ウィトラのつぶやき

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オバマ大統領、ノーベル平和賞受賞

2009-10-10 08:40:23 | 社会
アメリカのオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した。「素晴らしい」という声と「早すぎる」という声が半々のような感じだが私の印象は「さすが、ノーベル財団」というものである。

ノーベル賞は過去の実績に対して出されるものである。自然科学の分野では対象となる論文を発表してから30年後に受賞が決まる、というのが普通である。政治の分野ではもっと早く任期を終えた政府高官が任期中の業務に対してノーベル賞をもらうようなことが少なくない。 科学の場合には、理論の新しさが認められてから実用化され大きな産業になるまでに時間がかかるために遅れて受賞するわけだが、政治の世界では任期を終えると後は風化するばかりなので、任期直後に出しているのだろうと思う。

今回のオバマ大統領の場合にはまだ方針を示しただけで、結果はほとんど出ていない。明らかにこれまでの前例の反するような賞の出し方である。この件に関しては審査委員会の中で以下のような経緯があったのではないかと想像している。

候補者の一人としてオバマ大統領が上がる。しかし、誰かが「彼はまだ演説をしただけで結果を出していないではないか」と否定する。しかし、推薦者は「オバマ大統領に対してはいずれノーベル平和賞を出すことになるだろう。それならば実績が出てから「ありがとう」の趣旨で出すよりも、今年出して、彼の活動を後押ししようではないか」。そういう考えまあるかと色々検討した結果今年出すのが最適という結論になったのではないかと想像している。

この考え方に、ヨーロッパ独特の柔軟さを感じる。私が仕事で出席している標準化会議と同質のものである。 ヨーロッパ流は基本的にはルールを決めてそのルールに従って動く。しかし、そのルールは絶対ではなく、ルールに反していても参加者の合意があれば合意のほうが優先する。合意がとれない時には「ルールに反してまで決めることではない」としてルールが優先される。何度もルールと違う決議が出されるようだと、ルールがおかしいのではないか、とルール自体を見直すことになる。

この辺りのルールに関する感覚が日本人と大分違う感じがする。日本だと、「それはルール違反だ」と言われるとほとんどの場合黙ってしまう。それでもがんばるのは自分にとって大きな損害になるような場合だけである。

ヨーロッパ人には「ルールは自分たちが決めた、自分たちを律するもの」という感覚なのに対して日本人にとってルールは「上から与えられた守らなければならない規則」という感覚のように感じている。

オバマ大統領に話を戻すと、彼の示した二つの大きな方針「世の中から核兵器をなくす」「地球温暖化防止のためにエネルギー消費を抑える」はいずれも最大の保有国であり消費国であるアメリカが賛同しないために掛け声はかけても実態は進まなかったというのがこれまでの実態である。

それをアメリカ大統領が自らこの方向に向かって動くことを宣言したことで世界の流れが変わる、あるいは変わる可能性は非常に高くなった、と思う。

そのオバマ大統領を後押しする今回のノーベル財団の決定に拍手したい