ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

海外留学(3) 研究生活開始

2009-10-20 08:46:55 | 昔話
ニューヨークのコロンビア大学も9月に入ると学期も始まり、私の研究生活も開始される。

その前の英語学校に通う間の大切なこととして9月からの住む場所を確保しなくてはならなかった。 大学院生に部屋を斡旋する不動産屋で探したのだが、なかなか難航した。私はバスタブつきの部屋を探していたのだがなかなか見つからない。そのうち9月が近づいてくると次第に学生が戻ってきて空き部屋が無くなってくる。結局、あせって、シャワーだけでトイレつき、流しなしの細長い二間の狭い部屋を契約した。

敷金、礼金はなかったと思う。ベッドは付いていた。大学の正門のすぐそばで、狭い部屋だったが一月330ドルくらいだった。 私は会社からは1000ドル/月もらっていたので、この出費は結構大きかった。一月1000ドルはずいぶん安いようだが、当時は1ドル250円くらいだったのでそう文句も言えない金額だった。しかし、台所もない部屋で部屋代はずいぶん高いと感じたものだった。

部屋が決まると電話をつけてもらわなくてはいけない。これは管轄の電話局に行くのだが、私のアパートのあたりを管轄する電話局はハーレムと呼ばれる黒人街の真ん中にあった。そのころは大分ニューヨークにも慣れていたので私は歩いて電話局まで行って申し込みをした。行きは大通りを通って行って、全く危険は感じなかった。しかし、帰りに近道を通ろうとして裏道に入るとがらりと雰囲気が変わった。筋骨たくましい黒人の若者があちこちに何をするでもなくたむろしている。無職でぶらぶらしているのは明らかだった。視線を合わせないようにしてそこを通り過ぎて再び広い道に出た時はほっとしたのを覚えている。

自炊できないので基本的に3食とも外食だった。慣れてくると一日10ドルでやりくりできた。朝食が1.5ドル、昼食が3ドル、夕食が5.5ドルくらいである。これで一月300ドル、家賃を引いても若干余るのでそれで本や衣類を買ったり、飲みに行ったりしていた。ドクターコースの学生はだいたいこんな感じの生活だったと思う。最も初期投資が色々かかるので50万円ほどは日本から送金していた。

大学内では無給の研究生だったが、当時はコンピュータサイエンス学部を立ち上げたばかりだったので部屋には余裕があり、私は教授と同じ個室を与えられた。ドクターの学生は二人で1部屋だった。大学内での環境は恵まれていた