散歩、旅行そして海外滞在の写真備忘録

過ぎ行く時間の中で、心に残り、蘇る記憶を、「私の写真備忘録」としてここにまとめたい。

2009.05.23 杉並区 沖縄タウン 和泉明店街: 何これ、もぐらつけ麺?!

2020-05-31 09:10:17 | 散歩
古い写真を見直していて、「もぐらつけ麺」という看板が気になった。 もぐらとは奇天烈!
調べてみると、「もぐら」とは沖縄方言で辛味大根のことなのだそうだ。
それで、汁にすりおろした辛味大根を加えていただくつけ麺と判明。 なるほど、場所柄ではある。


チュニジア、エル・ジェム: 世界遺産、ローマ円形闘技場を見下ろす眺め

2020-05-30 08:54:16 | 回想・チュニジア日記
田舎町のぽつんとそびえるこの円形競技場遺跡は、本場ローマのものより「程度良く」残っているという。
又、チュニジアには全部で25程もの円形競技場遺跡があるというから驚きだ。
「田舎町」と言ったが、ここはローマ帝国の中でも最も豊かな町の一つであったという。
又、7世紀、女王カヒナが率いるベルベル軍が攻め込んだイスラム・アラブ軍に最後の決戦を挑んで敗れた地でもある。
今「田舎町」ではあっても、その歴史の濃さはなかなかのものなのだ!
(2005年5月22日撮影)


チュニジア、ラ・マルサ: 何故か静かなモスク前広場夕景

2020-05-29 08:29:19 | 回想・チュニジア日記
写真は、モスク前広場にて東側、海岸方向を見て撮ったもの。
広場の突き当りが海岸通りである。
この時季、夕暮れ時ともなるとこのあたりはそぞろ歩きの家族連れなどでかなりの人出があるのだが、写真の眺めはなぜか静か。
コロナによる「外出禁止」など、あったはずもないのに・・


チュニジア、Takrouna(タクロウナ): 「丘の上の町」遠望

2020-05-28 08:43:30 | 回想・チュニジア日記
タクロウナはチュニスから南へ60kmほど下ったところにある。
海抜100mほどの丘の頂上に城塞のような態をなした遺跡。だいぶ荒れていたが、今ではか観光地として整備が進んでいるようだ。
チュニジアでは少数派のベルベル人の町と言う。
(2005年5月21日撮影)


杉並区和田、蚕糸の森公園: 今はいずこのミドリガメ

2020-05-27 08:49:39 | 散歩
写真は、2009年5月に撮影したミドリガメ。
池にはこのほかにも何匹かいて、みんなのんびりと日向ぼっこをしていた。
最近行ってみたところ、カメの姿はなし。どうなってしまったのだろうか?
この亀は外来種で、繁殖し過ぎて日本の在来種の存続を脅かしているなどとも時々言われている。


チュニジア、エル・ジェム: 道路の先にローマ闘技場遺跡を望む

2020-05-26 09:02:35 | 回想・チュニジア日記
エル・ジェムはチュニスから南に200kmほど下って、中部にはいるあたりにある町である。そう大きな町ではない。
そこに、「まさかこんな所に」がぴったりの感じで巨大なローマ時代の闘技場遺跡!
写真は、その闘技場入り口に向かう道から撮ったもの。
(2005年5月撮影)


チュニジア、ラ・マルサ、マルサ海岸: レストラン「El Dokkana」夕景

2020-05-25 08:53:46 | 回想・チュニジア日記
砂浜に降りる道の途中にあるこのレストランは今時分から夏の間、しかも夕方以降だけオープンするような店であった。
こじんまりしていて、純ローカルと言った感じもあってマルサ滞在中に入ってみたことはなかった。
最近は改装してだいぶきれいになっていたようだが、このコロナ騒ぎで潰れてしまったという。
(2004年5月撮影)


2020.05.03 中野区 区役所脇並木通り: 新緑もずいぶん濃くなった!

2020-05-24 08:41:52 | 散歩
区役所東側の通りである。高いケヤキがうっそうとも感じられるほどに「密」に並んでいる。
つい数日前までは初々しい感じだった新緑も、もううっとうしいほどにまで緑を濃くしていた。
しかし、根元にはツツジの赤がちらほらと加わり、まだ「春」の風情を残していた。


チュニジア中部、古都マーディア: なかなか優美な入口ドア周り その三

2020-05-22 08:33:06 | 回想・チュニジア日記
白、ベージュ、茶色、グリーンで落ち着いた配色。
直線だけのデザイン。その分、ドアの上の曲線的なアラビア文字が目立つ(読めないのが残念)。
全体的にとてもシック!
チュニジアの伝統的な建物では何といってもチュニジアンブルーと白を組み合わせた明るい配色と曲線デザインが目につきやすいのだが、このような渋めの造りも意外と多い。
(2005年5月撮影)