ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

術後の経過

2012-12-21 11:45:55 | 生活

手術が終わってほぼ2日間が経過した。順調に回復している。

手術は19日午前9時半からで終わったのは午後の4時近かったそうである。胃の半分と、胆嚢を摘出した。手術終了直後に麻酔が切れて胃から中部が抜かれる感覚がして、執刀医の「古谷さん、終わりましたよ」という言葉が聞こえた。家内が「今ほとんど4時よ」というのも聞こえた。それからナースステーションに運ばれたのだが猛烈な悪寒が来た。電気毛布をかけてもらってもまだ寒い。それと、左手に強い痛みがある。おそらくどこかに縛り付けられていたのだろう。手のしびれは12時間くらい治らなかった。

悪寒が治まると、今度は喉に痰が絡む。痰を出そうとして咳をすると腹部が痛む。痰は出したほうが良いという看護師に言われて枕元にティッシュの箱を置いてもらいそれにどんどん出す。肩のあたりにティッシュのの山ができた。私はナースステーションの部屋にいたのだが隣のベッドの人が始終騒いでいる。「痛いよう」とか「苦しいよう」とか言っていつも大声を出す。「どうしました」と聞かれると関係のない話をする。要するに構ってほしいのである。おじいさんである。看護師も分かっていて無視している。そうすると「何にもやってくれない」「こんなに苦しんでいるのに」と悪態をつく。いわゆる認知症ではなく性格の悪い人のようである。それであまり眠れなかったのだが明け方にはちょっと眠った。それで大分良くなった気がする。

翌日には早くもリハビリの人が来て歩く練習をする。歩けたので、尿を取る袋ははずしてもらった。しかし、少しでも腹筋を使うと強い痛みがある。体の向きをかえたりするのが大変である。一度痛みを感じるとなかなか収まらない。熱も38度からなかなか下がらない。しかし看護師は心配しておらず、こんなものだという。

翌日はベッドも元の大部屋に戻りうるさい人はいなくなった。体温が下がってきたのが今日になってからである。まだ咳をすると痛いし、体の向きを変えるのも痛い。しかし、その痛みは少しずつ減ってきた気がする。トイレに行くときに立ち上がらないといけないがその時にどうしても痛みがでる。

2夜目は比較的眠れた。その分体調も良くなってきた気がする。医師から水を飲んで良いという許可が出た。今日はベッドを起こしてキンドルを読んでいる。看護師からは歩いたほうが良いと言われるが歩くとまだ痛みがあるので長く歩く気にはなれない。それでもリハビリで100mくらい歩いただろうか。トイレに行ったときに少し長く歩くようにしている。

順調に回復しているように思う。


再び入院

2012-12-17 16:33:42 | 生活

今日から再び入院している。今回は胃にできた大きな腫瘍の摘出と、前回の入院の原因となった胆嚢にまだ石が残っているとのことで胆嚢の摘出の予定である。腹腔鏡手術と言って腹部に穴をあけてそこから手術を行う。

胃の腫瘍は会社を止める前に撮った胃カメラで胃にポリープがあると言われていたのが、ずいぶん大きくなっているものである。腫瘍が胃の粘膜の第2層に達しており、癌細胞が含まれている可能性が高いとのことで医師は早期癌という言い方をする。早期癌とは癌細胞が胃の表面から2層までに留まっているもので、転移の可能性は低い。しかし第2層には達しているのでそこにはリンパ腺が来ており、リンパ液を通じて流れている可能性はある。私の場合は胃の下半分を取り去って、周辺のリンパ管も取り去るという説明だった。内視鏡ではきれいに取れないので腹腔鏡手術になった。体への負担は腹腔鏡のほうがずっと大きいのだが、「こちらのほうがきれいに取れる」と説明されて同意した。現時点では癌細胞は見つかっていないが、癌であるという前提で関係しそうなところを取り除くという説明だった。実際、癌細胞が見つかったか、どの部分に癌細胞があったか、などは手術後2週間くらいして、切り取った部分を詳細に分析して分かるそうである。

