昨日の朝日新聞の朝刊に「尖閣で何を慰めたのか」という記事が掲載されていた。尖閣列島戦時遭難者遺族会会長 慶田城用武さんの静かな問いかけがあった。「敗戦直前、あの島で何が起きたかご存知ですか?遺族が、あの島で慰霊祭よりも望んでいるものが何か、わかりますか?」 記事から抜粋すると・・・
1945年沖縄戦の時の出来事。台湾疎開船が米軍の機銃掃射を受け、5歳の兄が殺されたこと。魚釣島に漂着し救助されるまでの45日間の壮絶な飢えとの闘い。その後の「忘れもしない悲惨な出来事は、思い出したくない」という母を含めた生存者の言葉。しかし、戦後50年を機に、体験を後世に伝えようと遺族会を結成された。この夏以降、尖閣諸島の領有権がクローズアップされ、「慰霊」という言葉が飛び交うことに対し、不思議な思いがわいたという。
今年の8月18日に石垣慰霊前で政治家達が、神職3人を伴い神道形式で行い、君が代が斉唱されたことに驚いたという。慶田城用武さん達は、仏式でつづけておられた。その時、政治的に慰霊が利用されたのだと、分かったという。
石垣は国境の町だからこそ、守るのではなく、開いていった方がよい。交流が進めば信頼関係が生まれ、それが守ることにつながるから。
沖縄は、日米地位協定により主権が侵され続けている。尖閣諸島購入を支持する人は、本気で、主権を考えているのでしょうか。オスプレイ配備に反対の声を上げてくれたでしょうか?万が一中国と事を構えることになった時、国境に接する私たちの生活はどうなるか考えてくれたことがあるのか・・・
この記事を読むと、戦死者の記憶と領土問題を重ねることよりナショナリズムをあおる動きは、危険だと教えられる。尖閣問題は、逃げずに向き合う必要がある。
1945年沖縄戦の時の出来事。台湾疎開船が米軍の機銃掃射を受け、5歳の兄が殺されたこと。魚釣島に漂着し救助されるまでの45日間の壮絶な飢えとの闘い。その後の「忘れもしない悲惨な出来事は、思い出したくない」という母を含めた生存者の言葉。しかし、戦後50年を機に、体験を後世に伝えようと遺族会を結成された。この夏以降、尖閣諸島の領有権がクローズアップされ、「慰霊」という言葉が飛び交うことに対し、不思議な思いがわいたという。
今年の8月18日に石垣慰霊前で政治家達が、神職3人を伴い神道形式で行い、君が代が斉唱されたことに驚いたという。慶田城用武さん達は、仏式でつづけておられた。その時、政治的に慰霊が利用されたのだと、分かったという。
石垣は国境の町だからこそ、守るのではなく、開いていった方がよい。交流が進めば信頼関係が生まれ、それが守ることにつながるから。
沖縄は、日米地位協定により主権が侵され続けている。尖閣諸島購入を支持する人は、本気で、主権を考えているのでしょうか。オスプレイ配備に反対の声を上げてくれたでしょうか?万が一中国と事を構えることになった時、国境に接する私たちの生活はどうなるか考えてくれたことがあるのか・・・
この記事を読むと、戦死者の記憶と領土問題を重ねることよりナショナリズムをあおる動きは、危険だと教えられる。尖閣問題は、逃げずに向き合う必要がある。