夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

いつも愛用しているサイトが使えない時は・・♪

2008-04-09 17:52:00 | 定年後の思い
私は、この『OCN Cafe』がメンテナンスすると知ったのは、
昨夜であったので、本日の午前中は使用できないと思っていたのである。

私はリンクしている『gooブロク』の再開をする為に、
整理をしたりしていた。

午後、しばらくして、メンテナンスが夕方の6時完了予定と知り、
先程、この『OCN Cafe』のメテナンスが終了したのであるが、
改善された箇所は不明である。

テストの意味合いを含めて、綴った・・。
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北海道紀行【2005.5.27. ~ 5.30】

2008-04-09 13:08:29 | 
   序章 北の大地、明日より・・。

明日より、北海道の一部を30日(月曜日)まで、3泊4日で観てくる。

知床のオホーツク海を観光船で三時間半ばかり、早朝の洋上から太陽が昇る、
というのに惹かれて旅行に行く。

家内は以前から、日本最北の旭山動物園に行きたい、と言っていたので、
このプランあったので、家内は喜んでいる。

私共は、旅行が共通の趣味である。
日本のふるさとを求めて、東北地方が圧倒的に多いが、北の大地も好きである。

東京の郊外と違って、大陸性の気候と広大な広がりに開放感があり魅了される。

最初は道南地方だった。
夏休みを利用して、札幌~函館で三泊四日で周遊した。

晩秋に道北、道東を2泊3日で巡った。

そして私は流氷を、家内は札幌の雪祭り、と勤続三十年の特別休暇を利用して、
4泊5日で周り、冬の魅力に取り付かれた。

その後、年末年始にオホーツク海岸沿い~宗谷岬~日本海岸沿いを
観光バスで慌しく2泊3日で周遊してきた。


私の高校時代の修学旅行は、北海道で12泊13日で車中泊の多い旅行であった。

昭和37年の6月で、青函連絡船を利用して函館に着いた時、
感銘したのを想い出される。

今の北の大地への交通は、航空便をやむ得なく利用している。



   第一章  旅の終りは、雨・・。

昨日、北海道の旅の最終地点は、新千歳空港だった。

新千歳空港は、私の知る限り、国内線としては、空港周辺はゆったりとした。
森林地帯を防音対策のためか、広くとっており、理想的な空港である。

羽田空港と新千歳空港の航路は、利用者数としては、
ここ20年は世界一のゴールド・コース、とは知らなかった。

新千歳、羽田は確かに利便性もあり、ゆきとどいたサービスと機動性を感じるが、
スケールが大きく、何となくぴったりしない。

地方航空の大分空港、三沢空港の程々の広さに、心はしっくりとする。
やはり利用者の規模の違いといっては、
ちょつとした寂しさもある。

新千歳は曇り空だったが、羽田は雨だった。
雨の中、夜の八時過ぎに着陸するのに、滑走路の路面に濡れて、詩情があるが、
私達は巨大なベルト・コンベアに流されるように、慌しく羽田空港を押し出された。

