観光のグループで、道東観光めぐりをしている一部の人であった。

『こんなに・・良いお天気なのに・・欠航とは・・
何のために・・この道東めぐりに参加したか・・意味がないわ・・』
と50代のご婦人が言ったりしていた。

『そうですよね・・観光船の方達に・・こんな良いお天気・・
何時・・周航するの・・言ってみたいですね・・』
と私は軽口を言った。

この観光船は、これだけ魅了させる景観を秘めている。

私達夫婦は、昨年の5月、知床岬まで早朝クルーズがある団体観光周遊に参加したことがある。

ウトロのホテルのロビーに真夜中の2時半に集合して、
知床岬で日の出を観るために乗船したことがあった。

観光船から知床連峰が望め、4時過ぎの月をほめ、知床岬まで周航したことがあった。
詳細は昨年の5月に綴っているので、省略するが深く心に残っている。

20日の朝は、どりよりとした曇り空であった。
昨日のお天気を配慮すると、欠航かしら、と思いながら、朝の7時過ぎにフロントに問い合わせた。

『おかあさん・・こんな天気でも・・観光船に乗れるって・・』
と私は家内の母に言った。

そして家内は
『良かったわ・・おかあさん・・雨女・・返上よ』
と言った。

家内達は動物好きなのであるが、
ここ数年に動物園などに行ったりすると、雨まじりのお天気が多かったのである。

私からしてみれば、家内の母は初めて北海道の思い出に観光船は欠かせないひとつであるので、
何とかと思いが叶えたらという気持ちであった。

硫黄山航路コースの乗船後、どんよりとした曇り空で、ときおり小雨が降ったりした。
オホーツクの波の打ち寄せる海岸の景観は飽きることのない光景であった。

家内の母の微笑んだ顔立ちを見ると、この旅行は良い思い出になると私は感じ、
安堵したりした。



   第6章  道東の魅了のひとつは

硫黄山コース周遊船を下船後、バスは知床峠に向かったが、
霧につつまれて、前回訪れた時と同様に、
峠で下車しても薄ら寒く霧の中で、知床の連山も幻となった。

峠を越えてラウスに向かうと、霧が消え去り、ラウスの街並みが一望できた。

私は前回も感じたことであるが、
オホーツク海のウトロと根室海峡に面した太平洋のラウスとは陽と陰のように思っている。
標津のサモンハウスで昼食後、摩周湖を観たが、おだやかな晩秋の光景であった。
家内達に記念写真を撮った後、冬の情景が深く心に残っているので、
道のはずれで煙草を喫ったりしていた。

摩周湖から硫黄山に向かうゆるい下り道の直線があるが、
左右の広葉樹が朱色と黄色の錦繍の世界となっていた。
道路以外、すべての彼方まで染まって折、
この中をバスが走破したが、夢幻のひとときを感じた。

硫黄山は20年ぶりに来たが、休憩所、お土産屋、広い駐車場に少し驚き、
この間の歳月を感じたが、硫黄の吹き出る小高い山の丘陵は変わらない情景であった。

阿寒湖は華やかな温泉街であるが、それなりに3連泊の間に散策し、
私の阿寒湖の魅力を探そうと思っている。

                         《つづく》





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私なりの錦繍の想いで・・♪  ③

2008-09-02 18:14:01 | 定年後の思い
家内と北海道で思いがけない錦繍にめぐり逢えた後、
家内の母を誘い、東北の岩手県の盛岡市の郊外にある繋(つなぎ)温泉に、
5泊6日で滞在旅行をした。

