散歩、旅行そして海外滞在の写真備忘録

過ぎ行く時間の中で、心に残り、蘇る記憶を、「私の写真備忘録」としてここにまとめたい。

2005.11.06 ナント回想(4) ブルターニュ大公城

2008-02-29 09:40:49 | 海外旅行
ナントを有名にしているのは、ナント言っても、「ナントの勅令」だ。私も、高校の世界史で習って以来、それがどういうものかは忘れてしまっているものの名前だけは覚えている。
このナント旅行も、その記憶が動機になっていた。
あいにく城は補修工事中で中に入れずじまい。外壁の一部を外側から見ただけ。そのまま隣のサン・ピエール大聖堂まで足を伸ばし、折から日曜日の午前中、異教徒ではあるが暫しミサに同席させてもらった。

ところで、ナントの勅令は今からちょうど410年前の話。この頃このあたりはブルターニュ公国として独立した存在であったと言う。当時まだ、フランスは今のような国の体をなしていなかったわけだ。一方、日本はそのはるか昔から現在の国の形になっている。「国の古さで言えば、フランスも日本に比べると赤子以下」などと、ついつい鼻を高くしたくなる。

ブルターニュ大公城外壁


サン・ピエール大聖堂


2005.11.05 ナント回想(3) エルドル川水辺の風景

2008-02-28 10:03:51 | 海外旅行
街の中心部から市電2号線に乗り北上して10分足らず、Monte Rougeで降りる。ベルサイユ島を対岸に見た、エルドル川水辺の風景はなかなか。秋の静かでしっとりした雰囲気が楽しめた。
この風景も、もう四年近くほども「昔」に目にしたもの。しかし、今こうして写真を眺めていると、ナントをどう歩き、何を見、どんな状態でカメラを向けたかが、また眼前に浮かんでくるかのような気分に陥る。それが楽しい。






2005.11.05 ナント回想(2) オープン・マーケット

2008-02-27 11:28:04 | 海外旅行
「名所」、パッサージュ・ポムレから南に下り、ロワール河畔近くの駐車場辺りでオープン・マーケットが開いていた。食材、衣料、雑貨などを売るテントが賑やかに建ち並んでいる。
その中で、特に野菜や果物を売る「店主」には、北アフリカ出身のアラブ系の人が多いように見られた。
当時当方はチュニジアに住んでいて、日々彼らの明るくキラキラ・ギラギラした「濃いい」表情に接していた。それに比べ、この「店主」達は一様にその「キラキラ度」に欠ける。
フランスはかつての宗主国であったことから、また地理的に近いこともあり、多くの北アフリカの人々が仕事を求めて移り住んでいる。しかし彼ら移民にとって、そこは必ずしも暮らしやすい所ではないのではないか・・・と、つい思ってしまった。わけの分からぬこちらの思い過ごしかもしれないが・・・。




2005.11.05 ナント回想(1) レストラン

2008-02-26 11:02:17 | Weblog
朝レンヌ駅を発ち、10:30頃ナント駅に着いた。この旅行、最後の泊地である。宿は、例によって駅前のKyriad。ここで二泊。

ナントでの仕合せな体験は、この日とても良いレストランに行き当たったことだ。"Les Enfentes Terribles"(恐ろしい子供たち)という奇妙な名がついた店。午後街中をぶらついていて、裏通りに入った所でみかけたのだ。ちょっと見では、「何の店?」と思わされるような小さな店。見上げた小さな看板を見て初めてレストランと分かった。「何となく穴場! 今日の晩飯はここ!」と決めたわけだ。
先ず、ポテトの熱いスープにフォアグラを散らしたもの。一口で頬が緩む。
次に、羊の足の部分を人参とポテトと一緒に九時間も煮込んだと称するもの。何とも言えず旨い。
デザートは凍らせたスフレ(?)。これも思わず「うまい!」。
夕方割と早めに行ったので最初は空いていた店内も、我々が食事を終える頃には地元の人で満員。きっと人気の店であるに違いない。

このレストラン、写真を撮った記憶は無いのだが、今見直すと小さな赤い看板と壁の一部だけが写ったのがあった。それが下:
もう一つは、そのレストランのある裏通りから、別の路地越しに大通り(多分 Rue de Trois Croissants)の方を見た風景。




