夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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『東京ミッドタウン』・・♪   《初出2005.7.18.》

2008-04-21 19:50:45 | 現役サラリーマン時代の想いで
読売新聞の15日の朝刊で、
  防衛庁跡地に東京ミッドタウン
      都内一高く、2007年春開業

と見出し記事があった。

無断であるが、転記させて頂きます。


三井不動産は14日、国有地再開発として過去最大の規模となる防衛庁跡地(東京都・港区、10.2ヘクタール)の再開発計画の概要を発表した。

同社や積水ハウスなどの共同企業体が約3800億円かけて、
都内で最も高い54階建て(248メートル)の超高層ビルなど、
5棟の複合ビルを建設する。

名称はニューヨークのミッドタウンにちなんで、
「東京ミッドタウン」とする。

複合ビルには、オフィスやむ商業施設、賃貸マンション、ホテルなどが入り、
2007年の春に開業する。

既に、アメリカ高級ホテルのザ・リッツカールトンの進出や
サントリー美術館の移転、
富士フジフィルムや富士ゼロックス、ヤフーの入居が決まっている。



以上が記事の全文です。


私は昭和46年春から平成4年春まで、
六本木にある会社に通勤していた。
この六本木のはずれに、防衛庁があった。

六本木の地下鉄の駅を出ると、四丁目の交差点があり、
ここから二百メートル前後に東西南北に小さな複合ビルが立ち並びんでいた。

この繁華街のはずれに防衛庁があったので、
何となくとりとめのない感じを持った。
防衛庁の塀は、やすぽいコンクリートで囲みを造り、正門は頼りのない感じであった。
最初、この正門を通った時、昭和35年の安保闘争の時、全学連等のデモ隊が押し寄せた場所だったか、
と考え深げであった。

退社後、地下鉄の駅に向かうと、繁華街を目指した人々とすれ違った。
ビジネスマンは少なく、遊びに来ている人のほうが圧倒的に多かった。

この繁華街のはずれに防衛庁があったので、誰しも違和感を持っただろう・・。


その後、地下鉄の千代田線が開通となり、
『乃木坂』駅が出来て、この駅から防衛庁を通り、
四丁目の交差点までの大通りに客足が増えた。
確か昭和57年前後だった。
防衛庁も塀、門扉を一新し、小奇麗になった。

私は退社後、この通りを歩いて『乃木坂』駅に向かった。
途中、黒人兵が日本の若い娘と腕を組んだり、若い娘のグループ、
そして30前後のご婦人のノーブラに見惚れたりしていた。

その後、ディスコ・ブームとなり、
六本木の繁華街は益々大人のおもちゃ箱をひっくり返したの様に、
活気と喧騒につつまれていた。

しかし、この大通りの二百メートル前後の防衛庁だけは、
いつもひっそりしていた。

その後、市ケ谷にある自衛隊の基地に移転したが、
この跡地から江戸時代の小判が出てきた、と風のうわさで聴いた。


私は長年この防衛庁の前を通り過ぎたので、なつかしく綴った次第である。

私は、この「東京ミッドタウン」が開業しても、行かないだろう。
あの時代の空気を知っているひとりとして、
想い出を大切にしまっておきたいから・・。



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1 コメント

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防衛庁 (yuhoh)
2008-04-22 09:05:20
この名を聞くと懐かしくなるのです。東京の美術館系の責任者理事長時代です。
出品する作家のために、防衛庁長官賞を出してもらいに足を運びました。虎ノ門の先と覚えていますが、六本木だったのですね。会が所有する車の運転手付きででかけましたから、地理には曖昧な記憶なのです。
長官が久間さんだったと記憶しています。
事務官が骨折ってくれてその後省になり、毎年一人大臣賞受賞に到っています。平和に因んだ優秀作品を授賞対称にしています。
今は愛知に戻り、地方の賞だけにしていますが、懐かしい思い出です。
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