夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『どうして、いけないんですか』・・!?  《初出2006.12.13》

2008-05-06 21:00:26 | 時事【社会】
昨夕、【YAHOOH! JAPAN】のニュースを検索していたら、
読売新聞の配信に寄るひとつのニュースに私は衝撃を受けて、しばらくため息をついた。

私は読売新聞の夕刊が配達され、この記事を精読した。

新聞の一面のトップに、
【図書館の本 傷だらけ】
と見出しが躍っていた・・。

無断であるが、この記事を引用させて頂きます。


各地の公立図書館で、雑誌などから写真や記事を切取ったり、
専門書に蛍光ペンで線を引いたりするなど、
図書を傷つける行為が増加している。

東京都・世田谷区の区立・中央図書館で被害が目立ち始めたのは、
5年ほど前から・・徐々に悪化・・

3年ほど前、館内で若い女性が、
最新号のファッション雑誌から、ヘアスタイルの写真をカッター切り抜いていた。

資料係の方が、驚いて注意すると、
女性は悪びれる様子もなく、
『どうして、いけないんですか』
と言い放ったという。

同館で最も多いのは、雑誌から人気アイドルの写真が切取られるケース。
このほか新聞の縮刷版から丸々1ページが引き抜かれたり、
論文を掲載した書籍に300ページ以上にわたって、線を引かれたりした。

・・本を傷つける行為は、刑法の器物損壊罪にあたる恐れがある。
しかし、『とにかく【罪の意識】が薄い』と資料係の方はため息をつく。

以上、読売新聞の記事を無断であるが、引用させて頂きました。


私は年金生活3年生の身であるが、
私達が小学校の2年生の時、
校庭で上級生が体操時間に使われたのマットが残されていたので、
私は友達数人と遊んでいた・・・、
これらの状況を目にした先生は私達を並ばせ、
『体操の時間に皆で使うもので・・
遊びに使うなんて・・』
と私達は顔をたたかれた・・。
私達はよろけるどころか、身体は地面にとんだ・・。

私は帰宅後、両親にはこの話は出来なかった。

学校の大切な公共物で戯れていたのだから、
私の方に当然として、非があるのは幼年心でも理解した。

父親に話していたら、
『お前は・・皆が大事に使うものに・・遊ぶなんて・・
傷ついたら・・どうするのか・・言ってみろ・・』
とぶん殴られた上、家の外に放り出されただろう。

私はそれ以来、公共物を大切に接している。


私は年に1回前後は、私の住む図書館を利用させて頂いている。
ともかくお借りするのだから、汚さないようにしているし、
必要な箇所がある場合は、私のノートに転記したりしている。
お借りしている期間は、私の後でお借りしたい方も心に留めて、当然として期日内に返納している。

私は、公共でしかも無料で住民にサービスして下さる図書館の存在は、
有難いと思っているひとりである。
唯、雑誌はいかがなものかしら、と思っている。

私は本屋には、たびたび行っている。

ある時、雑誌コーナーに立ち寄った折、
30前後の女性が一冊の雑誌を開き、携帯電話のデジカメで撮られていた・・。

私は最初は分からなかったが、
雑誌の記事かグラビアを撮っていたことが理解した。

私は昨今の図書館の余りに心貧しく、
公共の本の汚し、切り取りなどの薄汚された精神には無知であったが、
本屋の雑誌に於いても、撮影という心の荒廃は、
どうして何で・・と心をめぐらしている。


読売新聞の記事で、このような社会状況について、真摯なコメントが掲載されていた。

『他人を見下す若者たち』の著者の速水敏彦・名古屋大・大学院教授はこう述べられている。

無断であるが、この新聞に寄せられたコメントを転記させて頂きます。

『自己中心的で他人を軽視する行動をとる傾向が強くなっている結果、
罪の意識もなく公共の財産を傷つけるような行為がが横行しているのではないか』、と分析。

そして、『幼少時からの教育が重要なのに、
親がルーズな為、家庭できちんとした教育を受けていない人が少なくない。
給食費を払わなかったり、学校に非常識な要求をしたりする保護者と根っこは同じ。
学校より、家庭の問題だ』
と指摘している。