2005.11.04 レンヌ(7) (フランス旅行回想) 市営プール

2008-02-25 09:51:36 | 海外旅行
市営プールはタボール庭園に向う上り坂の途中、右側にある。写真のような建物。最初、なにやら由緒ある建物、と目を惹かれる。まさかプールとは思えない。しかし、入り口の上の方には "Piscine Municipale" 、市営プールだ!!
レンヌとは、プールでさえもこのような建物形で残っている「旧い」街なのだ! そのくせ、今もしっかり現役で活き活きしている街。こうして今、写真を見直していると、「レンヌもなかなか良かったな」と、あらためて思い出される。

この辺の「名物」はクレープではなかろうか。
昼飯はクレープ。生地の弾力とかかすかに残るうどん粉の香り、それに焼き具合の良さがマッチ。具は、トン(缶詰ツナ)、ポテト、それとマヨネーズのようなもの。全体がうまくバランスしていて美味しくいただけた。デザートのチョコレートクレープやバターと砂糖だけのクレープも良かった。


2005.11.04 レンヌ(6) (フランス旅行回想) 空と雲のある風景

2008-02-24 17:25:01 | Weblog
「東京に空が無い・・」などと、どなたかが仰った。その通り!!
都心部に移り住んで十年ほどの間、心動かされるような空や雲には殆どお目にかかっていない。
たまに、それらしい状況に出くわしても、見上げれば網目のような電線がその醜さだけを浮き立たせる。
それに引きかえ、この時見たレンヌのこの雲と空は綺麗だった・・・・。(下の写真は、タボール庭園周辺で撮影)






2005.11.04 レンヌ(5) (フランス旅行回想) 「カメラ目線が見た寸景」

2008-02-23 10:36:28 | 海外旅行
「カメラ目線」で街を歩くのは楽しい。写真に撮りたいような綺麗なものを探しつつ歩くわけだから、とてもポジティブな気分、わくわくするようなところがある。
東京に暮らす身にとっては、ヨーロッパの旧い街に出かけると、そのような「目線」の期待に応えてくれるスポットに、それこそ到るところで出くわす。
もっとも、石造りの家々と石畳の道、大きな教会などという決まったパターンに、「どこも同じ」と辟易する気持ちにならないこともないが・・・・。
いずれにせよ、「画になるシーン」がとても多いと言う事には間違いない。

半地下の店のショーウィンドウ


「風景の主役は私たち」


線のシーン

2005.11.04 レンヌ(4) (フランス旅行回想) 傾いたような建物

2008-02-22 10:28:19 | 海外旅行
記憶では、11/4の朝レンヌをたってナントに向ったとなっていた。しかし今、デジカメのデータを見ると、実際はこの日一日をレンヌ見物で過ごしたのだ!
レンヌでは、あの狭い部屋のホテルに四泊ではなく五泊したことになる。昼間は、無論、外を出歩いていたとは言え良く我慢したものだ!!
いずれにせよ、「記憶」はあやふやで、何と言っても「記録」が大事なことを再認識させられる。
写真はレンヌ旧市街で見た建物。壁表面に柱や梁を見せる作りになっている。柱を、垂直ではなく斜めにして、壁も矩形として、あたかも家が傾いたかのような形にしているのが面白い。






2005.11.03 レンヌ,「豚脚料理」

2008-02-21 10:44:05 | 海外旅行
サン・マロから戻った晩、レンヌ最後の夜。ホテルすぐ隣のレストランで夕食。近所に住む一人暮らしの中高年が常連になっているような、家庭的雰囲気の店だ。
たまたまハロウィンの季節だったせいか、大きなかぼちゃを半分に切って器としたパンプキンスープを出してくれた(写真上)。これは旨い!
私は、名の知れぬ(鱸?)魚料理。薄く黄色いソース、盛り合わせの米とマッチしてなかなかいける。
家内は、豚の足を輪切りにして煮込んだようなやつ(写真中)。ザワーキャベツとポテト、ソーセージの盛り合わせ。凄いボリューム。これもなかなか旨い。しかし視覚的にちょっと、というところがあって、今一つぴったりこなかったようだ。

余談だが、サン・マロでは飾り皿を土産に購入(写真下)。小生、そのような趣味は元々全く無いのだが、なぜか衝動買いになってしまった。妙に惹かれるものがあったのだ。これも何かの縁、今、我家の一隅を飾っている。






2005.11.03 サン・マロ (4) 海の風景

2008-02-20 10:49:54 | 海外旅行
サン・マロは17世紀にはフランス最大の港として栄えた街。海賊の拠点だったとも言う。
旧市街全体が城壁に囲まれた形になっている。東側は湿地帯、他の三方が海となっている。地形的には孤立したような街だ。
今では、旧市街、南側の港、西から北にかけての広いビーチ(写真上)、東側に作られたヨットハーバー(写真下)などが全体として観光地を形作っている。