散歩、旅行そして海外滞在の写真備忘録

過ぎ行く時間の中で、心に残り、蘇る記憶を、「私の写真備忘録」としてここにまとめたい。

2008.12.29 北区西が丘 「壁画」が素敵な家

2008-12-30 10:09:25 | 散歩
本郷通沿いで見た家だ。「この家にこの壁画!」と感嘆させられた。
その時は壁画に見とれて、家全体はあまり見なかった。後で写真を見てみると、ガラス窓には内側からダンボールで「目張り」をしてあるようだ。ひょっとして、今、住む人がいないのかもしれない。
本郷通りはかつての岩槻街道の道筋。江戸時代、将軍が日光東照宮参りに通ったことから日光御成道とも呼ばれたと言う。
写真の家の近くに、本郷通りのど真ん中、上下線を仕切るかのように「西ヶ原一里塚」がある。江戸時代、日本橋から日光まで続いた「日光御成道」の「二里目の一里塚」が、そのまま残っているのだそうだ。


2005.12.28 チュニス、ローマ遺跡の水道橋

2008-12-29 09:19:57 | 回想・チュニジア日記
大昔、この地はローマの支配下にあった。当時の遺跡がチュニジア各地に数多く残っている。その中で、水道橋の遺跡としては、チュニスから南に50km程のところにあるザグアンのそれが有名。
しかし、チュニス市内にも水道橋は残っている。チュニス中心部、Republiqueからメトロ4番で五つの駅、ブシューシャで降りるとすぐ近くに見える。住宅街の中にそれとない感じで残っていて、あまり「有難い遺跡」のイメージはない。(写真上)
この日、その見物に出かけた。メトロ車中で、隣に背が高くごついおじさんがいた(写真下)。わかりにくい英語でしきりに話しかけてくる。無論、このような場合、当方は先ず警戒。水道橋見物の話をすると降車駅を教えてくれた。ブシューシャに着くと一緒に降りて、「じゃーね」という感じ。要は、なかなか親切なのだ。その時になって気づいたが、このおじさんメトロの従業員であったようだ。
チュニジアの男性、見かけは「むくつけき」でも、つきあうと意外にそうでもないことが多かったように思う。一方、こちらを外国人と見ていかにも親切、やさしげに話しかけてくる輩にも、街中で何度か出くわした。その多くの場合、彼等、何らかの下心を持ってのことだった。




2008.12.10 窓辺のデンマークカクタス

2008-12-28 11:25:21 | その他
冬の晴れた日、南に面した窓辺は、朝十時を過ぎる頃になると日がよくあたる。暖かく心地良い。我家では、そこに食卓がある。
昼飯時、テレビを見ていた目を少し脇に転じると、たった一つ、いっぱいに花を広げたデンマークカクタスが眼に入った。小生の隣に並ぶように置いたスタンドの鉢に植えられたものだ。真っ赤な花弁が、差し込む日差しを受けて透き通って光る。思わずカメラを持ってきてパチリ。
後からPhoroshopで少しいじって、この写真を仕上げた。


2003.12.26 チュニス アメリカ合衆国通り

2008-12-27 18:09:23 | 回想・チュニジア日記
朝、ベルヴェデールホテルの窓から見下ろしたアメリカ合衆国通り。
歩道は広い。しかし歩いてみれば、敷き詰めたブロックはでこぼこ。車道との境になる縁石もかなりの高さ。所々で「歩道駐車」。
ここだけではなく、チュニス市街・近郊全体の歩道がこんな具合。「年寄りや車椅子の人はどうするのだろう」と思ってしまう。
そう言えば、チュニスの町では車椅子の人の姿は見たことがない気がする。

写真の中で向こうの森はベルヴェデール公園。緑豊かでかなり広い。中に簡単な動物園などもある。職場からも近く、何度か足を運んだが、残念ながら、「寛げる」という感じでもなかった。(街中で寛ぐにはカフェが一番!)

なお、「アメリカ合衆国通り」命名の所以は不明。この他にも、国名がついた通りはいくつかある。「ガーナ通り」とか・・・。「日本通り」もある!


2008.12.24 六本木の柿とブーゲンビリア

2008-12-27 09:39:51 | 散歩
いずれも、ミッドタウンのすぐ近く、六本木通から少し入ったところで見た。
一つは、古い木造家屋の庭にある柿。まだ実をたくさん残していた。「花の六本木」にも、まだこんな風景が残っている!
もう一つは、民家の庭に咲く大きなブーゲンビリア。小生にとっては、「冬の東京でもブーゲンビリアが大きく咲く」ことを知った事例の二つ目となった。




2003.12.24 チュニス ベルヴェデールホテルのクリスマスケーキ

2008-12-25 09:36:07 | 回想・チュニジア日記
ベルヴェデールホテルは、チュニス市街中心部にあるホテルとしては上等クラス、職場にも近いとあってまずまずの環境なのだが、既に三週間ほど続いたホテル暮らしにも、さすがに、辟易とし始めていた。
現地の住宅事情も良くわからず、新聞広告を見ようにも言葉がダメなまま、それでも、「借家を決めねば」と焦る気持ちにもなりつつあった。
そんな中でクリスマスの日を迎えた。ホテルは、長期宿泊客へのコンプリメントか、クリスマスケーキを部屋に届けてくれた。なにしろ、殆どがイスラム教徒の国であることもあり、当方にとっては予期せぬ「サプライズ」だった。それだけに、ちょっぴり嬉しく、幸せな気分になったものだ。
このケーキ、まさにケーキではあるが、やはり「異国」を感じさせる姿。とびきり甘かった!


2006.12.25 中野区 正蔵院の枯れイチョウ

2008-12-24 09:09:47 | 散歩
正蔵院は、方南通りを東大付属前で別れて丸の内線中野新橋駅に向かう道の左側、少し奥にある。都内の寺としては標準サイズ・形・造りの寺だ。
門に入ってすぐのところに20mを越す高さのイチョウが一本。まわりに高い木はその一本なのでとても目立つ。
年の瀬の時期、すっかり葉を落として空に広がる枝が、筆毛を膨らめたような形で、とても整っていた。植木職人が形を整えたと言うわけでもないだろうに・・・
ところで、「正蔵院」でGoogleをあたってみると、出てくるのは葬式、墓地にかかわるものばかり。今時、寺の社会的機能がほとんどこの部分に集約されてしまっていることを代弁する典型となっている。寺の本業が、いわば、「サービス業」になっているみたいなものだ。
最近はやった「千の風」で、「私はそこ(墓)にいません」などと歌われてしまうと、その寺に墓があることの意味もあやふやになってしまう。将来、「寺はどこに行く」のか?


2002.12.23 西新宿南通の夕景

2008-12-23 09:10:26 | 散歩
6年も前の今日、午後四時少し前、角筈橋あたりから西を向いて撮った写真だ。
この日の晩、孫たちのいる家のクリスマスに呼ばれていた。それで、恐らく、孫共に進呈するクリスマスプレゼントを買いに出かけた際に撮ったのだと思う。
それはともかく、この一帯の夕景はなかなかだ。西を背にすれば、高層ビル群が夕陽に輝く。西を向けば、真っ赤な夕焼けの空に、ビルと葉を落とした欅のシルエットが浮かぶ。ビルの谷間になった所では、薄暮の中、店の看板やネオンの明かりが誘蛾灯のように鮮やかな色で浮かび上がり始める。