夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『東京ミッドタウン』・・♪   《初出2005.7.18.》

2008-04-21 19:50:45 | 現役サラリーマン時代の想いで
読売新聞の15日の朝刊で、
  防衛庁跡地に東京ミッドタウン
      都内一高く、2007年春開業

と見出し記事があった。

無断であるが、転記させて頂きます。


三井不動産は14日、国有地再開発として過去最大の規模となる防衛庁跡地(東京都・港区、10.2ヘクタール)の再開発計画の概要を発表した。

同社や積水ハウスなどの共同企業体が約3800億円かけて、
都内で最も高い54階建て(248メートル)の超高層ビルなど、
5棟の複合ビルを建設する。

名称はニューヨークのミッドタウンにちなんで、
「東京ミッドタウン」とする。

複合ビルには、オフィスやむ商業施設、賃貸マンション、ホテルなどが入り、
2007年の春に開業する。

既に、アメリカ高級ホテルのザ・リッツカールトンの進出や
サントリー美術館の移転、
富士フジフィルムや富士ゼロックス、ヤフーの入居が決まっている。



以上が記事の全文です。


私は昭和46年春から平成4年春まで、
六本木にある会社に通勤していた。
この六本木のはずれに、防衛庁があった。

六本木の地下鉄の駅を出ると、四丁目の交差点があり、
ここから二百メートル前後に東西南北に小さな複合ビルが立ち並びんでいた。

この繁華街のはずれに防衛庁があったので、
何となくとりとめのない感じを持った。
防衛庁の塀は、やすぽいコンクリートで囲みを造り、正門は頼りのない感じであった。
最初、この正門を通った時、昭和35年の安保闘争の時、全学連等のデモ隊が押し寄せた場所だったか、
と考え深げであった。

退社後、地下鉄の駅に向かうと、繁華街を目指した人々とすれ違った。
ビジネスマンは少なく、遊びに来ている人のほうが圧倒的に多かった。

この繁華街のはずれに防衛庁があったので、誰しも違和感を持っただろう・・。


その後、地下鉄の千代田線が開通となり、
『乃木坂』駅が出来て、この駅から防衛庁を通り、
四丁目の交差点までの大通りに客足が増えた。
確か昭和57年前後だった。
防衛庁も塀、門扉を一新し、小奇麗になった。

私は退社後、この通りを歩いて『乃木坂』駅に向かった。
途中、黒人兵が日本の若い娘と腕を組んだり、若い娘のグループ、
そして30前後のご婦人のノーブラに見惚れたりしていた。

その後、ディスコ・ブームとなり、
六本木の繁華街は益々大人のおもちゃ箱をひっくり返したの様に、
活気と喧騒につつまれていた。

しかし、この大通りの二百メートル前後の防衛庁だけは、
いつもひっそりしていた。

その後、市ケ谷にある自衛隊の基地に移転したが、
この跡地から江戸時代の小判が出てきた、と風のうわさで聴いた。


私は長年この防衛庁の前を通り過ぎたので、なつかしく綴った次第である。

私は、この「東京ミッドタウン」が開業しても、行かないだろう。
あの時代の空気を知っているひとりとして、
想い出を大切にしまっておきたいから・・。


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こだわり・・。   《初出2005.7.17.》

2008-04-21 19:41:06 | 読書、小説・随筆
昨日の読売新聞で、『編集手帳』というコーナーがあるが、
色々と考えさせられた・・。

無断であるが、転記させて頂きます。


瀬戸内寂聴。
村上春樹。
よしもとばなな。
いずれ劣らぬ当代の人気作家には、共通点がある。
文壇の登竜門といわれる芥川賞も、
流行作家への通行手形である直木賞も受賞していない。

昨年、19歳と20歳の芥川賞作家が誕生して話題になった時、
瀬戸内さんが本紙に寄せた一文は、
縁のなかった両賞への思いを語って印象が深い。

「この二つの有名な賞を受賞してなくても、
作家にはなれるという標本としての希少価値をひそかに誇っている」。

二つの賞が創設されて今年で70年になる。
第1回の石川達三(芥川賞)、川口松太郎(直木賞)以来、
受賞者の錚々たる顔ぶれがあればこそ、
瀬戸内さんの言う無冠の「希少価値」も一層輝くのだろう。
    