自宅の最寄駅で強く降る雨の中、タクシーを待った。


今、こうして綴っていると、雨の強さは収まったが、樹木は雨露を受けたので、枝葉が重そうだった。

疲れた身体を椅子にもたれ掛かり、庭を見詰めているが、
雨露に強い蕗や半化粧の草花は、生き生きとしている。



   第二章  旅の始まりは夜明け・・。

今回、北海道の一部を周遊してきた。

一部と綴ったのは、北海道の広さは、
東北地方の6県と新潟県を加えたのが、
北海道と比例するからだった・・。

観光団体周遊ツアーに参加した理由は、
知床半島をオホーツク海からの観光船で夜明けの海を洋上に太陽が昇る、
このフレーズに惹かれて参加した。

5月27日(金)のスタートは、羽田空港に朝6時に集合だった。

東京の郊外に住む私共は、
付近の最寄の私鉄は始発が5時前後であったので、
新宿駅までタクシーで行くことにした。

家内が夜中の1時半に起き、私は30分遅れの2時に起きて、
タクシーの自宅前の3時30分に合わせた。

結果的に順調に新宿駅に4時前に着いた。
新宿駅の構内は、JRの始発前でシャツターは降ろされており、
路上に数多くの人影が寝転んでいた。

私共は、新宿の始発の時間帯は始めてであったので、少し戸惑い、山手線の始発を待ちわびた。

家内に、この新宿駅の構内は昭和40年代の前半の状況を説明した。
ベトナム反戦の路上集会、歌声、ひめ出し、フーテン族・・・
ある意味で、時代の最先端の活気をこの駅は秘めていた・・。

羽田空港は、何時来ても近代化の先端を表わしている。
人並みにしても、設備の新しさも大衆が一番に触れやすい、おしゃれな空港内である。

もっとも利用客が多ければ、
最新堅牢なハード設備投じることが出来た基盤を持ち、
表面は大衆のトータル・ファションにつつまれる空港内でもある。


私はこのおしゃれな港内は惹かれるが、
広さに戸惑い、地方空港の程々の広さの方がしっくりする。

女満別、三沢、大分空港などは、私は自分の視界からも安心出来て好きな空港である。

予定通り、朝6時に羽田空港を新千歳空港に向けて離陸した・・。



   第三章  そして道内・・。

新千歳空港に着いて、道東自動車道を通る時、私は感心する。

新千歳空港と札幌の郊外を結ぶこの道路は、
ゆったりとした樹木林と道幅、車道数に余裕のある状況で、
やはり北海道だ、と私は認識させてくれる。

百万都市の札幌を背景とし、この地方の広さがこうした贅沢な光景をもたらすのだろう・・。

道央自動車道は、おだやかな流れだった。
東京の周辺と違い、走っている車の台数が、沖縄と同様に少ない。

旭川市の外れにある『旭山動物園』に行ったが、
動物嫌いな私さえ、感心させられた事が多かった。
家内は動物大好きな人であるので、喜び勇んであちらこちら、と見て廻っていた。

私は《あざらし館》を観たが、創意工夫があったので、
マスコミがたびたび採り上げていたのに、賛同した。
ちょつとした熱意の基で、創意と工夫があり、お客を楽しませる仕掛けがあった。
何より従業員達が生き生きとした表情には、感心をさせられた。

従来の動物園の管理者達は、
何を考えて動物園を経営していたのだろうか、と反問したりした。

層雲峡に向かう道路は、石狩川の流れに沿うようにあった。
芽吹きの終り、黄緑の葉を拡げ始めた落葉樹を里山を彩り、
中には芽吹きはじめた樹木もところどころにあり、
道路沿いに蕗(ふき)と雪解けの流れの処にときたま水芭蕉が散見できた。


   第四章  山桜と辛夷(こぶし)の中を・・。

層雲峡のホテルに泊まり、早朝、水の流れる音で目覚めた・・。

ホテルの窓から前方に、石狩川の雪解けの水量が豊かで、急速に流れていた。

層雲峡から石北峠に差し掛かると、
雪が残っていて、冬は雪深い処だ、と教えてくれた。

峠道を越えると、あたり一面風景が変わった。
道の路肩から切通しの丘は、芽吹き始めた淡い黄色の葉の落葉樹の中で、
辛夷の白い花と山桜が咲いていた。

遅い春が一気に陽射しを受けて咲いているのを観ると、私は慰めを頂いたように心が昂ぶった・・。

網走を抜け、芝桜の名所を観た後、知床半島の付け根にあるウトロ温泉に泊まる。

明日の早朝クルーズは、3時に出航するので、
2時30分にホテルのロビーに集合、とのことで我々観光団体は、
お互い苦笑し、顔を見詰めて、頑張りましょう、と目線を交し合った。