以上、コメントの全文を転記させて頂きました。


私には何時の頃から、日本の社会の一端で、このような心の荒廃が始まったのだろうか、
と憂(うれ)いている・・。

私は益々都心や街に出るのは億劫となり、川沿いの遊歩道、公園に行くこととなると思うが、
こうした折でも公共施設を甘受しているので、
困ったなぁ、と思いながら、樹木のうつろいを眺めている。


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この時節、ときにはクリスマス・ソング・・♪  《初出2006.1212.》

2008-05-06 20:57:33 | 音 楽
東京の郊外はどんよりとして曇り空で、6度前後の寒い日を迎えている。
午後より雨が予測されているので、10時過ぎに買い物で出かけた。

住宅街を通り、大半は朱色、黄色の葉を落とした落葉樹を見ながら、スーパーに向ったが、
ドウタンツツジが燃えるような朱色を見せていた。

スーパーの店内は、午前中に関わらず込んでいた。
私のように午後から雨を避け、早めに来られた、と思ったりした。

帰宅すると、家内の掃除をしており、居間の棚にクリスマスの飾りを出していた。

以前、現役時代、会社の帰りに私が買い求めてきた品である。
私はクリスマスには興味がないが、やはり家内の心を案じて、世間なみとして購入したのであった。

居間は少し華やかな彩(いろど)りとなり、私はCDをセットした。

私は音楽が好きなので、クリスマス関連のCDは、10枚前後は保有しているが、
最も愛聴している1枚である。
ドナー・サマーの『ホワイト・クリスマス』と題された10曲の珠曲である。
1994年の録音であり、まさに天から舞い降りたかのような歌声に、
思わず頭(こうべ)がたれる・・。

こうして聴き入っていると、
『貴方・・雨・・』
と家内は私の方に叫んで、洗濯物を取り込んでいる。

静寂で寒い主庭に、雨が静かに降ってきた。

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歳末に近づくと・・♪ 《初出2006.12.12.》

2008-05-06 20:54:28 | 時事【社会】
新聞のデパートの折込チラシが12月に入ると、
衣服などきらびやかな高級品とお歳暮品が掲載され、
御節料理などが加わった後、このところクリスマス・ケーキなどが数多く載っている。

私はサラリーマンを定年退職して、3年生の身であり、
家内と二人の家庭である。

私共は子供に恵まれなかったので、尚一層私達の特有な生活ペースで過ごしている。

世間並みの世情としては、年賀状ぐらいである。
御節料理には、私の母が亡くなってから、我家は不要となっている。

家内の母が年末に来宅して貰い、共に新年を迎えるが、
自分達の好きな食べ物を揃え、炬燵に入り、おしゃべりをしながら頂くぐらいであろう。

この間は、平常月と同様に、
ときたま国内旅行に行ったり、庭掃除をしている程度である。

季節のうつろいは樹木を観て、肌で寒さを感じれば、時は流れていく・・。

こうして綴っていると、家内の母を年末年始に我家で滞在して貰うので、
家内は準備と大掃除で忙しく、
私は新年の三が日には、朝から純米酒を頂いている程度である。

私共の夫婦は、このように世間と疎(うと)い身勝手な12月を過ごしている。



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ここ2週間、私は別ブログに夢中になり・・♪

2008-05-06 17:35:00 | 定年後の思い
私は朝から、ここ2週間ばかり夢中になっている別ブログの
【年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~】に
今まで4つのサイトに書き散らかした投稿文を整理、統合している。