     (略)

心ひそかな矜持を語った瀬戸内さんの言葉には続きがある。

「(芥川賞と直木賞の)授賞式には、
どんな好意を持っている受賞者がいても出席したことはないし、
これからも出席しないであろう」と。

すでに独自の文学世界を築き、
仏につかえる心静かな境地にいる人の胸にも、
小さなわだかまりを刻印する。
伝統の魔力だろう。


以上が新聞記事であった。


私が東京オリンピックが過ぎた翌年の頃、
このお方が、瀬戸内晴美であった頃、私はひとつの小説を友人間で絶賛した。

昭和38年に発表した『夏の終り』であった。
そして、この作家の『花芯』、『女子大生・曲愛玲』等を読んだりした。
確かに《瀬戸内晴美・初期全集?》あった、と記憶する。

本は3000部程度が、純文学の世界だし、
それ以上売れた場合は、文学評価と違った要素である、と綴られていたので、
私はびっくりした。

この人の昨今まで、新聞記事のように、
ある程度の世界を築かれても、
わだかまり、があるのには、驚きを禁じえない。

人は、幾つになっても、達観が難しい、と今更ながら考えさせられた。
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井上陽水を聴きながら・・♪   《初出2005.7.14.》

2008-04-21 19:34:04 | 音 楽
本の整理をしながら、【GOLDEN BEST/YOSUI INOUE】を聴いている。

この人の曲に出会ったのは、『傘がない』であった。

喫茶店のカウンター席で聴き始めた時、椅子から転げ落ちそうになった・・。
多分、昭和47年頃だったと思う。

その後、『心もよう』、『いっそセレナーデ』、『最後のニュース』、『少年時代』等は、
少なくとも百回以上を聴いている。

この人は、他の人に『飾りじゃないのよ 涙は』、『ワインレッドの心』等の名曲を提供している。

この人は、その時代を切り取ったり、
叙情、世情のジャンルを展開させる達人である。

これだけ多岐にわたり作詞・作曲を出来る人は、
この人と中島みゆき以外、私は知らない。

この人を詳しく知りたければ、
発表された時代を思い浮かべ、作詞の内容を理解した上で、
海老沢泰久・氏の『満月 空に満月』を読まれると良い、と思います。


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昨今の流行(はやり)言葉に憂い・・♪

2008-04-21 19:27:37 | 時事【社会】
東京の郊外は、日中の最高気温は23度程度で、5月の中旬頃の気候である。
昨日に続き、梅雨寒の一日になりそうです。

昨日のニュースで、文化庁が言葉の使い方の調査を報じていた。

私は、ここ10数年に気になる言葉がある。

★はまる

若い人が使うのは、言葉の感性が乏しいと苦笑するが、
少なくとも40歳以上の人達は、いかがなものかしら、と思っている。
この言葉は、江戸時代以来、枕詞に近いものと男女間の会話と、私は思っている。

夢中になっている。
熱中している。

少なくとも、ある程度のお年の方は、使って頂きたい。

反論される方の多くは、流行している言葉を使わないと、
時流から取り残される、と危惧し、
あえて使っている方も見られる。

言葉は時代を写す鑑(かがみ)と称されるが、
日本の美しい言葉あるのに、乱れるほうが恐い。


★ムカツク

同様である。
このような言葉を相手方から、聞いた時、私の方が嫌な感じを感じる。
私の現役時代に、職場で若い方が使っていて、
感性の乏しい人、と感じたのである。

言葉は、貧富の差とか社会の地位とかは関係なく、
その方の人格を表すと確信している。






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夕暮れの買物・・♪   《初出2005.7.12.》

2008-04-21 19:20:44 | 定年後の思い
家内の父は、昨年の秋に亡くなったので、今年の夏は新盆にあたり、
家内は家内の母と二人連れでお墓参りを兼ねて温泉滞在に行った。