部屋の窓辺より夕陽が差し込んで、ホテルの庭園越しに知床の森林を見詰めた。
落葉樹は所々にやっと芽吹き始めていた。
淡い黄色の若葉を眺めながら、売店で買い求めた地酒を呑み始めた・・。

箱には、『超辛口 知床熊ころり』と書いてあった。
その横に、知床の原生林の美しい緑の香りと大自然の清冽な伏流水を仕込水として醸した気品のある
キリッとした北海道らしい美味しいお酒です、と綴られていた。

淡麗吟醸というお酒が数多くあるが、私には殆んどあわない。
純米酒の辛口を日頃飲んでいるせいか、上品過ぎて個性がなく、しっくりしなかったためである。

この熊ころりは、一杯口に寄せて、含んだが、私なり合格点だった。

家内がお風呂に行っていて、こうして陽だまりの中、知床の樹林を眺め、至福の一時を過せた。

家内が戻り、この熊ころりを勧めた。
ぐい呑みを手渡すと、
『ピリッと辛いですけど、奥行きがあるようですね・・』と言った。

私はお酒の味が解ってきた家内に満足した。

いずれにしろ、明日は早朝からのクルーズがあるので、夕食前の呑みすぎはやめる事にした。



   第五章  知床半島、早朝クルーズ・・。

5月29日(日)、早朝3時ウトロ港を出航する為に、
宿泊先の『知床プリンスホテル風なみ季』のロビーに2時30分に集合した。

船内に入ると、暗い防波堤の横にある小道を
船員と現地のネイチャー・ガイドに案内されて、続々と人影の歩く姿が見えた。
私共と同様に、300名前後の人々が船内に入ってくる。

この観光船『おーろら』は、4月の下旬より10月下旬まで、
知床半島のオホーツク海を日中に於いて定期観光として運航している。
冬季は、網走で流氷観光砕氷船として運航している。

私共が乗るのは、特別企画として、洋上で太陽が昇るサンライズ・クルーズである。

薄暗いオホーツク海は、船上のサンデッキに立っていると、
寒く風が強く、髪の毛をなびかせた。
女性のロングヘアーの方も、防寒着で身を固め、髪をなびかせていた・・。

対岸の知床半島の薄明るくなった沿岸を見つめた。
切り立った断崖とつづら折りに続いている奇岩が見えた。
そして、ところどころ山なみの雪解け水をたたえた滝が勢いよく水量を海に落としていた。

山頂の山なみは、万年雪をいだいた羅臼岳、硫黄岳と続き、空には月が残っていた。

明るくなった時、岬に近い知床岳のはずれの低いところから、日の出の光線が見えた。
洋上の寒さの中で、陽光にを暖かさを感じるのは、一面厳粛な思いである。

しばらくすると、早朝の陽の中を、知床半島の先端の知床岬を観光船は、ゆったりと回航した。

そして加藤登紀子の『知床旅情』が船内から流れてきた。

 ♪知床の岬に はまなすの咲くころ
    思い出しておくれ 俺たちの事を
  飲んで騒いで 丘にのぼれば
    はるかクナシリに 白夜は明ける

日常にこの歌を聴いているが、こうした現地のはずれで聴く歌は、胸が熱くなる・・。

洋上から万年雪をいだいた知床岳がそびえており、陽の下で山なみの容姿が見えて、
厳粛な思いにしたった。

こうして3時間45分の早朝クルーズは終った。



   第六章  そして道北から道東地方・・。

5月28日(土)の昨日は、層雲峡を出て、石北峠を越えて網走から知床に抜けて宿泊した。

29日(日)の今日は、知床半島の早朝クルーズを終えて、知床五湖の第一、第二を散策する。
十年前頃、訪ずれた時は晩秋の時であったので、今回のこの季節は雪解けで湖面が豊かであった。