11月中旬であったが、岩木山に近い東北の地域なので、
紅葉の時期は過ぎていたと思っていたのであるが、
残りの錦繍の美景が観られ、私は深く心に残っている。


【初冬の東北つなぎ温泉滞在記】と題して、
あるブログ・サイトに投稿したことがあるが、1部を掲載する。



   序章 

・・
ある旅行会社から定期的に送られてくる雑誌から、家内が見付け、
『繋温泉、行った事無いから・・』
と家内は言った。

『交通の手段は・・』
と私は言った。

『バスで直行みたい・・』
と家内は言った。

『遠いね・・。十和田湖に近い所までだよ・・』
と私は言った。

家内は地理感覚は乏しく、詳しく説明が必要だった。

この辺の遠方の場合は、新幹線を想定していた。
バスで東北自動車道を8時間前後乗る必要がある上、
私としては疲れるを増すので、

『新幹線のプランは無いの・・』
と家内に訊いた。

『ないみたい・・』
と家内は雑誌をめくりながら答えた。


『でもバスに座っていれば・・繋温泉まで連れてってくれるし・・
お母さんもゆっくり出来るし・・』
と家内は言ったので、私はやも得ず賛同した。

私は滞在型の場合は、3泊4日程度の旅行が好きである。
これ以上の場合、まのびるし、疲れがでる。
家内の場合は、日常の家事から解放され、4泊以上しないと、
ゆっくり出来ない、
と日頃から言っている。

家内の母は、昨年の秋、主人を亡くされ、
一人住まいの生活を送っているので、
私共とときたま3人で旅行をしたりしている。

こうして、団体観光ツアーの温泉滞在旅行に参加することにした・・。


   第一章

・・
東北自動車道は幸いに空いていた。
車窓から薄の穂の群生が、秋の陽射しを浴びていた。

5月の連休の後、那須塩原温泉に行った時は、
里山は山藤の薄い紫の花につつまれていたが、
今は朱色と黄色の錦繍に染められていた。

繋温泉の観光ホテルの『愛真館』には、予定より早めの3時15分に到着した。

この観光ホテルは、12種類のお風呂が看板であったので、
のんびりと湯三昧とすることにした。

齢を重ねた私は、和服姿の仲居さん達を見ていると、
何時見ても清々(すがすが)しく、魅了される。


   第二章

翌日、朝10時過ぎに『盛岡 手づくり村』に向かった。
繋温泉の前方にある御所湖を横断する橋を歩いている時、
風が強く、冷気を感じたが、
橋を渡りきると里山が遮ってくれた。

里山の落葉樹は朱色、黄色の葉を7割がた散っていたが、
晩秋の名残りを留めていた。

こうした中を40分ほど歩くと、『手づくり村』の屋根が見えた。

館内の正門口にある紅葉は、晴れ渡った秋空の中、
朱色の満開の佇(たたず)まいであった。

この『手づくり村』は、盛岡地域の地場産業を振興目的であるので、
南部鉄器、染物藍染、民芸品、木製玩具、南部せんべい等が置かれいた。

中には製造されている所もあったが、
家内達は、和菓子の即売店に立ち寄っていた。

私は本館の2階にある展示資料室で、
南部藩であった工房、染物、織物、地酒の歴史と由来を思考しながら、
観たりした。

そして角に茶室が配置されて、にじり口、水屋、掛け軸を観たりした。

家内達と合流した後、帰路はバスで帰る事した時、
バス停の近くの公園は桜の10数本が朱色の絨毯を敷き詰めたように、
落葉した葉が幾重にも重なり合っていた・・。

秋の陽射しの中、家内と家内の母は、
この朱色の桜の葉を時を忘れ拾い集めた・・。


   第三章

翌日の朝、8時半過ぎに『小岩井農場』にタクシーで向かった。

バス路線は、11月3日を過ぎると、
『小岩井農場』の観光者向けのイベントは大方終わってしまうので、
バスも4月の半(なか)ばまで休止している、との事であった。

繋温泉からの9キロであったが、
『小岩井農場』の入り口の大木の看板が見えた後、
岩手山の八合目辺りまで積雪が観ることが出来た。

植木植物園を通過する辺りからは、
広葉樹が全て落葉し、裸樹の幹、枝から朝の陽射しが差し込み、
幅広い車道をゆったりと走破しているので、
『外国の風景、見たい・・』
と家内の母は海外は知らないのであるが、光景思わず呟いていた。

道路沿いの落葉樹の奥は、百年前後の杉の大木が幾重にも続いている。

観光用の『まきば園』に到着したが、広い入園口は人影がなかった。
タクシーの運転手さんが、
『9時から入園ですけど・・
係りの方に声をかければ入れますから・・』
と言った。