早朝、家内を見送った後、蒸し暑くなったので、
居間にエアコンの冷房をセットし、新聞を読んだりする。

その後、このブログに二編綴り、別日記にも一編綴り、
この間に『宮脇俊三の旅』を再読したりした。

夕暮れになると、日中は冷房の中でいたので、
身体に良くないので、散策に出かけた。
蒸し暑い日中であったので、夕暮れ時でも30度を越えていた。

コンビニで『文藝春秋』を買い求めた後、
スーパーに行き、夕食の副食を捜していたら、日本酒のコーナーを見た。

ここ10数年、駅前の酒屋より、純米酒の辛口の地酒を取り寄せていたので、
銘柄に関して偏っていた。
旅行先では、その地の地酒が何よりの楽しみのひとつである。

初めて見る銘柄があった。

純米の辛口原酒で、『福乃光』であった。

金沢で最も長い歴史と伝統を誇る酒蔵、福光屋、書かれていた。
そして、キレがよく、しっかりとしたコクのある味わいは・・と書かれて、
18度以上19度未満・・

呑兵衛さんの私は、こうした文面に弱い。

お酒は女性と同様に、初めての出会いには、ときめきを憶える。

9時過ぎの夕食の時、この『福乃光』を冷やしたを、
ぐい呑みの選択は迷ったが、呑んだか、良好であった。

原酒の特徴でもある度数が濃く、しっかり辛口の味わいがあった。

こうした時、至福のひとときとなる。

良き出会い、と思いながら、ぐい呑みにそそいだ・・。



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花梨(カリン)の実・・♪   《初出2005.7.2.》

2008-04-21 19:11:37 | 読書、小説・随筆
花梨の樹木は、晩秋に黄葉し、落葉する。

四月の初旬に、小さな可愛らしいピンクの花を咲く。
この頃は、新年度が始まるので、
相応しい雰囲気をもたらし、春を感じる。

やがて花が終りと、新芽がいっせいに芽吹いて、若葉となる・・。

数週間過ぎると、ほんの小さな実がすずなりに成っているのが、観ることが出来る。

そして入梅の頃、梅干ぐらいの大きさになると、
おおかた実は地上に落とされる。
自動選別のようで、可哀そうであるが、
成熟した実を十数個の為に、自ら振るい落とす。

そして秋になると、淡い緑色の実は、黄色に変わり、成熟した実と成る。

やがて葉は、黄葉となり、晩秋の陽射しの中で、落葉し、
地上は黄色い絨毯となる。


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初夏、木槿(ムクゲ)の咲く頃・・♪   《初出2005.7.1.》

2008-04-21 19:06:31 | 読書、小説・随筆
茶花として、夏は木槿(むくげ)、冬は椿が代表される
と古来から言われている。

初夏のひととき、部屋の中に、宗旦木槿を一輪挿すのも、清々しい・・。

私は、高砂木槿は嫌いである。
宗旦木槿に似た底紅であるが、花びらが白でなく、淡紅色である。

或いは、宗旦木槿は和室に良く、
ホテルのロビーの外れには、高砂木槿は引き立つ。

このようなことを思い立っていたら、
山口瞳・氏の随筆を通して、
向田邦子・女史の顔立ちがほんのりと浮んできた。

初夏の朝のひととき、庭先を見詰め、このようなことを考えていた・・。
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たそがれのひととき・・♪

2008-04-21 17:51:00 | 定年後の思い
昼寝から目覚めたのは、5時過ぎであり、
夕陽が射しこむ中、主庭をぼんやりと眺めていた・・。

小鳥を見かけ、眺めてたりしているが、
定期便のように飛来する小鳥である。

地上の何かしらを啄(つい)ばんでいるのであるが、
三羽ばかりが、ちょこちょこと移動しながら、啄ばみ、
そして樹木に移ったりしている・・。

空は真っ青な色合いを見せて折、
夕暮れ前の長閑(のどか)なひとときである。

私は朝から他ブログ(『年金青年のたわむれ記』)の投稿を精力を傾け、
14通ばかりと北海道に行った時の長い紀行文らしきのを投稿した。

総計15通であったが、かっての熱き思いを浮かべて綴ると、
疲れるのであるが、私なりに生きた証(あかし)を考えれば、
楽しい限りである・・。

さすがの私は齢を重ねた身であるので、
3時過ぎに中断し、昼寝としたのである。

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イチジク・・♪   《初出2005.7.8.》

2008-04-21 15:13:54 | 食べ物、お酒
東京の郊外は、どんよりとした曇り空となっている。
午後になると、雷雨に伴いにわか雨が降る、と予測されている。

