散歩、旅行そして海外滞在の写真備忘録

過ぎ行く時間の中で、心に残り、蘇る記憶を、「私の写真備忘録」としてここにまとめたい。

2006.07.28 谷中 「錻力店」

2006-07-31 21:58:42 | 散歩
この日の谷中行きでは、思いがけなくもカラフルかつ前衛的な風景に先ず目が行ってしまった。
しかし、そこは谷中、しっかりと懐かしい風景にも触れることができた。
そのうちの一つが、まさにレトロな作りの「錻力店」。
そう言えば、最近「ブリキ」という言葉すらあまり登場しないように思える。まして、それを「錻力」と書くとは。
正直に言って、ガラス引き戸に書かれた「錻力」をブリキとは読めたが、この漢字はここで初めて覚えた次第。

さらに、何で「ブリキ」と言うのか、との疑問が湧いた。
早速Wikipediaであたってみたら、「明治時代、レンガ(ブロック)をブリキで保護して運ばれていたものを指して何か質問したところ、誤ってBrick(つまり、レンガの意味)と答えたのが語源とされている」、だそうだ。
それにしても、旨い漢字をあてたものだと感心する。


camera: Lunmic DMC-FX9

2004.05.09 日 ブーゲンビリア

2006-07-31 10:22:44 | 回想・チュニジア日記
五月に入ると、ブーゲンビリアが満開となり、家々を鮮やかに彩る。
赤、ピンク、黄色、白と色も多彩。
写真は我家の庭。

ついでに、頑丈な窓の面格子を見ていただきたい。チュニジアの家では、二階は別にして、一階の窓すべてにこのような面格子がつくのは普通。防犯対策には気合が入っている。


camera: FinePix F700

2006.07.28 ピンクの塀のお寺 谷中修性院

2006-07-31 10:05:29 | 散歩
お寺の塀がピンクで塗られているなどというのは、そうはないのではないか? 
それが谷中にあった。しかも、壁にはマンガチックで愛嬌ある布袋様のタイル絵が並ぶ。
谷中と言うと、谷中墓地。墓と寺の町で、なにやら線香臭い町というイメージにつながる。一方では、「昔の暮らしぶりを残す町」というイメージもあろう。

しかし、このピンク塀。更には「墓地受付中」と赤地に白く書かれたのぼり。墓地の向こうは、同じ形で軒を連ねたモダンな建売住宅。
この写真の視野の中で見る限り、そのような「谷中」のイメージには程遠い。


2006.07.28 谷中で見つけた異様な「オブジェ」

2006-07-30 20:44:24 | 散歩
これも、日暮里駅から谷中銀座に到る途中の階段の手前、前に述べたケバイ薬屋の並びである。
「粗大ゴミ置き場」ではない。
何と、道沿いのレストランが、歩道にまで出っ張らせて特設した客寄せ用の「オブジェ」!
暖炉のようなものの中に置かれたテレビでは何かが「上映」されている。真昼間で、よくは見えず、又当然見る人もいないのが物悲しい。
それに加え、炊飯器とかパラソルとか・・・・これは何じゃ?!


camera: Hexar RF
lens: M-Hexanon 50mm/f2
film: FUJI SP400

2004.05.09 日 La Gouletteにて 「サッカー試合に勝った!」

2006-07-30 18:21:18 | 回想・チュニジア日記
La Gouletteは、カルタゴ(Carthage)から南に5km程のところの海沿いの町。
この日、昼飯にメキシコ料理を食おうと出かけた。
町の一角で若者が賑やかにしている。ちょうどサッカーの試合があって、チュニジアチームがどこかに勝ったらしい。
その連中に呼び止められた。
前々回のワールドカップでチュニジアチームが日本に来たり、ナカタがここでも有名であったりして、チュニジアの若者がサッカーの勝利に浮かれている時に出くわすと、ほとんど必ず「ジャポネ!」の声がかかる。きっと、一緒に祝ってくれと言う事なのだろう。我々日本人に好意を持っている事の現われでもあるわけで、それを無下に無視できない。
それで、つい親指を突き上げて、こっちも「チュニジ!」などと叫んでしまう。

なお、メキシコ料理は「案の定」今一だった。地理的に近いイタリアンやフレンチも含め、チュニジアのレストランで「旨い外国料理」にありつくのはなかなかたいへんなのだ。


赤いしまのシャツがチュニジアチームのユニフォームらしい。

2003.08.07 足利学校 近くで見た可愛らしい「置物」

2006-07-29 22:14:00 | 国内旅行
足利は、無論、足利学校で有名。
見物も、先ずは足利学校。
その印象、なかなかとは思うがそれ以上でもない。既にテレビや本などで見ていることが、「初めて!」という新鮮な印象をどうしても薄めてしまう。
一般論としても、史跡・遺跡類は、何といっても「現在進行形」の生命感には欠ける。
そこで、何か「オッ!」と言うようなものに、おまけとしてめぐり合うととても嬉しい。

