チュニジア ショット・エル・ジェリド(塩湖): 塩の岸辺の白と湖水の赤の広大な世界 2022-04-05 08:42:24 | 回想・チュニジア日記 日本には「あり得ない」風景である。 塩の岸辺の白と湖水の赤のコントラストがまぶしい! 場所はチュニジア南部。 この辺りから南がサハラ砂漠となる。 (2004.03.20撮影)
チュニジア、シディ・ブ・サイド: 地中海を見下ろすカフェ 2022-03-24 09:02:35 | 回想・チュニジア日記 シディ・ブ・サイドの町は海沿いの崖の上にある。 写真はその崖っぷちにあるカフェ。 青と白に統一された塗装色が、「いかにも地中海」を感じさせる。 (2009.03.30撮影)
チュニジア: シディ・ブ・サイドの「美窓」 2022-03-12 09:18:14 | 回想・チュニジア日記 オーバーな言い方をすると、ここにはこのような「美窓」がごろごろしている。 もう一度ここに老躯を運んで「写真集」とするのもアリではないかと思えるほど! (2005.03.21撮影)
チュニジア、ラ・マルサ: ハーレム専用「海の家」?跡 2022-03-01 08:59:33 | 回想・チュニジア日記 写真は海に突き出た立派な建物。 かつてこの地域の領主がハーレム女性のために建てた「海の家」と聞いたことがある。 本当かどうか? これは2004.03.28年に撮った写真。 当時はカフェだかレストランだかになっていたようだが、客が入っているの気配は余りなかった。 今ではえんじ色に塗装をしなおしたりして、もう少しきれいになっているようだ。
チュニジア、カルタージュ: 「今は昔」のカルタゴ軍港跡 (2005.02.26撮影) 2022-02-14 08:44:28 | 回想・チュニジア日記 写真は、チュニジア首都チュニスの東10kmあたり、地中海岸にある「池」。 曇天下の寒々とした風景。 実はこの池、かつて地中海沿岸でローマと覇を競ったカルタゴの軍港跡である。 1300年以上も前、カルタゴがローマに壊滅的な敗北を喫した後、このような「池」になっているという。 「今は昔」の物語を伝える遺跡である。
チュニジア ドゥーズ: 「何かある」のイイ男 2022-01-02 09:22:36 | 回想・チュニジア日記 写真は町中でポーズをとって立っている男。 いかにも砂漠がある地方の人を感じさせる風情。 しかし「何かある」を感じさせるイイ男にも見える。 (2004.12.31撮影)
チュニジア: ラ・マルサの大樹 2021-12-30 08:43:48 | 回想・チュニジア日記 写真は、二年間過ごした我家の前にあった大樹である。 朝、カーテンを開けると目の前にこの木があるというわけで、なかなか思い出深いものがある。 「carob tree」という名の木らしい。 熱帯樹のような形をしているが、チュニジアは温帯なのでそうでもなさそうだ。 チュニスとかラ・マルサに同種の木が他にも何本かあるという。 (2003.12.26撮影)
チュニジア ラ・マルサ: 晩秋の海岸風景 2021-11-14 09:02:23 | 回想・チュニジア日記 夏の賑わいの余韻もまだ残る一方、間もなく迎える冬の寂しさも感じさせる海岸風景である。 (2014.11.07撮影)
チュニジア ラ・マルサ: 雨上がりの朝の光景 2021-10-29 08:53:06 | 回想・チュニジア日記 写真は2005.10.09に撮影したもの。 日曜日、朝八時ごろである。 雨上がりの朝、晴て清々しい感じが写真からも伝わってくる。 余談だが、チュニジアでは雨が降った後で車が汚れが目立つと感じた。 雨に南方、サハラ砂漠からやってきた細かな砂が含まれているせいではないかと思ったのだが・・
チュニジア ラ・マルサ: 「モスク通り」の朝の風景 2021-10-15 08:07:39 | 回想・チュニジア日記 大モスクの脇を通って東へ、マルサ駅前を過ぎ海岸に向かう通りの朝の風景である。 時刻は朝七時少し前。 上ったばかりの太陽で進行方向の空らが明るい。 まだ人影も少なく、静かでキレイ。 澄んだ空気。 毎朝こんな光景を眺めつつ、徒歩十分ほどの所にあるバス停に向かったことが思い出される。 (2004.10.27撮影)