ロンドンでは、テロによる爆破で多くの人々が亡くなり、そして負傷した。
宗教・民族の相違による思想の違いで、
それぞれが制圧・除去と最悪の事態となっています。


こんな事を思い、考えながら庭を歩いた。

ふと、イチジクの樹木に目をそそいだ。

3本のイチジクには、たわわに実をつけている。


このイチジクは、家内の友達より、15年前頃に頂いた樹木である。

幹が1センチで、60センチ位のかよわい樹であったが、
3年後には実をつけた。
そして数年後は、幹が5センチとなり、高さは2メートルに達した。

4月の中旬に芽吹き、日増しに葉を拡げ、
6月になると、小さな実がたわわになる。

そして今は、5センチ前後の実に成長している。

夏の間に成熟し、私は頃合いを見て、もいでいる。
家内は、成熟状況により、食べたり、ジャムにしたりしている。
そして、ジャムの完成した頃、長兄の宅に届けたりしている。

イチジクは、婦女子の食べ物であるので、私は食べない。

11月の初旬になると、早くも黄葉し、中旬になると落葉する。

梅、紫木蓮、もみじの樹木の中で、いちばん遅く芽吹いて、
いちばん早く黄葉する不思議な樹木である。

こうして春から、晩秋にかけて、うつろう日々を
確かに彩ってくれる樹木のひとつである。

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季節で変わる、映画鑑賞・・♪   《初出2005.6.28.》

2008-04-21 14:28:15 | 映画・テレビ
私は映画鑑賞が好きである。

魅了された作品は、何回も観る。
『二十四の瞳』、『七人の侍』、『東京物語』、『駅~STATION~』、
『街の灯』、『第三の男』、『ライムライト』等は10年ごとに観る。

或いは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、『ゴッドファーザー Ⅱ』のように、
最初1ヶ月には、10回以上を観る映画もある。

その時に、観たい作品が手元にあれば、
洋画・邦画を問わず、観られれば喜ばしい・・。

定年の5年前に、ビデオ・ラックを買い改め、
250本が収納できるケースを2本揃えて万全とした。

しかし、時代はビデオ・テープからDVDに移行したので、
これにも対応した。

こうして月日が流れるのに伴い、作品の保管数も増え、
定年する頃、止む得ずもう一本天上まで届く、そして幅の広い大きなラックを購入した。

今の時点では、洋画・邦画・映画以外のドキメンタリー、音楽の四つの区分し、
居間で鑑賞しているのである。

冬の季節の時は、『アラビアのロレンス』、『イングリッシュ・ペイシェント』、『プラトーン』等の
砂漠、ジャングルの背景としたものが多くなる。

夏になると、『ドクトル・ジバコ』、『かくも長き不在』等の
寒冷地、戦争を背景とした鑑賞が多くなる。

不思議なものであるが、夏の猛暑の時、『アラビア・ロレンス』の砂漠は、
暑くて落ち着かない。

かといって、寒いぐらいに冷房を冷やして、
鑑賞するのも映画の内面からして、おかしな事である。



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落合信彦・氏から学んだこと・・♪   《初出2005.6.24.》

2008-04-21 14:12:57 | 読書、小説・随筆
今朝の読売新聞の新刊の広告で、

落合信彦『虎を鎖でつなげ』本日発売

ついに中国が台湾侵攻を決断!!

作戦名「身構える虎」
それは2007年、国内大分裂によって
政権存続の危機に直面した中国共産党の最終選択肢だった。
このままいけば米中最終戦争に発展し、
東アジアは壊滅する!

作戦発動を阻止するために、
100分1の勝機に賭けて起ち上がるプロの戦争請負人。
期限は3ヵ月。
大国相手に、わずか50人の傭兵部隊が仕掛ける究極のミッション。

と書かれていた。

私は中国の将来の崩壊説は、数多くの書物があるが、
この作者の仮説をある程度信頼している。

私は予定を変更して、暑い日中に本屋に行った。


1980年頃、一冊の本にめぐり合った。
『二0三九年の真実~ケネディを殺った男たち』だった。

私は日本人ばなれのスケールの大きい人と思った。
このように国際舞台を背景にスケールの大きいテーマを描く人は、
私の知る限り、フレデリック・フォーサイスしか知らない。

