散歩、旅行そして海外滞在の写真備忘録

過ぎ行く時間の中で、心に残り、蘇る記憶を、「私の写真備忘録」としてここにまとめたい。

2009.06.25 ノウゼンカズラ

2009-06-30 10:43:10 | 散歩
近所を散歩中、生垣にきれいに咲くノウゼンカズラを見た。
この花、最近はあちこちでよく目にする。しかし、確か昔は余りポピュラーではなかった気がするが・・・。
ノウゼンカズラの花大きめな朱色で派手。遠目ではとても眼につく。しかし、近寄って一つ一つをよく見ると全体にぼてっとした感じ。清楚・繊細・新鮮とかと言い表すには縁遠く、小生は余り好きではない。
しかし、この日ここで見たノウゼンカズラは「咲きたて」だったのかもしれない、みずみずしさが漂い、なかなか良かった。「ノウゼンカズラも見直さねば」と思った次第である。
ところで、おしべやめしべがツンと上を向いていて、花の上方、花弁にくっつくほどの位置についているのに気がついた。こんな花も珍しい。何か理由があるのだろうか?

ノウゼンカズラは漢字では凌霄花と書くと言う。「ノウゼン」の語源は、その「凌霄」だそうだ。平安時代の『本草和名』で「凌霄」を乃宇世宇(のうせう)とされ、時を経てノウゼンに転訛したと言うことだ。
いずれにせよ、ノウゼンカズラはずいぶん昔から日本にある花なのだ。




2009.07.15 コタキナバルの思い出: 海の景色 07/ 国道A2沿いのリゾート

2009-06-30 10:11:30 | コタキナバル滞在記
日曜日。朝から好天。家内は帰国中。午前中、パパールまで日曜市見物に一人ドライブ。パパールは、コタキナバルから海岸沿いに国道A2を南に30km余り行った所にある比較的大きな町だ。
途中、道路沿いの二ヶ所のリゾートホテル、"Langkah Syabas Beach Resort"と"Beringgis Beach Resort"に寄ってみた。下は、それらのビーチで撮ったもの。
これらのリゾートホテルは、こじんまりしていて、言い方は悪いが「二流」。しかしその分アットホームな感じ。滞在しているは、現地の人の他、さほど遠くないオーストラリアとかインドネシアからの客であるようだった。
さてビーチ、人影は全く無い。他の「豪華リゾート」も含め、海沿いのリゾートでは「海水浴」はしないものらしい。皆さん泳ぐのはプールであり、あとはノンビリと「日光浴」ということであるようだ。

Langkah Syabas Beach Resort


Beringgis Beach Resort

2009.06.19 中央区勝鬨 ”風前の灯”

2009-06-29 08:50:10 | 散歩
写真は清澄通を西に、晴海通とぶつかる交差点を過ぎて、西島橋の手前あたり右側で見た光景。新しい建物の建築現場囲いを背にした、”風前の灯”を感じさせる古びた集合住宅(店舗?)である。
この一帯、「海あり運河あり川あり橋あり」である他、新旧の建物が混在していて散歩にの目を楽しませてくれる所だ。
しかし、旧い建物は次第に姿を消してしまうのであろう。そうなると、建物はすべて「綺麗で大きいが冷たい・無味乾燥」な近代建築になってしまうのだろう。

ところで、「持続可能な開発」は今時の「エコ活動」のキーワードである。「環境」と言うと、何もCO2やリサイクルの問題だけではない。身の回りの景観・美観も当然含まれる。それゆえ、旧く歴史がある町の景観も持続可能であるような都市開発がもっとまじめに考えられるべきではないだろうか? 
無論、そのような「景観」は、史跡・名所などとしてより、生活・現業の場そのものの中に先ずは残されているべきである。
「旧さ」は歴史を感じさせ、市民にとっては「心のふるさと」確保の助けにもなろう。「物を大事にする心」の熟成にも繋がると思う。
なにしろ、ヨーロッパの町・都市に日本が学ぶべきところがあるとすれば、それは何よりも先ず、「旧さ・歴史が今様・現代と調和・共生すること」にある、と小生は思う。


2007.06.28 コタバルの思い出: 海の景色 06/ 水銀色に光る海

2009-06-29 06:10:52 | コタキナバル滞在記
18:41、雲の切れ目からさす光線、探照灯を下に向けて発したかのようだった。海面は、小波を浮かべつつ水銀色に光っていた。「これは写真に!」とカメラを準備する短い時間の間にも、雲の切れ目の形や、そこから発する光の強さは刻々と変わる。「最初に見たときはもっと綺麗だったのに・・」と思いつつも撮ったのが下の写真である。