先程まで本日は41通ばかり投稿をしてきたが、
あと何通本日投稿できるかしら、
と考えたりしている。

そして結果としては、この2週間で750通前後を投稿してきたが、
これほどに私を夢中にさせる理由は、
過日綴っているので、省略する。

そして疲れを感じると、ときおり庭のテラスに下り立ち、
樹木の若葉を眺めながら、煙草を喫ったりしている。

尚、この間に掲示板に書き込んで下さった方には、
返信が覚束なく申し訳なく思っている。

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10年前頃に聴いた歌・・♪    《初出2006.12.11.》

2008-05-06 17:27:59 | 音 楽
日中、激安チェーン店で知られている『ゲオ』のひとつのお店に、初めて入った。

私の住む近くの駅前の大通りに最近、開業されて、本屋に行った後に立ち寄った・・。

久々にCDの陳列棚を観たが、私にしては未知のアーティストも多かった。

先程、10年前頃の50代の前半の頃、
私は何を聴いたいたのだろうか、と思い返している・・。

平成元年の頃は、中島みゆきに熱を上げた後、
少し過ぎZARDを聴いたりした後、
10年前頃は田村直美、GLAYを聴いていた。
この後は、X JAPANに熱中していた。

この間は、中島みゆきは平熱で聴いて折、井上陽水、シャンソンも聴いたり、
ときたまクラシックを聴いたりしていた時もある。

私は音符も読めない音楽素人の身であるが、
その時に思い立った曲を聴いているだけである。

この頃の日曜日のひととき、演歌からクラシックまで半日聴いたりした時もあり、
私の心は屈折しているのかしら、と思ったりしたこともある。

最近の私は、ここ数ヶ月は、絢香という歌い手に魅せられている。

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駅前の街を歩けば・・♪    《初出2006.12.11.》

2008-05-06 17:26:10 | 時事【社会】
12時過ぎに散歩がてら駅前の本屋に行くのであったが、少し遠廻りし、晴れ間の中を歩いた。

錦繍の終わりの時節、朱色、黄色の落葉が旧道を埋めるように散乱していた、
空を眺めると、わずかに葉を残した枝が観え、微風で中、葉を空中に舞いらせながら地上に落としている。

駅前の本屋で予定していた『バックス・モンゴリカ』(日本放送出版協会、税込2624円)が見つからず、
店員さんの手を煩(わず)らわして、買う事が出来た。
そして、月刊誌の『文藝春秋』(税込750円)を購入した。

その後、花屋の店頭の暖かみある彩(いろど)りの色合いを誉(ほ)めながら眺めた後、
コーヒーショップの『ドトール』でLサイズのコーヒー(270円)を頂きながら、
『パックス・モンゴリカ』をパラパラと捲(めく)り、煙草を喫たりした・・。

15分過ぎた頃、『ドトール』を出て、駅前の商店街の道を歩いた。
そして、最近開業したばかりの店に入った。
音楽、映画、ゲームなどをレンタル、激安セールするチェーン店の『ゲオ』のお店のひとつである。

私はこのチェーン店は初めてであり、
幼児向けのゲーム機器が前面にあり、
内部は右側にレンタル用、左側はセールと思えた。
私はゲーム関係は解からないのであるが、ある程度のスペースを占めていた。

映画コーナーの陳列棚を観た後、音楽コーナーの棚のCDの陳列を眺めた・・。

私は現役時代にCD販売店に通った方であるので、懐かしいアーテストのCDを手に取ったりした。
その中で、GLAYの一連が並んで、最初のベスト盤があり、
中古品であるが180円となっていた。
これには正直なところ、ため息が出て、悲しみを覚えた・・。

私は古本屋に立ち寄り、ある著名なお方の本のひとつが、
150円前後で値札がついていた時の悲しみと同様である。


帰路の道を歩きながら、気落ちしていた・・。
私が昭和40年代の時、本、レコードを買ったりしていたり、
映画を観たりしていた時代は、
定職に就かなかった酷(ひど)い時、食事を抜いたりした体験があったりした。
定職についても、給料のたびに一枚のレコード、本を買い揃えた時でもあった。