入園口の券売り場に近づくと、
清掃している若い女性が、
『どうぞ・・』と言ってくれた。

この季節は入園料は不要、とのこと。

入園したが、私共の3人以外は、それぞれの園内の担当者しか、見当たらない。

『まるで貸切みたい・・』
と家内は言った。

私達は、広大な『まきば園』を散策した。
羊館で私は、羊の育成~ウール生地になるまでの映像を観たりしている間に、
家内達は羊に触れてくると別館に行ったりしている。

その後、レストランに入った。
私はワインとチーズを予定していたが、
昼時間にならないと、駄目らしい。

結局、コーヒーとチーズ・ケーキの組み合わせを三種類を注文し、
『思ったより、ボリュームのあるケーキね・・』
と家内の母は満足そうであった。

家内達は、それぞれのケーキを分けて、食べ比べをしていた。

私の偏見として、これは婦女子の食べ物である。
男はワインを呑みながら、チーズを頂く、これは文化の問題である、
と私は小声で言ったりした。

家内は、何時もの私の説を笑って無視し、
私のケーキを食べていた。

この2階から観える景観は、
桜の3本ほどの大木が落葉し、朱色の葉を絨毯のように敷き詰め、
松の10数本の大木が陽射しを受けて、
地上の樹木付近には敷き松葉がうっすらと重なりあっていた・・。

その後、家内は乗馬をしたり、
家内の母は、羊に草を食べさせたりしていた。

帰路、タクシーで『小岩井農場』沿いの車道は、
昼下がりの落葉樹は、柔らかに陽射しを受けて幹と枝を通り抜けた木漏れ日は、
地上で揺らめいているように思えた。


   第四章

翌日、ホテルの送迎バスで盛岡に行った。

盛岡駅は、在来線が地上を走り、2階が新幹線、
この駅構内は駅ターミナルビルであり典型的な駅模様であった。

町外れの昔栄えた商店街を歩く。
素朴な懐かしい情景であったが、人通りが少なかった。

角に画廊喫茶があり、落ち着いた店内であったので、煎茶と和菓子を頂く。
店内の壁には、絵が十数点飾られていたが、私は絵心は解らない。
小学生の頃から図画の時間があったが、
何となく不得意に思え、それから絵画は苦手である。

この店で淹れたお茶は、良い煎茶であった。
一煎目、二煎目に明確に甘さ、渋みがあった上、奥行きのある香りが感じられる。
旅先で思いがけずに、こうした煎茶に接すると、幸せな気分にしたれる・・。

駅構内で家内達は、土産売り場に行き、私は本屋に入り、2冊の本を買い求めた。

倉本 聰・著の『北の動物園』(産経新聞ニュースサービス)
「日本の論点」編集部編の『10年後の日本』(文春新書)であった。

私は倉本 聰・氏の本は殆ど持っていて愛読しているが、
『北の動物園』は、知らなかった。
『夕刊フジ』に週一回連載されたエッセー、と付記されていた。

この本屋『さわや書店』のブック・カバーには、感動した。

わたしは、
わたしの
住む
街を
愛したい

手あかに
まみれた
一冊の
本のように。

と綴られて折、《大通り》の一丁目から三丁目の商店街の図柄が表示されていた。
昭和32年頃の大通商店街の各店が再現されていた。

東京オリンピック以前、どこの都市でも見られた商店街が浮かんでくる・・。

この本屋の経営者のお心に感動した訳であった。
この方は、まぎれなく文化を知っているひとりである。

・・



このように繋温泉の周辺、小岩井農場の初冬に近い残りの錦繍を眺めたり、
盛岡市の街並みを散策したのであった。


その後、2007年(平成19年)の4月から、NHKの朝の連続ドラマで、
『どんと晴れ』が放映され、盛岡の街並み、小岩井農場などの情景が映し出され、
家内たちと周遊した地域が思い出され、
私達夫婦は微笑みながら、この連続ドラマを視聴したりした。



               《つづく》


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私なりの錦繍の想いで・・♪  ②

2008-09-02 08:51:28 | 定年後の思い
私が定年退職後の翌年、2005年(平成17年)10月の下旬、
新潟港からフェリーに乗って小樽港で下船し、
道内の観光を楽しむ団体観光ツアーに私達夫婦は参加した。