胃カメラでポリープの表面を観察したり、大きさを測ったりするところを自分でも見ていたので、私自身も「取ったほうが良い」と考えて迷いはなかった。胆嚢も自分で思い起こせはば石が出てきたような痛みを感じることが過去にもあったので、やはり取ることに迷いはなかった。

手術は19日の予定である。多分年末に退院になると思っているが、経過を見ないと分からない。


総選挙の結果を受けて

2012-12-17 08:22:54 | 社会

昨日の総選挙は自民大勝、民主大敗という結果だった。マスコミなどの調査で予測されていたものの、予想以上の大差だったと言える。民主党は維新の会よりわずかに3人上回るだけである。民主以上の大敗は未来の党で62人が9人になってしまった。

全体的に国民は良く見ていると思う。民主党の大物議員は相次いで落選した。しかし落選した人たちは落ちても仕方がないような行動を取った人たちだと思っている。菅元総理のように小選挙区で負けて比例代表で入った人もいるが制度がおかしいのではないかと感じる。唯一私がなぜ負けたかと思うのは仙石元官房長官である。

私自身の気持ちも含めて振り返ると、8月までは自民、民主、維新の拮抗した状態だったと思う。民主党はダメだが、自民党も参議院で増税法案に賛成しておきながら首相問責決議案に賛成するなどと訳の分からないことをやっている。維新は結党して日が浅くまともなことを言っているようだが政権をとれば民主党のようなことになるのではないか、というようなイメージだった。それが大きく変わったのは9月の自民党の総裁選挙である。谷垣総裁が推薦を得られず、5人の候補者が争った。その5人が基本政策では一致しており、限られた自由度の中で自分の特徴を出そうとした。「これが政党としての方針を持っている」という印象になった。民主党の代表候補者は他人をけなすことばかり言っていたのと好対照であった。

現時点ではまともな政党と言えるのは自民党だけだと、少なくとも私は思っている。民主党は代表と幹事長が辞任するようだが、次回の代表選挙で、今回の自民党が示したように全ての候補者が8割は同じ政策を言うような、党としての基本線が出ない限り挽回は無理だろう。1年では無理だと思う。民主党は社民党や共産党のように吠えるだけの野党になり下がる可能性もあると思う。維新の会は石原代表を止めさせて橋下代表、あるいは松井代表に変えるべきだと思う。石原代表を続けると維新の会は弱まっていくと思っている。

12月7日のブログで書いたのだが、今回の選挙は後で振り返ると政党の意識の転換点になるような気がしている。国民は政策で判断しており、付け焼刃の政策、表を買おうとするような政策は通用しないということである。実は変化は小泉郵政選挙の時から始まっていたと思う。それまでは農村と中小を含む経営者を地盤とした自民党と、労働組合を地盤とした旧社会党をベースとした政党との争いだった。それが、郵政選挙から政策で票が動くようになった。2009年の時には民主党のバラ色の政策が大勝した。そして今回は、まともな政党として発言していると思われる自民党が大勝した。野党の中でも比較的まともな政策を持っていると思われる維新の会とみんなの党は伸びている。選挙のために国民が喜ぶようなことを言っても通用しない、ということを政党はいやでも認識するだろうと思う。

これからの安倍政権の未来は決してバラ色ではない。本人たちもそのことはしっかり認識しているようなのでしばらくは見守っていこうと思う。


暖かい投票日

2012-12-16 11:54:04 | 生活

今日は選挙の投票日である。これまでの寒さがうそのように暖かい日差しである。単に気温が高いだけでなく、秋の澄み切った空気、冬のピンとした空気と違い、空気がふんわりしていて春のような暖かさである。3月末ごろの感じだろうか。私は投票を済ませて今、ウィトラのオフィスに来ている。

投票所はオフィスとは反対方向なので1時間程度の散歩になった。改めて私の住まいの近くには老人が多いと感じる。投票所までの道ですれ違う人、団地で落ち葉を片づけているいる人などに老人が多い。私は自分では老人とは思っておらず、私が見て老人と感じるのは70歳以上の人達だろうと思う。午前中に投票に行く人は老人が多いのかもしれない。