ウトロから羅臼を貫く知床縦断道路の中間にある知床峠は、霧につつまれていた・・。
高山樹林のハイマツに白いシラカンバが見えるだけで、国後島は遠い彼方となっている。

峠を降ると霧も去り、羅臼の街並みが見えた。

オホーツク海に面したウトロは観光設備が豊富であるが、
この羅臼は温泉もあるが素朴な漁港となっていた。

この羅臼は、倉本聰・氏の『北の国から~遺言~』のロケ現場に使われた事があった地域でもある。

羅臼を後にし、摩周湖、阿寒湖を抜けて、
道東の広い畑、牧草地帯から十勝川温泉に行く。

私はこの道東地方を通るたび、東京の郊外で50坪とか100坪とかに、ある一面こだわっているが、
この地域の畑一面だけでも2000坪前後が限りなくありそうに思える。

寒さにお強い方で、利便性を問わない方にお勧めの地域である。

宿泊先の十勝川温泉は、植物性モール泉のお湯は肌に滑らかであり、熱さも程々であり、
今回の層雲峡、ウトロを含め、私はベストの感触だった。

風呂からでると、廊下の壁に『美人の湯』のポスターが貼ってあった



   第七章  旅の中で・・。

十勝川温泉を出ると、狩勝峠は霧の中だった。
この峠は、広大な十勝平野が一望出来る所だったが・・。

この先に幾寅駅があった。
映画の降旗康男・監督『鉄道員』のロケとなった駅である。
小説と映画については、後日に綴りますが、
この駅を設定した美術監督、或いは監督自身か解らないけれど、
プロの仕事と感心させられた。

富良野はゆるやかな丘が続く所だった。

倉本聰・氏が『北の国から』を発表する以前、
彼は書きあげた脚本、随筆を旭川航空に航空便で送るため、
この道をたびたび利用したと、彼の随筆に綴られている。

そうした想いを考え、ジャガイモの白い花が綺麗だった、
と綴られていたが、今の季節は残念ながら早すぎた。

ラベンダーの紫の花も少し咲いている程度だった。

私はラベンダーは香りが強いので嫌いである。
香りは、かすかに匂う、というのが好きである。
女性に対して、抱き寄せて、肌から、かすかに匂い、
黒髪の椿油の香りをわずかに感じる、というのが好きである。

香水の強い香りと同様に、ラベンダーは敬遠したい。


このような事を感じて、富良野を散策した。

このゆるやかな波状の丘陵を後にし、その後に道央自動車道を利用した後、新千歳空港となった。


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那須塩原温泉滞在記【2005.5.9. ~ 5.13.】

2008-04-09 13:05:38 | 
バスの車窓から、芽吹きの終わった里山が幾重にも観え、
若葉が遠い彼方まで彩られ、
この日本は緑の多い国であることを改めて、認識した。

里山を切り開いた高速道路の両端は、
雑木林の中で、淡い紫の花の藤が点在していた。

遠方に見える住居の側にある鯉のぼりは、
快晴で風もなく、主柱にもたれていた・・。


ホテルの部屋からは、前方の対岸は里山になっており、
ブナ、イヌブナ、ミズナラ、コナラ等の落葉樹の雑木であったが、
粉をふいたように芽吹きの季節で、
この那須塩原の地が遅い春であることを教えてくれた。