このような思いが私にはあるので、
本、映画、音楽へのひとつ、ひとつへの思いは熱く、こだわり、そして深い思いとなっている。

街中で観た中古品のひとつが残影して折、
今の若い人達は安易で手軽に入手できるので、
果たして文化の一端なる活字文化の本、そして音楽、映画に関しては、
心に寄せる熱情の度合いは果たして・・と思ったりしたのである。

私がこの綴りで、あえて値段を記(しる)したのは、ソフトの価値観を改めて思案したいからである。


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J.ウィザ゛ーフォード・著の『バックス・モンゴリカ』・・♪ 《初出2006.12.11.》

2008-05-06 17:23:42 | 読書、小説・随筆
過日、新聞記事を読んだ中で、少し気にる記事があった。
読売新聞の新刊本の紹介、評論欄が週間連載として、掲載されているが、
その中のひとつの本である。

ジャック・ウィザーフォード・著の『バックス・モンゴリカ』である。
過日、新聞記事を読んだ中で、少し気にる記事があった。
読売新聞の新刊本の紹介、評論欄が週間連載として、掲載されているが、
その中のひとつの本である。

ジャック・ウィザーフォード・著の『バックス・モンゴリカ』である。
日本訳は横堀富佐子・女史が担当され、監訳として星川 淳・氏で、
NHK出版から9月前後発売されたらしい。

この本に関し、評論は布施裕之・本社主任研究員が綴られている。

この記事を無断であるが、転記をさせて頂きます。


13世紀初め、中欧にまで版図を広げたチンギス・ハンとその帝国は、
欧米人にとって今も残虐、野蛮、文明破壊の権化だ。
その偏見は、時に日本人を含むアジア人全体にも及ぶ。
本書はアメリカ先住民史で知られるアメリカ文化人類学者が、
そうした先入観の克服に挑んだ意欲作だ。

チンギス・カンの一代記と、法大典や医療、天文学、農学を完備した
モンゴル帝国の新しい像を現地調査などを基に描き出す。
その一方で、欧州やイスラム圏などが帝国をどう受容したかを、文献の上からたどる。
ルネサンス時代、チンギス・ハンを賛美していた欧州が、
アジアを『蔑視(べっし)』し始めたのは、ヴォルテールら18世紀フランス啓蒙思想家の著作がきっかけだったという。

ただ、『元朝秘史』への欧米語への翻訳を、
「解読」と称しているいるのには、首をかしげる。
この著者にしてなお、新大陸到達を「発見」と呼ぶような偏見が残っているからだろうか。

以上、記事の全文である。


私がこの記事を精読して、一番興味を持ったのは、
チンギス・ハンを賛美していた欧州がアジアを蔑視になる・・
この紹介記事に心が寄せられて、読んでみたい、と感じられた一行である。

尚、先程インターネットで《NHK出版》のホームページを検索していたら、
ヨーロッパが嫉妬したモンゴル帝国下の安定信教の自由、自由交・・
短く紹介されていた。

私はどの本屋に行けば、在庫があるかしら、と思ったりしている。



日本訳は横堀富佐子・女史が担当され、監訳として星川 淳・氏で、
NHK出版から9月前後発売されたらしい。

この本に関し、評論は布施裕之・本社主任研究員が綴られている。

この記事を無断であるが、転記をさせて頂きます。


13世紀初め、中欧にまで版図を広げたチンギス・ハンとその帝国は、
欧米人にとって今も残虐、野蛮、文明破壊の権化だ。
その偏見は、時に日本人を含むアジア人全体にも及ぶ。
本書はアメリカ先住民史で知られるアメリカ文化人類学者が、
そうした先入観の克服に挑んだ意欲作だ。