有権者の中に占める老人の比率が高いので政党も老人優遇策を考える。それが、若年層への所得移転を滞らせ、国の活力を弱らせているような気もする。ふと考えたのだが、日本での選挙権は20歳以上の日本国民に対して与えられる。高齢化して判断能力が劣ってきているような人もいるが、年齢に上限はない。若者に対して不利なのではないだろうか、と思う。

そこで考えたのだが、投票権は所得税を払っている人にしたらどうだろうか。税金を払っている人が自分の国をどうするかを決める権利を持つ、自然な考え方だと思う。中卒や高卒で卒業した人は選挙権を持っていても良いし、生活保護や高齢者で所得税を払っていない人は選挙権がなくても良いのではないかと思う。問題になるのは、専業主婦である。この人たちに選挙権を与えないのはまずい。専業主婦に対しては配偶者控除を止めて配偶者が主婦を雇用したことにして、給与を払うようにしてはどうだろうか。例えば主婦業にに対して月収15万円を上限に給与を支払うことができる。夫の年収が500万円だとすると年間180万円を主婦に支払うことにより、320万円の収入とみなす。妻も所得税を払う必要があるが、配偶者控除よりもかなり大きいので家族としての税金は軽くなる。大部分の人はこれを選ぶだろうし、主婦業がきちんと仕事として認知されるという効果もあると思う。

夫婦ともにそれぞれ年収200万円のような家庭はそれぞれ90万円ずつで主婦業を分業していることにすればよい。子供ができれば子育てを労働とみなし、一人目の子供は年間100万円、二人目は年間80万円、というように育児を仕事とみなして支払うことを認めればよいのではないだろうか。

考え方の基本は、仕事に対してはお金を払うという考え方をする。そして仕事をしている人が投票権を得る、ということである。こういうことを考える政治家がいても良いように思う。


ルネサスは誰に買われるのが正解だったのか

2012-12-15 15:23:21 | 経済

日経電子版に掲題の記事が出ている。アメリカの投資ファンドKKRと産業革新機構のどちらが良かったか、という話である。日経の編集委員西條氏はKKRのほうが良かったのではないか、というニュアンスで書いている。

私も同様な印象を持っている。私はルネサスのためというよりも顧客企業のためにKKRのほうが良かったのではないかという印象を持っている。今回の産業革新機構の買収はルネサスの顧客である日本の車メーカが強くサポートしたことが影響しているのだと私は思っている。車載用マイコンで世界最大のシェアを持ちながらルネサスは赤字体質である。これは顧客の要求を聞きすぎてカスタマイズに手間をかけるのに数が出ないのでルネサスとしては大きな利益にならない。一方で顧客の自動車会社からすれば、ルネサスが居なくなると自分たちの要求を聞いてくれる会社が無くなるので困る。それで支援の声明を出したりして日本連合でルネサスを支援する形を作ったのだと理解している。

しかし、これではマイコンが大きな稼ぎ頭になることは期待薄である。どこでルネサスが盛り返していくのだろうか、と思う。西條氏も同じような見方だと思う。ルネサスが利益を上げられるようになる見通しは立たないのだが、私はルネサスの停滞が日本の自動車産業に大きな影響を与えるのではないかと懸念している。

遅かれ早かれ、各自動車会社がマイコンを特注するようなことは続けられなくなると私は思っており、KKRが買収したほうがプレッシャーが顧客にも強くかかり早く決着がつくと思うのである。自動車会社は早めに特殊マイコンではなく汎用マイコンをたくさん使う方向に向かうべきだと私は思っている。Intelの高性能CPUを使うようになると日本の企業は強みを失うと思うのでこの辺りが難しいところである。

ここ数年のマイコンに対する取り組みが自動車業界にとっての将来を大きく左右すると思っている。


リスクを取るとは

2012-12-14 13:41:41 | 経済

今朝は歩いて自宅からウィトラのオフィスまで行ったのだが着いてみて鍵を忘れてきたことに気が付き歩いて自宅まで戻った。最近こんな忘れ物が増えてきた。時間を無駄にしたのだが、歩いている間にふと「リスクを取るとは」ということが頭に浮かんだ。

