夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『ピカピカの一年生』朗報を視聴して・・♪

2008-04-07 18:07:00 | 定年後の思い
東京の公立小学校は、一斉に入学式が行われた、
とニュースで視聴し、私は微笑んだのである・・。

東京の数多くは染井吉野(ソメイヨシノ)は散り、
山桜(ヤマザクラ)が咲き始めているので、少しお気の毒と感じたのである。

染井吉野の淡いピンクの花びらの樹の下で、
明るい笑顔の入学生・・・
これ以上の微笑ましい光景はないので、
少し残念と思ったのである。

ニュースを視聴したりしていると、
幼稚園を卒園された幼き少年、少女たち、
新たな学びの小学校で、良き友達をたくさんつくってね、
と私は思わず声で支援したくなる。

私は齢を重ねた63歳の身であるので、
今の入学生は、平成の何年うまれかしら、
と思ったりした。

そしてお子様の育成された若きご両親に、
おめでとう、と呟(つぶや)きながら、
何かとご苦労様でした、
と私は感謝の言葉を重ねたい心情となったのである。
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上総亀山滞在記-完 

2008-04-07 16:18:55 | 
家内と家内の母が、釣りをすると、昨夜に約束していたので、
私は付近を散策することとした。

昨日、遊覧船で廻った反対の方面を歩き出した。
この湖は幾つかの川が集約して出来ていたので、
数多くの橋が架かっている。
昨日とは別の遊覧船で、湖畔コースめぐりをするため、
目的とした遊覧船に行ったが、
休日のため、別の遊覧船乗り場を探した。

あちらこちらと探した結果、
F.コテージつばきもと、と書かれた看板があったので、
湖畔に向かって坂道を下った。
大きなケヤキの枝から、数多くの葉が空中に漂い、
パラパラと頭上に舞い降りてきた・・。

湖畔沿いにペンション風のコテージが見えてきた。

コテージの庭は広く、枯れた芝生の上に、
十数本の桜、ミズナラが朱色したふんだんの葉、
そしてイチョウ手の黄葉した葉が陽射しを受けていた。
湖畔の遠くの対岸の渓谷は深緑の常緑樹の中に、
黄色と朱色の落葉樹が複雑なパッチワークのように彩っていた・・。

テラスでビールを飲みながら、この庭園と湖上を見ていたら、

  このテラスにいると
     すべての人が
        詩人になる

と思えた。

ホテルの帰路、昨日の蕎麦屋に入り、遅い昼食とした。
そばつゆは昨日より幾分甘くは感じられたが、
都会の蕎麦屋より遥かに高密度が保たれていた。

ホテルの大浴場の窓越しに、
部屋から見えた桜の樹は、葉は全て散り落とし、
ここ数日の時が過ぎたことを教えてくれた。

明日は帰宅するが、三泊四日であったのか、
親子三人がのんびりとすごせた、と心身とも感じた・・。


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上総亀山滞在記-1 【2004.11.29. ~ 12.1.】

2008-04-07 16:12:39 | 
家内の父の四十九日だった。
家内の母が、千葉県木更津のはずれに墓地を求めていたので、納骨に訪れた。

死去後、何かと慌ただしい日々が過ぎていた。

JRの支線で久留里線の終点に亀山温泉があったので、
この地でゆっくりと休養を取る事とした。
亀山は房総半島のほぼ中心部に位置し、人造湖があり、
湖畔の周囲に宿泊場所が点在し、晩秋が終わりかけている所と想像していた。

ホテルに夕暮れまじかに着いた。
部屋のベランダ沿いに小さな石庭があり、
すぐ目の前の湖畔の周囲は桜の樹が群生し、
朱色した葉があたりを染めていた。
この桜に寄り添うようにイチョウの大きな三本の樹木が
黄色した葉がふんだんに彩っていた・・。

夕食後、ホテルのパンフレットを見ていたら、
日本で一番遅いと言われる紅葉・・と書かれていた。
この周囲が紅葉の真っ盛りが、理解できた。

     ☆ ☆ ☆ ☆

早朝の湖面は、朝霧につつまれてあたり一面、乳白色だった。

家内と家内の母と三人で、湖岸に沿った遊歩道を歩く。
湖岸には公園が多く、ベンチが湖面に向かい、
芝生を張りつめた上に桜、ミズナラの朱色の葉が、
湖上からの微風で揺らいでいた・・。

切り通しを歩いていたら、路上の落ち葉は朝霧で濡れて、
陽射しを受けていた・・。
あまり手を加えていない雑木の中で、
大きな紫式部の群生が、たわわに実を付けていた。
うつかりすると、見過ごしてしまいそうだった。
今年も確かに、秋が受容できた・・。

紅葉クルーズと称した、湖上の遊覧船に乗る。
この湖は幾つかの蛇行した川の集まりだったので、
渓谷がそれぞれに変化し、渓谷の樹木も移ろった景観を見せている。

錦秋の名所の光景は、全国に数多くあるが、
形作られた面が多く、一面不満が残る。
この湖、湖畔、渓谷沿いの樹木は、どこか懐かしい風景だった。
日本のふるさとの原点である風景に思え、胸に沁みた・・。

ホテルに戻る途中に、手打ち蕎麦の看板が見えたので、蕎麦屋に入る。
手打ち蕎麦、看板に書かれている場合にしろ、
或いはお品書きに書かれていても、大方満足することは少ない。

