夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

幼年期、『ひな祭り』の想いで・・♪

2008-03-02 10:44:00 | 定年後の思い
私は昭和19年に東京郊外で、農家の三男坊として生を受けた。

祖父、父が中心となって、程ほどの広さの田畑を耕していた。

長兄、次兄の後に私は生まれきたが、
祖父、父が何かしら女の子を期待していたらしく、
私の後に生まれた妹を溺愛した。

幼年期の私はこうした情景を見たしていると、
期待されないように感じ取り、いじけた可愛げのない児であった。


早春の2月の下旬になると、母の実家から贈られたひな人形を
父が蔵から出してきて、母や未婚の叔母に手渡していた。

10畳の一角にひな壇を設け、ひな人形の五段飾りを設置し、
この前に桃の花、ひし形の白色、桃色、薄緑色のひし餅を置いたりしていた。

ひし餅は、父が餅米を精米所に持ち込んだ後、
我家で臼(うす)で餅にしたものであった。

そして桃の花は、宅地の外れにある陽当たり良い所に3分咲きを活(い)け、
何かしら華やぎ、かぐわしい香りがしていた。


こんな情景を私は、ぼんやりと眺めていたが、
華やかな桃の花、3色のひし餅、そして絢爛(けんらん)な17人の人形を見つめていた。

そして、私はため息を吐(つ)きながら、
『女の子はいいよなぁ・・皆に大事にされるから・・』
といじけた私は思ったりしていた。

そして、人形の中のひとつ、護衛のようになっている人形を見つめ、
あのように綺麗な格好でいられたらいいよなぁ、
と眺めたりしていた。

このような思いを抱いた後、櫻の咲いた頃、
私は小学校に入学した。


尚、『桃の節句』が終り、翌日になると母は五段飾りを撤去し、
蔵に仕舞う準備をしていた。

私はせっかく飾ったのだから、せめて櫻の咲く頃まで、
このままにして置けばよいのではないか、と幼年心に感じていた。



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いつものように、日の出と共に起床し・・♪

2008-03-02 07:43:00 | 定年後の思い
私は年金生活の4年生の身であるが、
民間会社を定年退職後、日の出と共に起床しょう、
と秘かな自身に約束した。

私は買物、散策以外は殆ど家にいて、
読書を主体に過ごし、そしてこのサイトに投稿したりしている。
ときおり、保存した映画のビデオ、DVDを居間で観たり、
溜め込んだ音楽のカセット、CD、DVDを聴いたりしている。

テレビはNHKのニュース、天気予報を視聴すれば、
あとはドキメンタリーの番組で興味があるのを観る程度である。

そして時折、庭の手入れをし、季節のうつろいを深めたりしている。

このような身勝手な生活をしているので、
せめて起床は日の出と共に起きよう、と誓ったのである。

ときおり、深夜まで読書、映画、音楽に夢中になったりした翌日は、
昼寝をしたり、或いは夕寝と称し、午後の3時過ぎから1時間ばかり寝付いたりするときもある。

私の現役時代、数多くのサラリーマンと同様に、
睡眠時間を削って、職務に励んだひとりなので、
せめて退職後は自在に充分な睡眠を、
と願っていたのである。


この時節、朝は6時に起きだして、
煎茶を飲みながら、新聞を読んだり、
テレビのニュース、天気予報を視聴した後、
庭先に下り立ち、白梅、紅梅、日本水仙の花を誉(ほ)め、
朝の陽射しに感謝し、陽射しに向かい、そっと両手を合わせたりしている。

そして私は、庭を眺めながら、このサイトに綴ったりしている。
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