日本企業のトップはリスクを取らない、と良く言われる。創業者や同族系会社の社長はリスクを取るがサラリーマン社長はリスクを取らないとも良く言われる。英エコノミスト誌では日本の企業ではプロの経営者が運営する会社より、同族会社のほうがパフォーマンスが良いという驚きの結果があると紹介している。これもリスクを取る姿勢に違いがあるものと思われる。

ある経営者と話した時に、「「リスクを取れ」と良く言われるが博打を打つのが良い訳はない。世間的に見たらリスクを取ったようでも本人はリスクを軽減しており成算があるのが経営者の取るべき判断だ」と言われた。これもなるほどと思う。しかし、私もサラリーマン時代に経営者が部下からの提案に対してあれこれと問題点を指摘し、本当に安全と思われるまでGoをかけない、というような場面は見てきており、問題意識を持っていた。ある段階まで成算が成り立ったら、思い切ってやってみるというのは必要で、それが「リスクを取る」ということだと思う。

ところで、リスクとは何かを考えてみると大きな意思決定をする場合に2種類のリスクがあると思っている。それは、プロジェクト自体が失敗するリスクと、責任が自分にかかってきて自分が不利になるリスクである。前者のリスクは真剣に軽減策を講じるべきだが後者に重きを置くべきではない。しかし人間だからどうしても後者のリスクは気になる。そこで、成功したときは自分の手柄にして失敗したときには他の人に責任を転嫁するように仕組んだりする人が出てくる。こういう判断が失敗に終わる可能性が高いのは当然だと言えるだろう。

同族会社のパフォーマンスが高いのはこういうところから来ているように思う。組織が失敗を許さないように作られていると、当然リスクを取らない、あるいは他人に転嫁するようなことがうまい人が生き残ってくる。官僚組織などはこの体質が強いと思う。ダイナミックな組織では失敗は責任追及するが何度でも再チャレンジ可能なような組織風土を作ることが重要だろう。失敗してみると、以外に失敗してもたいしたことはないとか、あの失敗は大変だったとかいうことが分かってきてリスクの大きさを判断できるようになると思う。

もっとも私自身、リスクを取ってきたかと言われると、小さなリスクしか取らず、大きなところでは安全第一で動いてきたような気もするのだが・・


舞鶴の女子高生殺害事件に対する報道の姿勢

2012-12-12 15:23:30 | 社会

2008年に舞鶴市で女子高生が殺害された事件に対して、一審では無期懲役の判決が出ていたが、弁護側は無罪を主張し、検察は刑が軽すぎるとして双方が控訴していた。その控訴審の判決が出て逆転無罪となった。状況証拠しかなく、自白は警察官の誘導の可能性があるとの理由である。

この判決に対して各紙報道しているが、ネットで見ると読売は「被害者の母「無罪」に嗚咽」、毎日は「被害者の母、号泣」という見出しをつけていた。産経はもっと過激な書き方をしている。今、確認のためにもう一度見たら毎日はこの書き方は取り下げたようである。なぜ被害者の母が無罪判決が出たら泣くのか、それは被告人を真犯人と決めつけているからにほぼ間違いないだろう。しかし、裁判官が無罪としたということは冤罪の可能性もあるということだろう。被害者の母は被告人が真犯人だと思う根拠を持っているのだろうか?

おそらくそうではないだろう。私はマスコミによって作られた犯人像を被害者の母が持ってしまったからだと思う。マスコミは容疑者が逮捕された時点でその人を犯人だと決めつけて報道する。そして公判の過程などで、被告人が真犯人だというイメージを被害者の家族に植え付けてきたのではないかと思う。

これは今回だけでなく、他の事件でも私が感じていることである。被害者の家族は「犯人を極刑にするように」という発言をするようにマスコミに誘導されているような印象を私は持っている。以前書いたノルウェーの銃乱射事件ではどうなのだろう。おそらくマスコミは家族が死刑を求めていると書きたてたりはしていないだろうと思う。そもそも死刑の無い国なので「死刑にすべき」とは言っていないような気がするし、たくさん被害者がいたので被害者の家族のうちの一人くらいは極端な意見を持っている人がいるかもしれないがいたとしてもわざわざその意見を書いたりはしないような気がする。

