読売新聞の15日の朝刊で、
防衛庁跡地に東京ミッドタウン
都内一高く、2007年春開業
と見出し記事があった。
無断であるが、転記させて頂きます。
【
三井不動産は14日、国有地再開発として過去最大の規模となる防衛庁跡地(東京都・港区、10.2ヘクタール)の再開発計画の概要を発表した。
同社や積水ハウスなどの共同企業体が約3800億円かけて、
都内で最も高い54階建て(248メートル)の超高層ビルなど、
5棟の複合ビルを建設する。
名称はニューヨークのミッドタウンにちなんで、
「東京ミッドタウン」とする。
複合ビルには、オフィスやむ商業施設、賃貸マンション、ホテルなどが入り、
2007年の春に開業する。
既に、アメリカ高級ホテルのザ・リッツカールトンの進出や
サントリー美術館の移転、
富士フジフィルムや富士ゼロックス、ヤフーの入居が決まっている。
】
以上が記事の全文です。
私は昭和46年春から平成4年春まで、
六本木にある会社に通勤していた。
この六本木のはずれに、防衛庁があった。
六本木の地下鉄の駅を出ると、四丁目の交差点があり、
ここから二百メートル前後に東西南北に小さな複合ビルが立ち並びんでいた。
この繁華街のはずれに防衛庁があったので、
何となくとりとめのない感じを持った。
防衛庁の塀は、やすぽいコンクリートで囲みを造り、正門は頼りのない感じであった。
最初、この正門を通った時、昭和35年の安保闘争の時、全学連等のデモ隊が押し寄せた場所だったか、
と考え深げであった。
退社後、地下鉄の駅に向かうと、繁華街を目指した人々とすれ違った。
ビジネスマンは少なく、遊びに来ている人のほうが圧倒的に多かった。
この繁華街のはずれに防衛庁があったので、誰しも違和感を持っただろう・・。
その後、地下鉄の千代田線が開通となり、
『乃木坂』駅が出来て、この駅から防衛庁を通り、
四丁目の交差点までの大通りに客足が増えた。
確か昭和57年前後だった。
防衛庁も塀、門扉を一新し、小奇麗になった。
私は退社後、この通りを歩いて『乃木坂』駅に向かった。
途中、黒人兵が日本の若い娘と腕を組んだり、若い娘のグループ、
そして30前後のご婦人のノーブラに見惚れたりしていた。
その後、ディスコ・ブームとなり、
六本木の繁華街は益々大人のおもちゃ箱をひっくり返したの様に、
活気と喧騒につつまれていた。
しかし、この大通りの二百メートル前後の防衛庁だけは、
いつもひっそりしていた。
その後、市ケ谷にある自衛隊の基地に移転したが、
この跡地から江戸時代の小判が出てきた、と風のうわさで聴いた。
私は長年この防衛庁の前を通り過ぎたので、なつかしく綴った次第である。
私は、この「東京ミッドタウン」が開業しても、行かないだろう。
あの時代の空気を知っているひとりとして、
想い出を大切にしまっておきたいから・・。
防衛庁跡地に東京ミッドタウン
都内一高く、2007年春開業
と見出し記事があった。
無断であるが、転記させて頂きます。
【
三井不動産は14日、国有地再開発として過去最大の規模となる防衛庁跡地(東京都・港区、10.2ヘクタール)の再開発計画の概要を発表した。
同社や積水ハウスなどの共同企業体が約3800億円かけて、
都内で最も高い54階建て(248メートル)の超高層ビルなど、
5棟の複合ビルを建設する。
名称はニューヨークのミッドタウンにちなんで、
「東京ミッドタウン」とする。
複合ビルには、オフィスやむ商業施設、賃貸マンション、ホテルなどが入り、
2007年の春に開業する。
既に、アメリカ高級ホテルのザ・リッツカールトンの進出や
サントリー美術館の移転、
富士フジフィルムや富士ゼロックス、ヤフーの入居が決まっている。
】
以上が記事の全文です。
私は昭和46年春から平成4年春まで、
六本木にある会社に通勤していた。
この六本木のはずれに、防衛庁があった。
六本木の地下鉄の駅を出ると、四丁目の交差点があり、
ここから二百メートル前後に東西南北に小さな複合ビルが立ち並びんでいた。
この繁華街のはずれに防衛庁があったので、
何となくとりとめのない感じを持った。
防衛庁の塀は、やすぽいコンクリートで囲みを造り、正門は頼りのない感じであった。
最初、この正門を通った時、昭和35年の安保闘争の時、全学連等のデモ隊が押し寄せた場所だったか、
と考え深げであった。
退社後、地下鉄の駅に向かうと、繁華街を目指した人々とすれ違った。
ビジネスマンは少なく、遊びに来ている人のほうが圧倒的に多かった。
この繁華街のはずれに防衛庁があったので、誰しも違和感を持っただろう・・。
その後、地下鉄の千代田線が開通となり、
『乃木坂』駅が出来て、この駅から防衛庁を通り、
四丁目の交差点までの大通りに客足が増えた。
確か昭和57年前後だった。
防衛庁も塀、門扉を一新し、小奇麗になった。
私は退社後、この通りを歩いて『乃木坂』駅に向かった。
途中、黒人兵が日本の若い娘と腕を組んだり、若い娘のグループ、
そして30前後のご婦人のノーブラに見惚れたりしていた。
その後、ディスコ・ブームとなり、
六本木の繁華街は益々大人のおもちゃ箱をひっくり返したの様に、
活気と喧騒につつまれていた。
しかし、この大通りの二百メートル前後の防衛庁だけは、
いつもひっそりしていた。
その後、市ケ谷にある自衛隊の基地に移転したが、
この跡地から江戸時代の小判が出てきた、と風のうわさで聴いた。
私は長年この防衛庁の前を通り過ぎたので、なつかしく綴った次第である。
私は、この「東京ミッドタウン」が開業しても、行かないだろう。
あの時代の空気を知っているひとりとして、
想い出を大切にしまっておきたいから・・。