このことは、以前このサイトで綴っている。


【錦繍の北海道周遊記】と題して、4泊5日の旅を投稿しているが、
大半を再掲載する。


   序章  明日より、北海道へ・・♪

以前、『北海道へは、船で・・♪』で綴ったことはあるが、
明日より4泊5日の団体観光ツアーに出かける。

東京駅より新潟駅に新幹線で行き、
新潟港に移動し、この港から小樽港に向かい1泊し、
翌日の早朝に小樽港に着くフェリー船に乗船する。

このコースは私共夫婦のひとつの夢である事は、
『北海道へは、船で・・♪』で綴っている。

小樽を出た後は、芦別の三段の滝を観て、富良野から美瑛を抜けて、
旭岳の裾野のリゾートホテルに宿泊する。

翌朝、旭岳ロープウェイに乗り、周辺を散策する。
その後、天人峡の羽衣の滝を観た後、札幌の奥まった定山峡まで移動し、
宿泊する。

翌日は、豊平峡で電気バスに乗って、ダム周辺を観た後、
小樽市で観光し、札幌駅に行く。

夕暮れの札幌駅より『北斗星号』を乗車し、車中泊しながら上野駅に到着する。

私共は北海道には、心身の波長が合うので度々お訪ずれているが、
晩秋の道内は道東は訪れたことがあるが、
このコースは初めてである。

紅葉の終わりかけたこの季節、
どの様に私共の心に沁みる光景が、
のちの想いになるかは、解らない・・。

いずれにしても今回の旅行は、
私の定年退職記念旅行の敗者復活戦のひとつである。


   第一章  旅の始まりは、月の光・・♪

新潟港を10時30分に離れた『らいらっく号』は、
翌朝の4時10分に小樽港をめざして出港した。

専用のテラス付きの特等A個室は、想像したよりテラスが広めであった。
夕食はデイナー付きであったので、
昼食をラーメンとビールにし、家内はサンドイッチにした。

部屋に戻った後、テラスから日中の海は
雲の間に晴れ間が広がっているのを眺めながらビールを呑む。
朝、東京駅7時12分発の新幹線に乗る為、
早朝に家を出たので、眠くなり、ベットにもぐり昼寝をする。

午後4時過ぎに、大浴場で身体をさっぱりさせた後は、
喫煙室で煙草を吸っていたら、数多くのトラックのドライバーに会う。
フェリー船であるので、彼らは業務で休息のひとときで、
楽しげに話し合っているのに好感を持つ。

ディナーの際、小樽ワインの辛口を注文し、家内と呑みながら食事をする。
こうした旅先の夕食も私共は、長年楽しんできた。
齢を重ねる度に、食べ物にこだわりを持つのは、
多くの人が経験するのだろう、と思っている。

部屋に戻り、夜の海を眺めた。
月の光の帯が、遠方から波間を通して、
あたかもテラスに向かって部屋に差し込んでいるように思えた。

その後しばらくすると、月は空高く昇ると、
海上の一辺に月の光の溜(た)まり場となり、
この範囲に月の光を寄せ集めていた。


   第二章  やがて錦繍の世界に・・♪ ①

早朝の四時になると、小樽港の街の灯りが煌々と観えて来た。

フェリーは予定通り4時10分に接岸した。
港内はコンテナのトラックが百台前後あり、日本海の海上航路の要所であることを現していた。

私共の団体観光ツアーは、5時15分に下船し、バスで祝津にある食堂に向かう。

空は白く明け方の情景の中で、地元民も通う町外れの食堂で、
鰊(にしん)を私共の人数分を焼いてくれ、暖かなご飯と味噌汁で頂く。
素朴さであるが、これは最も贅沢な朝食である・・。

バスは高速道路を北上し、岩見沢を過ぎ、
三笠のインターチェンジで降りると、
やがて里山はナナカマドとカエデ等の朱色、ヤチダモ等の黄色で
錦繍(きんしゅう)の世界となった。

私は家を出るときは、旅の最後の行程で定山峡周辺で錦繍を期待していたが、
目の前で秋色が展開されたのには、
ちょっと驚き錦繍の光景に瞠(みは)った・・。

バスガイドさんの話に寄ると、
道内の紅葉は例年より2週間遅れで今は最盛期、
と伝えてきた。


   第三章  やがて錦繍の世界に・・♪ ②

その後の芦別の三段の滝、富良野の新プリンスホテルのニングルの森も、
秋たけなわの錦繍の光景であった。

ニングルの森は、ゆるい傾斜の雑木林の中にあり、
開園前の時間であったので、即売店は閉っていた。

私の理想は、このような環境に近いが、
見渡す限り雑木林の中で平屋建ての一軒屋に住み、
近くにはホテルがあり、ときたま食事が出来るところであった。

齢を重ねた今、私は自分の実力の拙(つたな)さを嘆いて、
煙草を喫いながら、夢の世界に近いニングルの森を見詰めた・・。

その後、美瑛を通り、旭岳の裾野にあるホテルに宿泊する。
部屋の窓辺からは、夕陽が山なみの沈むところであった。
空は水色で、陽の周辺は朱色、そして黄色を取り混ぜて、
そして山なみに消えていった・・。