国際社会で政治・軍事・外交を基に、
これからの歴史の仮説を明示するのに、魅了された。

現時点までの隠された歴史をさらけだし、
今後の歴史を予測し、具体的に明示している。

歴史の過去とこれからの国際的な国益の争いにより歴史は塗り替えられる、
これらのことをある部分に関して、
この二人の作家から学んだ。


私はフレデリック・フォーサイスと同様に新刊が発売されるたびに、
この落合信彦・氏の本を購入し、
私の本棚には20冊以上となっているはずである。

最近、ここ数年は落合信彦・氏から、遠ざかっていたが、
中国の破局のテーマだったので、心が動いたのである。


これは余談であるが、以前、アサヒビールに住友銀行から建て直しに、
最高責任者として一人の男が投入された。

そして、このお方の元で《ドライ》ビールの発売により、
結果として、アサヒビールは再建し、躍進した。

このお方が再建をはじめられた頃、日経新聞の愛読書のアンケートで、
立原正秋・氏『男性的な人生論』と書かれていた。

経済人の多くは、司馬遼太郎・氏の『坂の上の雲』、経済専門書、
歴史専門書等を選定することが多い中で、
中々気骨の或る人とであり、解る人解る、と私は思わず共感してしまい、
ビールはアサヒビールに切り替えた。

この頃、ドライビールの宣伝ポスターに、落合信彦・氏が起用されていた。

私は、ビールを呑む際は、アサヒピールと決めつけて、
ドライビールが快走するまで10年は呑み続けたのである・・。





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扇子(せんす)と団扇(うちわ)の頃・・♪   《初出2005.6.23.》

2008-04-21 14:02:35 | 定年後の思い
昨今、この梅雨時の季節になると、エアコンを除湿をセットし、
夏になると冷房に切り替える。

現役時代のとき、退社後に駅で電車を待っている時、
プラットホームは暑いので、扇子を取り出し、扇(あお)いだりしていた・・。

以前、会社の業務に知り合った英国の方が帰国する際、
私は彼に、奥様にと扇子をプレゼントしたことがあった。

雪花染めといって、こうぞ紙を一枚一枚に手染めで仕上げた
若草色した華やかさがあり、
雪の結晶のような模様をした扇子であった。

二週間後、この奥様より、丁重な礼状が着いた。
今では私の大切な宝物になっている。


団扇は、寝室に於いて、布団にもぐっている時、
ときたま扇いだりしたいた。

真夏になると、やも得ず、居間と寝室は冷房をする。

家内は冷房が苦手なので、
居間の冷房は《弱》で、28度に設定している。
私は、冷房大好き人間であるので、五、六年前以前は、
私達の夫婦はこの期間で、冷たい戦争、が起きていた。

寝室に関しては、寝室に入る数時間前に《強》にして、
寒いくらいにして、布団に入った時、とめる。
こうすれば、私共は朝まで快適に眠れる。

日本風土に住み、畳の上で団扇を扇ぎ、涼をとり、
家族団らんを過したのは、いまやまぼろしとなった。



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『沖縄よみがえる戦場』歴史を突きつけられる時・・。《初出2005.6.19.》

2008-04-21 13:51:42 | 時事【政治・経済】等
昨日のことだった・・。

日中は庭の手入れをして、曇り空の予報が外れ、快晴に近い日だった。

夕方、入浴を済ませ、けだるい身体と手先の指の痛みを感じた。
草むしりに専念し、草をつまんで引き抜いたため、
このマウスを握る時も、痛みを感じている。

居間のはずれで、安易なベットで、風に吹かれながら、一時間ほど仮眠する。

夕食後、何気なしにテレビを観た。

NHKスペシャル『沖縄よみがえる戦場』

地上戦に巻き込まれた住民たち

初めて語る過酷な体験

とサブ・タイトルだった。


沖縄に住む老婦人が、沖縄に米軍上陸で逃げ惑い、洞窟に避難し、
自決の覚悟をしたが、米軍の攻撃により、やも得ず投降した時、わが子を失う・・。

幼き少女が沖縄北部に逃げて、山間部に潜む日本軍の手で被弾する。
この時、多数の婦人達がいて同時に、浜辺で処刑された。
日本軍はこの避難民が米軍に通報するのではないか、と疑惑の元で処刑された・・。
この幼き少女が今、60何歳かでこの時の婦人のひとりと再会をする。