『手打ちそば 上総屋京兵衛』は、蕎麦はやや硬めで、
手打ち特有の口の中で不均一の程度が良く、そばつゆは濃くて、深い。
葱にしろ山葵にしても完成をしている。

今日みたいな日は出来すぎだ、
と家内に言ったら、笑っていた。

旅先でこうしためぐり合わせが、
生きているうち、あと何回巡ってくるか、
と考えながらホテルに戻った。

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『弘法寺の枝垂れ桜』の想いで・・♪

2008-04-07 06:08:00 | 定年後の思い
昨日の日中は庭の手入れに専念していたので、
夕方の6時過ぎに寝付き、深夜の一時過ぎに目覚めた・・。

少しぼんやりとして、読売新聞の朝刊を読み残した記事を読んだりした・・。

歌人・長谷川 櫂の【四季】の連載記事を読みながら、
私は微笑んだのである・・。



まさをなる空よりしだれざくらかな
          
           詠み人・富安風生


俳句を選定し、氏の解説に、


『南総里見八犬伝』の伏姫にちなんで伏姫桜。
千葉県市川市真間の弘法寺にみごとな枝垂れ桜がある。
この句、春爛漫の青空から滝しぶきのように枝垂れ落ちてくる薄紅の花また花。
樹齢四百年、江戸幕府が開かれたころからここにある。


と綴られて折、弘法寺にある満開に咲き乱れる写真が掲載されていた。


私は家内と結婚し、市川市真間山の最寄にある賃貸マンションを借りて、
新婚生活のスタートしたのは、昭和51年の春であった。

マンションの窓辺から、真間山にある弘法寺(ぐほうじ)が一望でき、
私はこの情景に魅せられて、借用したのである。

家内は中学生の頃から茶事を学んでいたので、
弘法寺の隅にある茶室も使わせて頂いた体験もあるので、
新婚旅行から帰宅した後、私達は休日にたびたび弘法寺を散策したりした・・。

ここで枝垂れ桜に出会ったのであるが、
私は呆然と立ちすくしたのである。

『XXちゃん・・見事な枝垂れ桜だよねぇ・・
まさに美の結晶だょ・・』
と私は新妻に云ったりした。


http://seaport.hp.infoseek.co.jp/guhoji.html

ネットで検索し、作者は不明ですが,
『真間山弘法寺の枝垂桜』と題されたのを無断であるが掲載させて頂きます。
《撮影日・平成17年4月》
注意・私が観た頃の時代は、このような華やかでなく、
もう少し静寂な情景でした。


私達夫婦は、この地に人生のあらゆる出発としたかったので、
この地に本籍を移した。

そして私達は弘法寺から里見公園の桜を誉(ほ)めたりして、
桜の時節を過ごした。


2年間ばかり真間山の付近の賃貸マンションで新婚生活を過ごした後、
私の実家の近くに一軒屋を構えた。

家内が『戸籍謄本』が必要となり、私は一人で市川市の市役所で受領した後で、
私は懐かしい弘法寺に立ち寄ったのは昭和54年の春であった。

小雨の降る中、枝垂れ桜は煙るような光景であり、
私は傘を差しながら、ため息をしたりし、長らく見つめていた。


このような情景を齢を重ねた63歳の私は思い返したりしている・・。

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ときには、庭の手入れ・・♪

2008-04-07 03:08:00 | 定年後の思い
昨日は朝の8時過ぎから庭の手入れをはじめた・・。

5月初旬のような陽気に恵まれ、樹木の剪定、草むしりをしたのである。

我家は原則として、庭の手入れは私の責務の範疇であるが、
年に数回ぐらい家内の支援がある。

私は剪定用の鋸(のこぎり)で樹木の枝葉、
家内は高枝鋏(たかえだばさみ)で枝葉を切り落としていた・・。

私は樹に登り枝葉を切り落としていたが、地上から、
『その枝も切り落として・・』
と家内の声がするのである・・。

私は太い枝は残すつもりであったが、家内の要望を聞き入れ、
剪定鋸をしいたのである。


私は年金生活の4年生で63歳の身であるので、
先々の体力の衰えを配慮し、樹高は数メートル程度にしょう、
と家内と私の定年退職時の2年前に話し合っていた。

この話し合いの直後、樹高は5メートルは遥かに超えていたので、
植木屋さんに依頼して剪定して貰ったのである。

我家の庭は、敷地の変形と家屋の関係で、主庭、玄関庭としたが、
当初、私は若き33歳の身でありローンの重みで、
やむえず雑木が主体とした。

かぼそく頼りない雑木も10年過ぎれば成長し、
私は勝手に枝葉を剪定していたのである。

植木さんに樹高を3メートル前後と依頼した結果、
雑木はまるで丸太棒のような樹形となり、
私達は驚いたが、翌年からはそれなりに芽吹き、美形と成し、
やはりその道のプロと植木屋さんを思い返していた。


家内と3時過ぎまで庭の手入れをし、家内が入浴している間、
私は庭の隅で、缶ビールを呑みながら、
煙草を喫い、それなりに短くした雑木を眺めたりした。

私は入浴後、お互いに疲れ切っていたので、
いつもの寿司屋さんに注文し、昼食兼夕食とした。

居間の庭の眺められるテーブルで、
私は純米酒を呑みながら、寿司を頂だいた。
夕陽の射しこむ主庭を眺め、家内と他愛ない話をしていると、
弐合徳利を呑み干してしまい、少し酔いを感じたのである。

『俺も・・弱くなったよ・・
早いけれど寝るよ・・』
と私は家内に云った。

私は夕方の6時過ぎであったが、寝室の布団にもぐり、
本を数ページ読んでいるうちに、眠りこんだのである。

私は目覚めた時は、深夜の1時過ぎで、
少しぼんやりとしている、

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