これに対して、日本のマスコミは、被害者の家族が被告人に対して極刑を求めるということを必要以上に強く報道すると感じるのは私だけだろうか? 日本のマスコミの報道姿勢、特に今回は読売と産経、そして少し毎日の姿勢に疑問を感じる。


日本囲碁界の現状

2012-12-09 16:08:19 | 囲碁

以前から、私は日本の囲碁界は井山本因坊、山下名人、張栩棋聖を中心に回っていると思っていたし、書いていたが、対戦成績を見ると、この3人に羽根九段、高尾九段、河野九段の3人が加わった6強で回っているようである。そこで過去1年間の7大タイトル戦の予選を含めた対戦成績を調べてみた。NHK杯などの早碁と世界戦は含んでいない。

その結果は下記のようである

井山本因坊 6強対戦 27勝7敗、それ以外の対戦 17勝0敗

張栩棋聖  6強対戦 9勝15敗、それ以外の対戦 9勝3敗

山下名人 6強対戦 7勝10敗、それ以外の対戦 9勝3敗

高尾九段 6強対戦 8勝10敗、それ以外の対戦 17勝6敗

羽根九段 6強対戦 8勝14敗、それ以外の対戦 16勝3敗

河野九段 6強対戦 7勝10敗、それ以外の対戦 27勝3敗

6人の中でも井山本因坊が圧倒しており、他の人はその余波を受けて負け越しになっているが、それ以外の対戦では6人合計でも95勝18敗で8割以上の勝率である。この勝敗を見る限り井山1強で第2グループに5人、それ以外は離れているとみるべきかもしれない。以前「張栩の碁が荒れている」と書いたがその反動が今は来ている感じがする。戦いを仕掛ける仕掛け方に無理がある感じがする。碁の中身をみる限り張栩、山下は他の3人より少し上の感じがするが、戦いの仕掛け方をうまく捕まえないと張栩が脱落して行くのではないかと心配している。読みの深さは感心するものがあるので張栩氏にはまた復活してほしいものだと思っている。


自民党が躍進しそう

2012-12-07 10:49:58 | 社会

昨日の朝刊で、新聞各紙の選挙に対する世論調査が出ていて、自民党が単独過半数をうかがう勢いとある。やはり国民はちゃんと見ていると思う。

私が残念に思うのは維新の会の動きである。太陽の党とくっついて石原慎太郎氏を代表にしたことで党としての性格が見えなくなった。維新という名前で明治維新に例えて言うと、坂本竜馬や西郷隆盛、高杉晋作などが共同戦線を張ろうと議論しているところに、島津斉彬が入ってきたようなものである。島津斉彬は幕末で先進的考えを持った島津の殿様である。石原慎太郎氏を島津斉彬に例えるのは問題があるかもしれないが、「要するに理解があるとしても殿様だろう」というイメージがある。裏側からサポートするなら良いが、前面に出ちゃあだめだと思う。私は石原慎太郎氏は問題発言も多いが嫌いではない。しかし代表に着いたことはいただけない。こんなことなら衆議員選挙には打って出ずに地域連合を継続しておいたほうが良かったとまで思う。

維新の会と太陽の党の合体が橋下代表、石原最高顧問、くらいならイメージは随分違っただろうと思う。橋下氏が自分から「私の下に入ってください」と言いにくいことは理解できるので、主に石原氏の問題だと思っている。私が維新の会で一番評価しているのは公務員改革である。大阪で、実務を握っていた地方官僚と対立し抑えて改革を成し遂げてきている。民主党が中央で官僚を抑え込もうとして失敗したのとは大分違うと思っている。私は何度かこのブログに書いたように、最終的には日本は大きな政治があっていると思うのだが、そのためには公務員の意識改革が不可欠だと思っている。公務員が利権を求める集団ではなく、サービスで競争する集団になるかどうか、そこが見通しが立たないうちはむしろ小さな政府を志向すべきだと思っている。