チンギス・カンの一代記と、法大典や医療、天文学、農学を完備した
モンゴル帝国の新しい像を現地調査などを基に描き出す。
その一方で、欧州やイスラム圏などが帝国をどう受容したかを、文献の上からたどる。
ルネサンス時代、チンギス・ハンを賛美していた欧州が、
アジアを『蔑視(べっし)』し始めたのは、ヴォルテールら18世紀フランス啓蒙思想家の著作がきっかけだったという。

ただ、『元朝秘史』への欧米語への翻訳を、
「解読」と称しているいるのには、首をかしげる。
この著者にしてなお、新大陸到達を「発見」と呼ぶような偏見が残っているからだろうか。

以上、記事の全文である。


私がこの記事を精読して、一番興味を持ったのは、
チンギス・ハンを賛美していた欧州がアジアを蔑視になる・・
この紹介記事に心が寄せられて、読んでみたい、と感じられた一行である。

尚、先程インターネットで《NHK出版》のホームページを検索していたら、
ヨーロッパが嫉妬したモンゴル帝国下の安定信教の自由、自由交・・
短く紹介されていた。

私はどの本屋に行けば、在庫があるかしら、と思ったりしている。


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されど、お賽銭・・♪ 《初出2006.12.10.》

2008-05-06 17:16:52 | 時事【社会】
私達夫婦は神社仏閣には宗教心が薄いので、手をあわせる程度である。

私がひとりで散策した折は、
財布から百円玉プラス持ち合わせの五円玉、一円玉を加えて、お賽銭としている。

今まで、例外として、会社に入社出来た時と定年退職をした時は、
500円玉をそっと入れた。

家内と参拝していると、家内は私に十円玉をひとつ手渡す。
『十円だけ・・』
と私は家内に口をとがらす。

『お願いごとは・・お金の大小じゃないわよ・・
手を合わせて・・神妙にお願いすれば・・平等よ・・』
と家内は平然と云い、私に微笑む。

『いいのかなぁ・・』
と私はためらいながら、十円玉を投げ入れて、手を合わせる。

このようなことを不謹慎ながら、この30年近く私達はしている。


今日の午前中、家内は洗濯の合間、
テレビの旅番組を観ていた。
私は近くでパソコンに触れていた。

何かしら山陰地方の出雲大社が映し出されていた・・。
『お賽銭は・・一番願い事の叶(かな)うのは・・
ご存じですか・・』
と神主さんらしい方がゲストと方に言っていた。

『さぁ・・検討つきません・・』
とゲストの方は言っていた。

『45円です。十円玉を四つ、そして五円玉ひとつ・・
解かりますか・・』
と神主さんらしい人は明言した。

『どうして、45円なのですか・・』
とゲストの方は言っていた。

『・・始終(しじゅう)・・ご縁(えん)があります・・』
と神主さんらしい人は、神妙に言った。

私は少し気になっていたので、観ていて驚いた。


『xxちゃん・・今の観た・・
うちも・・これから45円にしょうよ・・』
と私は家内に明るく言った。

家内は笑って、無言である。


余談であるが、私の住む街でも、自治会があり、
赤い羽根、年末助け合い等の寄付の回覧が廻ってきたりしている。

多くの家では、100円が圧倒的に多いが、我家では300円にしている。
家内と話し合い、この額にしたのは、私の長兄宅は500円なので、
私達の家は付近より少し広めであり、この額にしている。
私は寄付袋に名前が出るので、この額が我家としては最適と思っている。

それにしたら、名前の付かない、お賽銭箱は10円かょ、と私は首をかしげ、
家内を見つめたことがあった。




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匿名、そして実名・・♪    《初出2006.12.10.》

2008-05-06 15:01:54 | 時事【社会】
東京の郊外は、雨上がりの朝を迎えている。
曇り空であるが、明るい空となって折、午後から晴れ間となるらしい・・。