概要であるが、このような内容である。

私は昭和19年9月生まれで、敗戦の1年前に東京の郊外で生を受けた。

私は沖縄について、20歳以来、あの時の大戦で、
日本が敗戦濃厚の時、日本の防波堤になった、と確信している。
そして私は縄に対し、すまないような、
後ろめたさを私は何時も思っている・・。

この時の大戦で、沖縄を含め、多くの日本本土の方も被害を受けている。

戦争とは、かくも残虐な殺し合いである。
国民の多くが被害をこうむり、
時の政権を掌握する人と軍人の一部の人々が恩恵が有るが、
どの時代でも戦争の過酷さである。

こうした重みの前に、私は言葉を失う・・。

日本人のひとりとして、
避けて通れない歴史の1ページを突きつけられたのである。





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ホタル族になった頃・・♪   《初出2005.6.18.》

2008-04-21 13:36:53 | 定年後の思い
昨年の秋に定年退職し、パソコンに色々と家計の管理表等を強化したり、
ブログの世界を知る前だったので、電子メール等を発信したりしていた。


定年の3年前に自身が魅了されたパソコンとこれに伴う机と椅子を一新し、
定年後に備えたのを使用している。

パソコンの左横に、煎茶と灰皿をお盆に載せて、
精力的に座る時間が多くなり、煙草の本数も増えた。

現役の頃は、1カートン(10箱入り)のチェリーを1週間で喫っていたが、
1日に2箱以上になった。

晩秋から居間は、暖房をするので、
1日の大半にパソコンのある居間の換気が問題となった。

そこで決心した。
家の中では、煙草を喫わないと・・。
パソコンの横、寝室、食事のテーブルを含めて、一切やめた。
最初の頃、ちょっと手持ちぶたさと思考する時に脳裏が鈍くなった。

こうした時、玄関庭の軒下、主庭のテラスなどで喫った・・。
庭の樹木や草花や空の色合いを観て、
思考したり、季節のうつろいを感じたりした。

そして庭にある樹木や草花に気になりだして、
手入れのする時間も多くなった。

庭先に出る時は、下駄を履き、冬の時は足袋を履き、
それ以外の季節は素足となる。
そして煙草の本数も1日に1箱となった。

こうして家の中から出て、庭先で煙草を喫いながら、
身過ぎ世過ぎの事や思考する時間のひとときを過している。

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X JAPANの想いで・・♪   《初出2005.6.15.》

2008-04-21 13:25:46 | 音 楽
1997年10月に発売したGLAYのベスト盤が、
CDとして空前の売り上げをしていた頃、
12月にX JAPANの『Forever Love』が発売された。

これ以前に、グループ解散、と新聞記事をにぎ湧かせていた。

私としては、GLAY『HOWEVER』を年末近くに発売するので、
最も勢いのあるGLAYに目がいっていた。


私の母は、この頃に入退院を繰り返していた。

年末に、X JAPANはラスト・ライブを東京ドームで行なう、と聞いていたが、
母のこともあるので、見送った。

年末の『紅白歌合戦』には、GLAYと
ライブを終えたX JAPANが出演していた。

私としては、初めて観るX JAPANだった。
ひどく疲れきった表情が伺えた・・。

この年の後半期は、GLAYの勢いに音楽業界は染められていた・・。


お正月を過ぎて、母は亡くなった。

1月30日の夜、NHK『X JAPANの軌跡 感動のドームライブ』が放映された。

歳末の東京ドームのラスト・ライブを中心にグループの結成から解散まで、
各アーティストのメンバーのインタビューも交えていた。

こうしてX JAPANの全貌を知ることとなった。

バラードにしろハードの曲は、すんなり心に沁みてきた。

これまでハード・ロックのグループは、
横浜アリーナでボン・ジョヴィ等の三つの洋楽のライブを観にいったが、
言葉の壁はあつかった・・。

X JAPANの曲も良いが、生命線は作詞である。

こうしてこのライブのビデオを帰宅後、半年間にわたり、毎晩観た。

そして、過去のCD作品を次々と買い求めて、深まっていった・・。

この数年後、『Rusty Nail』は心身のビタミンです、
と友人等に綴った。


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