ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

海外留学(2) 夏の英語学校

2009-10-06 09:21:57 | 昔話
1982年の8月から1年間、私はニューヨークにあるコロンビア大学のComputer Science学部に留学した。留学が決まると結婚して奥さんと一緒に行く人が多く、留学は一つの結婚の機会になるのだが、私にはまだその気はなかった。

大学の学期は9月から始まるのだがその前1ヶ月間の英会話スクールに入った。この期間は学生がいないこともあって大学構内の学生寮に寝泊まりしていた。コロンビア大学はいわゆるハーレム地区の近くにあり、危ない地域と言われていたが、大学の入り口には警備員がおり構内安全だった。

この間に9月から住むアパートを探したり、ニューヨークの生活に慣れることも目的だった。英会話のクラスは15人ほどで、日本人、イタリア人、フランス人、スイス人、韓国人、中国人と様々だった。年齢は20代から50代までと様々だった。

授業内容は、当然であるが、全て英語で、アメリカの文化や生活習慣を教えてくれるものであった。Wall Streetの株を売買しているところに見学に行ったりもした。

アジア系の学生はアメリカに来て生活している人が多く、ヨーロッパ系は夏休みを利用して観光がてら、来ている人が多かった。ヨーロッパからの人は若い女性が多かった。特にフランス人はかわいらしかった。中には中国人の50才台の詩人もいて、私が日本では学校で漢詩を習う、といって杜甫や李白の詩を書いてみせると、喜んで自作の詩を墨で書いた「書」をくれた。書も見事なものだった。

あるとき、それぞれの国の子守歌を紹介するように先生が言って、私が最初に「五木の子守歌」を歌った。「Beautiful」という言葉が周りからでて、すごく評判が良かった。「五木の子守歌」を選んだのは五木寛之の小説で外国人に受けると書かれていたからである。これがきっかけで色々な人が様々な歌を歌った。

終わりのほうではフランス人の女の子と一緒に4-5人でロングアイランドに海水浴に行った。まだインターネットが無い時代だったが、どこの海水浴場がいいとか、交通機関はどうやっていけばいいとかは、やはりヨーロッパ系の人が強く、手際良く探してきた。

大学まで帰ってきて夕食にしようということになったが、お昼をしっかり食べたので皆で軽くしようと言っていた。日本食は高いので中華にしようかというと、フランス人は「中華は重いのでイタリアンにしよう」という。私の感覚ではイタリアンのほうが重く、中華で少ない皿を注文して皆で分けるのが良いと思ったのだが、彼らからすると逆のようである。結局ピザ屋に入り、Samllのピザを注文したのだが、これが直径30cmくらいあり、ヨーロッパ人も驚いていた。

こうして楽しい夏を過ごして、次第にニューヨークの生活に合わせていった