維新の会は大阪の公務員の意識を変えようとして真っ向からぶつかった。選挙で勝ったことでそれはかなりの程度成功していると思う。大阪が公務員の意識改革に成功したのかどうかはまだ分からない。公務員の中には立場を守ろうとする人、本気で良いサービスを提供しようとする人、様々な人がいるはずである。住民に良いサービスをしようとしてリスクがあっても動く、提案する、と言った人たちの意見が前面に出てきて様々な新機軸が議論されるようになれば本物だと私は思っている。大阪の公務員が現状、力で抑え込まれて内心不満を持ちながら我慢しているのか、職場の雰囲気が変わったのかは私にはわからないが、一般的にこういうものは時間がかかるのでしばらく継続する必要があると思っている。その結果を見るためにも橋下氏にはまだ大阪に注力してもらったほうが良いと思う。その意味で維新の会は石原慎太郎氏の団体にはなってほしくないと思っている。

まだ選挙が行われていないので分からないが、今回の選挙は選挙のためだけにきれいごとを並べても当選できない選挙になると感じている。歴史的に振り替えると、立候補者の意識改革が始まった選挙になるような気がして期待している。


クアルコムがシャープに出資?

2012-12-05 08:19:40 | 経済

ここ数日間、携帯電話用LSIで世界トップのアメリカQualcommがシャープに100億円出資する、という話しが日経新聞などで報じられている。今日になってその中身が明らかになってきたが、出資というよりは事業提携というべきものである。

報道によると、MEMSディスプレイをシャープの技術を使って製造する、という話である。Qualcommは以前からミラソルという超低消費電力のディスプレイを研究し、その実用化のための子会社も作っていた。ミラソルというのは液晶のように内部から光が出てくる発光型のディスプレイではなく、紙のように外部の光を反射する反射型のディスプレイである。小さな鏡をたくさん置いて光を反射させる。反射板の上に赤、青、緑という光の三原色のセルファンのような透過膜を置いて色を出す。その膜をMEMSという超微細シャッターで開けたり閉じたりすることによって色を出す、という技術である。シャッターを動かすための電力は必要だが光を出すための電力は必要ないので電池が長持ちするという仕掛けである。

今回のシャープとの提携ではMEMSディスプレイと呼んでいるがミラソルとは読んでいない。反射型のディスプレイではなく、内部の発光ダイオードからの光を透過膜で制御するという、発光型になっているからのようである。Qualcommは研究を続けるうちに暗い所でも読めるように発光機能を不可欠いうことになり、発光機能は持たせるようにしてこれまでの研究成果を生かそうとしたのだろう。ミラソルというのは蝶々の羽の燐紛の意味で蝶の羽のようにきらきら光るということだが、反射そのものを連想させるのに、反射型は抑えたので名前を変えたのかもしれない。

シャープに話が来たというのはMEMSの制御が台湾メーカーではうまく行かず、シャープに話が持ち込まれたもののようである。新聞によると今売出し中のIGZO(イグゾー)の技術が使えるとのことだが私の理解ではIGZOは高性能の薄膜半導体で、MEMSの制御技術とはかなり違う。専門家が判断したのだから間違いはないのだろうが、どうも腑に落ちない。

MEMSディスプレイは同じ画面を見続けるときには消費電力は減るが、画面が変わるときにはむしろ電力は増えるのではないかと思う。つまり映画を見るような場合にはあまり好ましくないのではないかと私は思っている。電子ブックが最も適した製品だろうと思う。スマートフォンもそんなに画面が変わらないので使えそうだとは思う。ただしIGZOディスプレイがオフの時の消費電力を大幅に下げるのよりも更に効果があるのか、シャープはIGZO一本でいくほうが良いのではないか、などと思う。

業績が良いからできることなのだろうが、一連のQualcommの新技術実用化への執念はたいしたものだと思う。失敗に終わったがMediaFLOというデジタルテレビの技術でも周波数を買うなどの動きまで見せた。本当に新しい技術を物にするにはここまでの執念が必要なのだと思う。ディスプレイも失敗に終わる可能性は低くないと思うが、チャレンジを続けるQualcommの姿勢はいずれ大きな果実に結びつくと思う。一方のシャープに対しては100億円に目がくらんだ訳ではなく、技術的裏付けがあるのなら良いが、とシャープのために思う。