私は主庭に下り立ち、煙草を喫ったりして、昨夜のテレビ番組を思い出している・・。

NHKの【日本の、これから『ネット社会の安全・どうまもりますか』】という番組であった。

この中に、ミクシィなどの実名公開と数多くのブログの匿名制度について、
少し触れられていたので、少し考えさせられたのである。


私はこの欄にしても匿名で記載している。
私が実名にしたならば、衣服にたとえるなら、スーツ姿になると思う。
よそ行きの言葉となり、普段着の心の思いが綴ることが出来ないと思う。

多少のプライバシーを保ち、気軽にその日に感じたり、思考しているのを綴ってきている。

私は綴ることで収入を得ている作者でないので、
よそ行きの言葉で綴ると、心の鬱積がやがて感じるタイプである。

このような思いがあるので、私の実名制度のブログに参加する意志はなく、
気軽に心の思いをためらうことなく綴っている。

尚、私は匿名であっても、
ある程度の心の節度は保っているつもりである。


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ある日、貴女は・・♪   《初出2006.12.9.》

2008-05-06 14:54:02 | 音 楽
東京の郊外は、早朝から雨が降り、寒い朝を迎えている・・。

私は玄関庭の軒下で煙草を喫いながら、
小雨の中のもみじの朱色、花梨(カリン)の黄色の色合いを観たりしていた。
それぞれの樹木は、半分近く落葉はしたが、
それなりに風情があった。

私は居間に戻り、煎茶を飲みながら、主庭の白梅を見たりした。
黄色の葉は大半落とし、樹木の周辺に褪(あ)せた黄色いの葉が散り乱れている。

そして、もみじの朱色の葉は、
小雨を受けて、ときおり数枚の葉が音も無く落下している。


♪静かな雨 並木の雨
 あなたを待つ 胸に降る

 【『小雨降る径』 訳詞・高田 三九三】 


私は小声で唄いだした・・。

♪流れる唄 懐かし唄
 夢をささやく あのメロディー

家内が傍でいたが、どういう風の吹きまわしかしら、
と笑っている・・。

♪いつの日にか また逢いみん
 溢れくるわ 涙

私は小声で鼻歌を唄っていたが、どうしてこの歌を唄っているのかしら、
と思ったりしていた。

ここ数日、私の20、30代の頃の日記やらメモ書きを整理している。

バラバラに書きとめてあったりしているので、
パソコンの日記のようなの形態ソフトに転記していたりしている。

ときおり拙(つたな)い字で書きなぐるように綴られたりしているが、
まぎれもなくあの頃の思いが書かれていた。

例えば、35年前前後に『銀巴里』に行き、シャンソンをよく聴いたりしていた。

家内と結婚する前に、二人で『銀巴里』とか、
近くのシャンソンを聴かせてくれるカフェ・バー形式のような処にも行ったりした。


新婚まもない時、東急ホテルの小さなレストランで、
デイナー形式でシャンソンを聴きながら、夕食を頂くのに、私達は参加した。

歌い手は私が魅了されている金子由香里さんで、
家内に『銀巴里』と違った面がこのお方は表現できる人であり、
せひ観て欲しかったのである。

3曲を唄った後、ボーイさんがリクエスト曲の用紙を廻してきた・・。

私は万年筆で、『小雨降る径』と書き込んだ。

20分過ぎた頃、リクエストの3番目として、
『どなたが・・この《小雨降る径》をリクエストして下さったのでしょうか・・』
とこのお方は言った。

私は片手を少し挙(あ)げた。

このお方は少し驚いた表情されたが、唄いだした・・。

この後、数曲唄われた後、私達のテーブルに近寄ってきた。

『今晩・・来て下さって・・
あたくしの歌を・・よく聴いてくださる方ね・・』
と私に向って、このお方は言った。

私はカフェ・バーなどで、よく通ったので、
ときおりリクエストなどをしていたのであった。

私は、家内を連れていたので、このお方にしてみれば、
人生の駆け出しの私達を観て、
慰めと励ましでわざわざ、と思ったりしている。


若き日々人生を歩みだした時、
『小雨降る径』をリクエストしたのだから、
この頃の私は人生に気負っていたのかしら、と先程から微苦笑している。


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脚本、そして監督・・♪    《初出2006.12.9.》