ホテルの前庭は、陽当りがよく、桜と藤が咲き、不思議な同居を観た。

夕暮れになると、巣立ちを憶えた幼い子鳥のさえずりと共に、
川の水の流れる音が聴こえてきた。

夜半、この里山に雨が強く降ってきた。


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南東北桜めぐり紀行【2005.4.18 ~ 4.19】

2008-04-09 13:03:33 | 
      序章 南東北の桜を訪ねて

明日より、1泊2日の桜を訪ねる旅行に行く。

『三春』の滝桜、『白石』の一目千本桜、『最上川』千本桜、
『長井』の久保桜を含めた6ヶ所である。

私達夫婦は東北地方の南部地方に、桜の季節を訪ねるのは初めてであり、
未知の空間となる。


       第一章 遅れた春の日に

4月18日(月曜日)
東北の南部地方の桜の名勝を6ヶ所を訪ねる周遊観光ツアーに参加した。

郡山の近郊にある《三春の滝桜》は、一分咲きだった。

紅枝垂桜(べにしだれざくら)で樹齢千年以上いわれる大木で、
枝は支柱で支えら、里の中の斜面に忽然とあった。

見事な大木であったが、支柱に支えられるのを視ると、
痛ましいような感情をよぎった。

この桜の周辺は、樹齢50年以上の桜が30数本あり、
やはり一分咲きであったが、
清々しく、東北の遅い春を現(あらわ)していた。

肌寒かったが、観光客で賑わっていた。


その後、白石市のはずれにある白石川の川堤で、
数多くの染井芳野が七分咲きを見せていた。

観光客は少なく、市民の人たちで賑わっていた。

この川べりに7キロ近くわたって千本の白っぽくたわわな桜並木が続いている、
と市民の方から教えて頂く。

こうした情景を観ると、
地元に住まわれている市民の方たちの春の訪れを楽しまれているのに、
素朴な喜びを頂いた・・。


この地を後にして、宿泊先の蔵王温泉より高台にあるホテルに行くため、
スカイケーブルを乗り継ぎ、根雪が2メートル以上残っているので、
雪上車に乗る。

落葉したブナ林の中に、ホテルがあり、その周辺にドッコ沼があった。

浴室から、ブナの樹木を通し、
ドッコ沼が見え、根雪が沼に押し寄せていた。
雪解けのひとつの情景である。



       最終章 満開の樹の下で

早朝、部屋からドッコ沼を眺めた・・。
弱い朝陽がブナの樹木を照らし、
樹元の根雪は幾分薄く、少し離れた根雪は相変わらず厚く、
沼岸に押し寄せている。

沼の水面は、陽差しを受けて早春の漂いを見せていた・・。

ホテルをチェックアウト後、
スカイケーブルで下山する途中、蔵王温泉の街並みが快晴の陽だまりの中、
浮いているようだった。

バスの車窓からは、山形盆地の街並みが一望でき、
ここからの景観は何回見ても飽きない光景である。

盆地特有の山並みから緩やかな斜線の中での雑木林が観られ、
その山里には、切り開かれた畑があり、点在した人家が見られた。
盆地の底は、人家の多い街並みがあった。


最上川に面した白鷹町の付近にある河川岸にある千本桜は、
固いの蕾であった・・。
川の流れは急速で、ゆたかな清冷な流れでを見せてくれた。
やはりこの地は、東京の郊外より、
暦を一ヶ月もどしたような遠方な地であった。


長井市にある久保桜を観に行くため下車し、
歩き始めた時、田畑の道あぜの付近には、
土筆(つくし)、蓬(よもぎ)が見られた。
素朴な情景であったが、この後の江戸彼岸桜はどうでも良い、と思えた。

里の春の訪れを確かに受容できたので、
私は満足し、心が豊かになったことを自覚した。

久保桜は、一分咲きで樹齢千二百年の風格があったが、
先ほど見た土筆、蓬の方に、私は魅了された。

観光客は多く、地元の方が、この地で採れた蒟蒻(こんにゃく)を串刺しで、
烏賊(イカ)で味付けをしたのが、
家内はイカ味を工夫してあって美味しい、と言った。

私は地酒の試飲をした後、
純米酒は美味しくなく、やむ得ず原酒を買い求めた。


会津若松の鶴ヶ城公園の桜も、一分咲きであった。

その後、郡山の開成山公園に行き、満開の桜に出会ったのである。

桜はもとより、白木蓮、日陰の付近に辛夷(こぶし)咲き誇っており、
周辺一帯を白い花で染められていた・・。


旅の終わりに、たわわに咲く満開の桜の樹の下で、
家内と言葉を交わした。

『色々と観て廻ってきたが・・
ここで春一色とは・・予想もしなかったょ・・』
と私は家内に言葉をかけた。


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