ドゥッガは、一世紀にローマの支配下に置かれたと言う。
現在、比較的保存状態が良い遺跡が残っている。
遺跡の中心はやはり神殿であろう。はっきり言って、瓦礫のようになってしまっている中、それでも神殿はかつての威厳を十分に感じさせる。
チュニジアには、このようなローマ時代の遺跡がいくつもある。
これらを見ると、チュニジアの歴史を、アフリカというよりむしろ地中海文化の中に位置づけなければならない事が良くわかる。
その、ギリシャ・ローマの地中海文化は、現在西欧諸国の民族が引き継いだ形になっていると思う。そして、彼らが現代世界をリードする民族として大きな顔をしている。
一方、チュニジアでは、アラブ人の侵攻・支配とともにギリシャ・ローマの地中海文化が途絶えてしまった。現在はアラブ文化の国であり、残された遺跡は「よその人の夢の跡」となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/98/580547637ef03ee0b30ad6bf4ee57941.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/50/bee48148479d7717e0d96a47973b9608.jpg)
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現在、比較的保存状態が良い遺跡が残っている。
遺跡の中心はやはり神殿であろう。はっきり言って、瓦礫のようになってしまっている中、それでも神殿はかつての威厳を十分に感じさせる。
チュニジアには、このようなローマ時代の遺跡がいくつもある。
これらを見ると、チュニジアの歴史を、アフリカというよりむしろ地中海文化の中に位置づけなければならない事が良くわかる。
その、ギリシャ・ローマの地中海文化は、現在西欧諸国の民族が引き継いだ形になっていると思う。そして、彼らが現代世界をリードする民族として大きな顔をしている。
一方、チュニジアでは、アラブ人の侵攻・支配とともにギリシャ・ローマの地中海文化が途絶えてしまった。現在はアラブ文化の国であり、残された遺跡は「よその人の夢の跡」となっている。
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