   第四章  やがて錦繍の世界に・・♪ ③

旭岳の裾野は、落葉樹は葉を落とし終わっていた。
エゾマツ、トドマツの濃い緑が周辺を彩っていた。

朝陽の差し込んでいるレストランで朝食をした後、
ロープウェイに乗り、旭岳が展望できる高原登山道を散策する。

小さな池は凍り付いて折、道端は霜が陽に当たって溶け出していた・・。
旭岳から下方の旭岳温泉や
遙か彼方の遠方の山なみまで視界の開けた雄大なスロープであった。

その後、旭岳を下った所にある天人峡に行き、羽衣の滝を観に行く。
バスから下車し、遊歩道を散策したが、朱色、黄色に彩られた錦繍の中を歩く。
午前の柔らかな陽射しの中、ときおり黄色の葉が上空から舞い降りてくる。

こうした光景を観ると、まぎれなく秋を受容した思いが、心に沁みてくる。
多分、今後このようなことは、幻想しか実感できないだろう、
と思い返したりした。

その後、札幌のはずれにある定山渓に行き、宿泊する。



   第五章  雨の中の錦繍・・♪

定山渓温泉は、渓谷沿いに数多くのホテルが建っている温泉町であった。

窓辺で観ていると、渓谷の対岸を川べりから空に向かって
樹木が色付いているようだった。
ナナカマド、カエデ等の朱色、ヤチダモ等の黄色、
そしてエゾマツ、トドマツの濃い緑色の配色は、秋の盛りであった。

朝食後、雨の中を豊平峡を散策する。
電気バスに乗り、ダムを囲むかのように錦繍の世界が拡がっていた・・。

雨の中、濡れた朱色、黄色も良い光景である。
朝の川霧が立ち昇り、雨が舞うようにしっとりと降っている。

雨の中、傘を差して立ち竦んでいても、
飽きない光景であった・・。

・・・


この後は、小樽の街並みを散策した後、
札幌駅より夕暮れの札幌駅より『北斗星号』を乗車し、
車中泊しながら上野駅に到着したが、
この道内の錦繍は今でも深い想いでとして、
私の脳裏に残っている。



               《つづく》



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私なりの錦繍の想いで・・♪  ①

2008-09-02 08:46:41 | 定年後の思い
9月を迎えたが、旅行会社から秋の旅行の小冊誌が郵送されてきた。

北海道から沖縄諸島までの、それなり企画した国内旅行のプランであり、
紅葉、温泉、秋の味覚と盛りだくさんに掲載されて折、
日本列島の秋の彩(いろど)りとなっている。

私は微苦笑しながら見たりし、
日本の各地で9月下旬から11月下旬頃まで、
落葉樹が朱色、黄色に染められる錦繍の情景を思い出したりした・・。


私達夫婦は国内旅行が共通の趣味であり、
それなりに日本の各地を訪れ、数多く享受し、
深く心に残っていることが多いのである。

私が定年退職後は旅行の滞在日数が自在になったので、
秋の時節、ときおり旅先で偶然に錦繍の色合いの光景に、
思わずため息をしたりした。


4年前の秋、私の定年退職の直前に家内の父に死去され、
その後、11月下旬に四十九日で納骨した後、
私達夫婦は家内の母を誘い、墓地から程近い、
千葉県の房総半島の中央部にある上総亀山に温泉滞在をした。

川をせき止めて人造湖の亀山湖であったが、
日本で一番遅い紅葉と称されて、私は湖畔の遊歩道を歩いたり、
小さな遊覧ボートで湖上から周辺の情景に見惚(みと)れたりした。

そして、退職後わずか1ヶ月たらずの私は、
多忙だった現役時代から一転し自在の身となり、心身落ち着かない状況であったので、
平日の秋日和の中、こうしてのんびりと散策しても良いのかしら、
と戸惑いながら享受していたのであった。


             《つづく》




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