2009.06.23 中野通・笹塚: DP2に背を押されての散歩

2009-06-28 11:34:32 | 散歩
蒸し暑い日であった。昼間はとても散歩に出る気にはならない。夕方になってもまだ蒸し暑さは続き、散歩に出る腰もなかなか上げにくかった。
しかし、最近手に入れたDP2を試してみたい気もあった。それゆえ、気持ちを奮い立たせ、それを持って家を出た。
写真は、その散歩の途中に撮った中野通りと笹塚駅前の光景。とにかく、それが小生の好みかどうかは別にして、えらくシャープ。小生が今までに経験した他のデジカメやフィルムカメラで撮ったものとはまた別の次元の「味」の写真になっていると思う。写真に写った見慣れた景色が、まるで別の景色であるかのように思えるほどだ。
いずれにせよ、「シャープさ」は良い写真の基本的な要件であるには違いない。・・というわけで、この写真を見つつ、このカメラをとことん使ってみたいと思い始めた次第である。




2007.06.27_07.03 コタキナバルの思い出: 海の景色 05

2009-06-28 09:03:12 | コタキナバル滞在記
コンドミニアムの同じ部屋から同じ海を見ると言う点では、毎日が「同じ風景」だ。
しかし、時刻や天候で大きく変わる。まさに千変万化だ。
その中で、元気がもらえるような朝の眺め、また、我が人生と重ね合わせて何かを思わされるような日没の風景にめぐりあえると、とても「得したような」気分になったものだ。そこで撮った写真をこうして眺めなおしていると、その時そのときの印象が鮮烈に蘇ってくる。

下の最初の写真は6/26の夕(19:16)の真鍮色の夕暮、次は7/3の夕(19:38)の薄紅色の日没である。




2009.06.09 中野区南台: ギョッとする光景

2009-06-27 10:07:41 | 散歩
写真の場所は、中野区南台2、中野通りから小路を少し入ったところである。
この防水ウェアが玄関の前に常時吊るされている。ということは、本来の用途で使われているようには見えない。むしろ、「魔よけ」か何かにされているかのようだ。
たしかに、薄暗くなった夕方など、あたりをボケッと歩いていて、無意識のまま「この形」が眼に飛び込んだりすると、そこに異様な人が佇んでいるかのように錯覚し、ギョッとさせられる。


2007.06.24 コタキナバルの思い出: ガヤ通りのサンデーマーケット

2009-06-27 09:51:37 | コタキナバル滞在記
コタキナバル中心部は広くはない。幅約500m、長さ凡そ2kmと言ったところだ。西側は海、東側は小高い丘となっている。ガヤ通りは北側の丘際近く、約400mの「真っすぐ道」だ。
かつては、この通りがコタキナバルのメインストリートで、すぐ西側は海であったと言う。従って、コタキナバルは、ガヤ通りを基点に西側に、海を埋め立て広がった町と言えようか。
そのせいか、ガヤ通りには何か「歴史」を感じさせるところがあり、少しは「しっとりとした」ところもある。とは言え、それも「コタキナバルの中では・・」という、あくまでも注釈つきの話だ。
このあたり、中国系の人が多く住んでいるようで、言わば「中華街」の雰囲気。中華系の「食堂」もたくさん軒を連ねている。
日曜日の午前、この通りでは「サンデーマーケット」が開かれる。通りは急ごしらえの「テント店舗」で埋め尽くされる。人出も多く、賑やか。
この日は家内がやって来て始めての日曜日。「名所見物」のつもりで出かけてみた。無論、「暑さを避けて朝のうち」を心がけた。しかし、午前十時前後というともう十分に暑い。その暑さと喧騒にすぐに「参ってしまった」次第であった。





民族楽器(銅鑼)を売る店

2009.06.09 オペラシティの巨人

2009-06-26 15:53:00 | 散歩
「オペラ座の怪人」は、巷では何かと取り上げられている。
一方、同じ芸術作品の類に属するものではあるが、こちらの「オペラシティの巨人」は世間の耳目を集めているとは言い難い。何しろ、図体はばかでかいと言っても、日がな空を見上げて口をパクパクやっているだけだから、それも仕方ないか・・。
しかし、こうしてオペラシティーにやって来てみれば、彼はやはりここの「主役」に見える。「巨人のいないオペラシティーなんてクリープの無いコーヒーみたい」というわけだ。
・・というわけで、彼も十分にその役割を果たしてるではないか!!