2008-05-06 14:45:09 | 映画・テレビ
私は映画青年の真似事を若き頃していたことがあった。

映画の世界しか解からないが、脚本は映画の基盤であり、
家の場合で表現すると、設計をした上で土台、
建て前までの柱が観えるまでの範囲と思っている。

この後は、総合的ご自分のイメージなりで思案した上、
壁、建具、瓦、前庭、家具を入れ、
そしてその家に住居する人々の動き、表情などを
総合的に表現されるのが監督と思っている。
私は東京オリンピックを過ぎた数年は、このように思っていた。


今朝の読売新聞で、明確に証言されたお方がいた。
【時代の証言者】連載特集記事に於いて、
ここ2週間前後、映画監督の山田洋次・氏が取り上げられている。

『男はつらいよ』の1作目、2作目までは、脚本と監督をされた後、
このシリーズでこの後の作品を、他の方に監督をまかせた状況下の証言である。

日本映画の最前線で、現在最も輝いている監督ご自身のお方の発言なので、
私は精読した。

貴重な発言であるので、無断であるが、引用させて頂きます。


・・
3作目も4作目も僕が脚本を書き、同じ俳優が同じ役を演じている。
それなのに、僕が望む物と何だか違う映画になってしまった感じがしました。
同じ材料を使って同じように調理した料理なのに、
板前が違うと、違った味になってしまう。
演出ってそういうとなのかもしれません。
・・

このように発言されていた。


私はテレビ・ドラマで『北の国』などで著名な倉本 聡・氏の随筆が思い出された。
脚本を書かれた後、出演者のお方に台本を読んで頂き、この範囲まで手がけるのが、
このお方の意思である。
このようなお考えを度々綴られているので、私なりに理解している。

されど脚本、されど監督・・このようなことを今朝考えたりしている。





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ある人の結婚披露宴の祝辞・・♪    《初出2006.12.8.》

2008-05-06 14:39:25 | 現役サラリーマン時代の想いで
私は、新郎の叔父にあたります。

私のつたない経験から、
人生の思いもかけない出来事に対しては、
お互いにひたむきな努力で、
対処出来るものだと思っています・・。

更に、相手方の短所を見逃す勇気を持って下さい。
そうすれば、相手の長所が強調され、
一層、魅力的に思え・・、
お互いに楽しい時間が共有できる、
と確信しています。

大変、短い挨拶ですが、
私のお祝いの言葉に変えさせて頂きます。


このように祝辞を述べられた方がいた。

人づてに聞いた話に寄ると、
甥から、
『叔父さん・・電話で大変失礼ですが・・
私達の披露宴の時・・挨拶をお願いしたいのですが・・』と叔父宅に連絡したらしい。

この叔父さんは、定年退職の4年前の身であったが、
多忙で睡眠時間を削って、業務に専念している人である。

甥の立場として、中々つかまらない叔父さんで、止む得なく、電話で依頼をした、とのこと。

この叔父さんの奥さんの話に寄ると、
帰宅の12時過ぎ、入浴し、遅い夕食を食べた後、
奥の和室で押入れに向って、数回、祝辞の挨拶をしていた、と私は聞いた。

この叔父さんは明朗の方であるが、改めて人前で挨拶するのは、
幼年期に少しどもる癖があり、大人になっても、ときおり言葉をのみ込んでしまうので、
緊張しているらしい・・。

この叔父さんは小心者かしら、ともうひとりの自分が言っている。

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年、惜(お)しむ時節となり・・♪    《初出2006.12.8.》

2008-05-06 14:32:04 | 定年後の思い
東京の郊外はどんよりとした曇り空を迎えている。
曇り空で、ときおり雨が降るらしいが、
行いがよければ、曇れ空の一日となる。

