ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

はじめての3GPPでの議長

2011-04-15 08:48:59 | 昔話

私にとって初めての国際会議の議長は1999年2月のワーキンググループ会合だった。普通の人は、特に日本人はこのような初めてのことに対しては非常に緊張して入念に準備する。どう進めればよいか、誰がサポートしてくれるか、困った特はどうするなどを検討して、万全の準備をして臨むのが殆どだと思うが、私はそういうところが大雑把で、事務局から前もってAgenda(議事次第)を送っておけばよいと言われて、そのつもりで後は現地に行ってから何とかなるだろうくらいに考えていた。

始めての会合はノキアの招待でフィンランドのヘルシンキの郊外コーピランピという場所で行われた。ここは国民休暇村のようなところで湖のそばで遊園地のような感じになっている。しかし2月のヘルシンキである。湖には厚く氷が張っていて、外は零下20度、食堂もホテルの中にしか無い。ホテルもいわゆる都市型のホテルではなく、日本で言うと国民休暇村のような感じだった。周りには建物はなく、ホテルの中に閉じこもって一週間を過ごすことになった。

私が仮議長になることは知られていたので、皆いろいろと教えてくれたのだが、まず、議事録を取る書記を任命しないといけないという。本来は書記は事務局があるETSIから派遣されてくるのだが、このときは3GPP設立直後でまだ体制ができておらず、書記は任命されていない。会議参加者からボランティアで任命するのだが、2-3人当ってみたが、「いや私はちょっと」と言って尻込みしてなかなか決まらない。そのうち誰かが「あいつは以前書記をやっていたから大丈夫だと思う」というアルカテルのフランス人を推薦してくれた。その人のところに行くと渋い顔をしていたがまあいいだろう、と言って受けてくれた。

こうして、会議が始まった。英語で話すこと自体は私はそれほど心配していなかったが、聴くほうがむしろ問題だった。当時のヨーロッパはフランス人はフランスなまり、ドイツ人はドイツなまりなど癖が強く、聴き取るのが大変だった。私はニューヨークに居たことがあったのでなまりには比較的強いと思っていたが、それでも大変だった。自分の理解に自信が無い時には、発言者の発言が終わった後で、「お前の言いたいことはこういうことか?」と言って確認しながら進めた。この確認は日本人参加者には好評だった。「あれで何を言っていたのか分かった」というコメントを何度か聞いた。ヨーロッパはもともと英語が母国語でない人が殆どなので、こういう点は聞きなおしても問題にはならない。

一日目を終わって、議事録を取る人から、今日の分を見てくれと言われて、議事録を見せてもらって驚いた。日本の議事録だと決まったことを書くだけだが、誰がどういう発言をした、ということを事細かに書きとめている。大変な能力だと感心すると同時に、皆が書記を務めるのを敬遠した理由が分かる気がした。

二日目には議論が発散して私は苦境に立つことになった。