夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『春分の日』、小雨、そして風は吹き・・♪

2008-03-20 16:53:00 | 定年後の思い
東京郊外の調布市に住む私は、
昨夜から小雨が降りだし、ときおり風が吹いていたので、
天気予報などを注視していた。

私は定年退職後は、彼岸の中日と云われる『春分の日』、『秋分の日』、
そして夏のお盆の日には、実家の長兄宅に家内と共に寄った後、
少し離れたお寺の墓地に行き、お墓参りが恒例となっている。

その後、駅前に行き、家内と昼食をした後は、
買物をし、帰宅したりしていた。


今朝、天気予報を視聴していたが、
日中は雨が降り続け、最高気温は7度前後の2月下旬の寒さで、風も吹く荒れた状況、
と報じられていた・・。

家内と朝食の時、お墓参りは後日しょう、と話し合い、
9時過ぎに長兄宅に行き、仏壇にお線香を上げた後、
長兄夫婦と他愛ない世間話を1時間ばかりし、
長兄宅を辞して、帰宅したのである。


帰宅後、家内はコーヒー、私は煎茶を飲みながら、
『現役時代で休日出勤した時を除けば・・
春のお彼岸で・・お墓参りにいけなかったのは・・初めてだょ・・』
と私は家内に微苦笑しながら云ったりした。


ご先祖を敬(うやま)、偲(しの)ぶ変わりに、
生きているものを慈(いつく)しむ日、
と伝えられているのを思い浮かべたりしていた・・。

そして私は、主庭の雨が降る続け、ときより風は強く吹く情景を見つめ、
『お母さん・・お父さん・・お祖父(じい)さん・・
お墓にいけなくて・・ご免なさい・・
ちかじか・・お墓参り・・するから・・』
と齢を重ねた63歳の私は心の中で呟(つぶや)いた・・。


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桜、我が心の人生の主軸となり・・♪

2008-03-20 07:27:00 | 定年後の思い
私は東京の郊外で昭和19年に生を受けた身であり、
幼稚園の前身であった託児所に入所したのは昭和25年の4月であった。

ご近所の幼児の集まりであり、初めての団体の出会いとなったのである。

翌年の春に別れ、そして桜の咲いた頃に小学校に入学したのである。

そして春になれば進級し、クラスの編成、転校生などで、
別れ、出会いを繰り返し、
中学校に入学したのは昭和32の春であり、
高校に入学したのは昭和35年の春であり、
大学に入学したのは昭和38年の春であった。

私は東京オリンピックを過ぎた頃、
大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした後、
コンピュータの専門学校に昭和44年の春に入学し、
昭和45年4月にある大企業に中途入社できたのである。


社会人として、企業の一員のサラリーマンとして、
毎年、3月の本決算月を向かえ、一喜一憂し、
そして人事異動で出会い、別れを繰り返し、
新年度の4月となっていた。

こうしたサラリーマンの生活を35年前後過ごした後は、
定年退職となり、私は年金生活に入ったのである。

そしてこの間、若き30代の初め、
家内と結婚し、新婚旅行の旅先の京都で、
桜の咲く桂川の遊歩道を私達は散策したりした・・。


古来より、春夏秋冬、と季節の移ろいを集約した短じかな言葉で云われてきたが、
私は齢を重ねるたびに、日本の風土に限りなく愛惜を深めて折、
まぎれなく日本人のひとりなのだ、と改めて自覚させられ、
微苦笑をしたりしている・・。

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