写真は、足利学校近くで見たネコの絵が描かれた石。何かの店を飾る置物になっていた。もう一つ、見上げると、屋根瓦の上、看板の両側に犬の置物。
両方とも、足利学校見物を、楽しく、思い出深いものにしてくれた。



(小さい写真で、「犬」は見にくいかもしれない・・・)


足利学校の一景

film: FUJI RDPⅢ

2004.05.06 木 チュニス リパブリック広場

2006-07-29 10:30:59 | 回想・チュニジア日記
リパブリック広場は、チュニスの交通の要衝の一つである。メトロ各線がここで交差する。バスの始発点も付近に集まっている。チュニスの町を南北に貫くメインストリートもここでリベルト通りからパリ通りへと名前を変える。

Tunisの職場からLa Marsaまでの帰宅時、ここからバスに乗った。始発だから、まず確実に乗れるからだ。
それでも、時間が不規則だったり、列を作らない人々の乗車争いで不幸にも負けると、そのバスに乗れなかったりする。しかし、運よくバスにすぐ乗れて、しかも座席がここで一杯になると、まことに都合が良い状況となる。バスは、渋滞する市内を経由する通常のルートではなく、交通の流れがスムーズな別ルートを走るのだ。
それで、順調な時には一時間足らずで帰れる一方、運が悪いと一時間半以上かかってしまう。
毎日、バスには一喜一憂。その日一日が気分良い日であったかどうかは、帰宅時のバスによるところが大であった。


camera: FinePix F700

2006.07.28 谷中で見つけたケバイ店

2006-07-28 21:46:48 | 散歩
日暮里駅から、途中階段を降りて谷中銀座に到る。
その階段の手前左側に、びっくりするほどきらびやかな店があった。
何と、薬屋だ。漢方か?・・・。いろいろ張り紙があるわりには、そのところが必ずしも良くわからない。
いずれにせよ、その並外れた派手さには息を呑む。

その派手さに便乗するかのように、その隣に詰まれた、カラフルなビールのケース。
めったに見られない風景だ。




camera: Hexar RF
lens: M-Hexanon 50mm/f2
film: FUJI SP400

2004.05.02 日 La Marsa Marsa駅に入ってくるTGM

2006-07-28 16:52:13 | 回想・チュニジア日記
電車は、La MarsaとTunisの間を30分余りで結ぶ。15分間隔ぐらいで運行されていた。
三両連結で木製のシート。すわり心地は固く、良くない。ただし、三両のうちの一両の片半分が一等で、ここはビニールで覆われたクッションつきのシートになっている。
もっとも一等でも、座席が広いわけでもない。また、座席指定でもないので、当然、混めば座れない。
びっくりするのは、電車がホームに着いて停まりきらないうちにドアが開く。発車の時は、少し動き始めてからドアが閉まる。

電車が駅に着いたり、駅から出る時、「ポー」と、ソフトな音色の警笛を鳴らす。この音が我家でも聞けた。その度に、何かほのぼのとした気持ちにさせれたものだ。
これと、一日五回、モスクのスピーカーから流れる、礼拝の時間を知らせるアザーンの響きが、チュニジアの音の良き思い出だ。

写真の季節は春たけなわ。 線路沿いに赤いポピーなどの花が可憐に咲いている。


camera: FinePix F700

2004.05.02 日 La Marsa ご近所のお爺さん

2006-07-27 09:32:22 | 回想・チュニジア日記
近所のお爺さん。
お爺さんであることは間違いない。孫がいるのだから。
実際、齢はいくつだろうか? チュニジアの男性は、日本人に比べるとずっと老けて見える。
小さめの家に家族と一緒に暮らしている。
眼と、耳と、足が悪いようだ。
朝晩、こうして家の入り口の前で日向ぼっこをするのが日課になっている。
チュニジア人は家族の結束・助け合いをとても大事にする。その中で、老人を大事にし、敬うという気風が保たれているように思う。
恐らくそのせいであろう、このお爺さん、「気の毒」というようには全く見えない。むしろ、「年寄りの風格」を漂わせている。

今世界中で、近代化とか経済的な発展を目指す中で、このような家族のありようを「Sustainable」とすることを、基本的な要件として優先すべきではないか、と思ったりする。


camera: FinePix F700