(回想チュニジア日記)
親しくしていただいた近所の「おばさん」が夕食に招いてくれた席で、アメリカ在住のチュニジア人(写真)と知り合った。
彼は、オレゴン州立大学でアラビア語やフランス語を教えている。同時に、同大学学生を毎年三ヶ月間ほどチュニジアにホームステイさせ、チュニジアについて学ばせるプログラムの世話役をしている。それで、毎年夏になると学生を引き連れてチュニジアに戻ってくる。
この日、彼からの依頼で、小生がチュニジアで撮り貯めた野原や路傍の花の写真を紹介することとなった。チュニジアの自然環境についての学んでもらうのがその目的であった。場所は、チュニスのISLT( Institut Sperieur des Langues de Tunis )。七、八名の米国人学生が聴講した(写真)。
小生、大変リラックスした気分で彼らに接する事ができた。オーバーな言い方をすれば、異国の地でまるで旧知にめぐり合ったような感じがしたこともその一因だと思う。無論、小生が米国人に慣れ親しんでいるなどと言えるわけでは決してない。しかしそれでも、小生にとってのチュニジア人の「異国度」は、米国人に対するそれに比べるとまだまだ高かったということなのかもしれない。二年近くのチュニジア滞在経験にもかかわらず・・・だ。
この日はまだ相当暑かったのに、彼、頭にチュニジアの伝統帽子「シャシーヤ」をかぶっていた。これは、分厚い羊毛製だ。きっと、チュニジアに戻って、チュニジア人でいられることが余程嬉しかったのに違いない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/f4/531a65d251cec0140632365b1a44d04a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/98/69114eeb55e3e9b2c0ab22ba6b8da198.jpg)
camera: CoolPix C4500
親しくしていただいた近所の「おばさん」が夕食に招いてくれた席で、アメリカ在住のチュニジア人(写真)と知り合った。
彼は、オレゴン州立大学でアラビア語やフランス語を教えている。同時に、同大学学生を毎年三ヶ月間ほどチュニジアにホームステイさせ、チュニジアについて学ばせるプログラムの世話役をしている。それで、毎年夏になると学生を引き連れてチュニジアに戻ってくる。
この日、彼からの依頼で、小生がチュニジアで撮り貯めた野原や路傍の花の写真を紹介することとなった。チュニジアの自然環境についての学んでもらうのがその目的であった。場所は、チュニスのISLT( Institut Sperieur des Langues de Tunis )。七、八名の米国人学生が聴講した(写真)。
小生、大変リラックスした気分で彼らに接する事ができた。オーバーな言い方をすれば、異国の地でまるで旧知にめぐり合ったような感じがしたこともその一因だと思う。無論、小生が米国人に慣れ親しんでいるなどと言えるわけでは決してない。しかしそれでも、小生にとってのチュニジア人の「異国度」は、米国人に対するそれに比べるとまだまだ高かったということなのかもしれない。二年近くのチュニジア滞在経験にもかかわらず・・・だ。
この日はまだ相当暑かったのに、彼、頭にチュニジアの伝統帽子「シャシーヤ」をかぶっていた。これは、分厚い羊毛製だ。きっと、チュニジアに戻って、チュニジア人でいられることが余程嬉しかったのに違いない。
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camera: CoolPix C4500