ここ一週間は、年賀状の宛名の住所録の修正をしたり、
落ち葉を掃いたりしている。

街に出れば、クリスマスの飾りなどが見られ、
本屋に立ち寄ると、来年度のカレンダー、日記、ビジネス手帳が販売されている。

私は退職後の三年生の年金生活の身であるが、
多くの人々の今年のわずかに残す日々、何となくあわただしい過ごされている、
と思ったりしている。

我家は年末、年始に特に行事はないが、
やはり今年のこれまでを振り返ったり、残り少ない日を思うと、
多少しんみりとしている。

歳を重ねてきている今、少し惜別のような心を寄せている。

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街のある電気屋さん・・♪    《初出2006.12.7.》

2008-05-06 14:29:58 | 時事【社会】
私が日中、買い物と散歩をして帰宅すると、家内は居間で掃除をしていた。

困惑した表情で、
『シャンデリアの付け根・・壊れてしまったの・・』
と家内は私に言った。

私も少し見たが、駄目なようで、
『いっそうのこと・・新らしい物にしょうか・・』
と私は言った。


我家は新築28年過ぎて折、
このクリスタル・ガラスのシャンデリアもこの時の備えた物だった。
家内が年に2回前後の手入れで、
少し錆付いた箇所もあるが、今日を迎えている。

『新調するんでしたら、エアコンの買った処のお店にしましょう・・』
と家内は言った。

エアコンは1階と2階にあり、量販店で購入し、
家の中を少し工事の上、設置して貰ったが、
多少、乱暴と思えた。


前回の時は、あるメーカーの特約店の街の電気屋さんで、
多少割高であったがエアコンを取り替えて設置して貰った時、
工事の丁重さを私共は感じた。

私がインターネットであるメーカーのホームページで、
照明器具を検索している間、
家内は電気屋さんに電話をしていた。

一時間後、街の電気屋さんが来宅した。
『奥さん・・このシャンデリア・・長年お使いになって・・
愛着もお有りでしょう・・
第一もったいないですよ・・修理しましょ・・』
とシャンデリアを覗き込んで、家内に言った。

私は居間のはずれのソファーに座って聴いていたが、
少しびっくりした。

家内が電話をした時、新製品の商品名を告げて、
この電気屋さんに連絡したのであった。
家内が連絡後、下見にお邪魔したい、と言っていたという。

昨今、どの量販店、特に街の電気屋さんでは、
多少の故障でも新製品を私共に勧(すす)めるのが現状である。

結果として、この電気屋さんは修理を終えた後、
『申し訳ないのですが・・出張料として・・
1500円、頂きたいのですが・・』
と言った。

これには私達は、余りの小額にびっくりさせられた。

テレビ、ステレオのアンプにしても、
メーカーのメンテナンスの処に連絡して、来宅して修理した場合、
部品代1、000円と出張料と技術料で10,000円は、最低でも請求されるのが多かった。

家内は
『お茶を出しませんでしたので・・ほんのわずか・・』
と千円札を手渡した。

『あの電気屋さん・・偉いよ・・
愛着があるでしょう、と修理を勧(すす)めるんだから・・』
と私は家内に言った。

私達はこういう良心のある店もある、と改めて学んだりした。

尚、この電気屋さんは、成城学園駅の駅に近い電気屋さんである。



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名残りの錦繍・・♪    《初出2006.12.7.》

2008-05-06 14:24:41 | 定年後の思い
朝から、曇り空でときおり薄日の射す中、
買い物がてら散歩に駅前まで出かけてきた。

坂道の雑木林の旧道を上りながら、
道や周辺に落葉の朱色、黄色などの彩(いろど)りのある情景を見たりした。
そして上空を見上げれば、数多くの枝は空中に伸ばしていたが、わずかばかり葉を残していた。

東京の郊外も初冬となり、錦繍の時節の終わりを告げているようだった。

私は彩(いろど)りのある落ち葉を踏みしめて、晩秋に別れを告げた。


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