伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

エンペラーズ エグザイル

2018年10月03日 | エッセー

 実は日本人の〈変身願望の総和が、満洲国そのものなのではあるまいか。〉
 司馬遼太郎は「歴史上の人物は、その時代の条件で見てやらねばならない」と語っている(『街道をゆく』)。紛れもない侵略ではあっても、「時代の条件」として「変身願望」があったことを「見てやらねばならない」。それは“あの”時代にどっぷりと浸らねば叶わぬ。学知を超えた文学にしかなし得ぬ秘技だ。してみれば、満州国をこのように捉える斬新さは、この作家の炯眼と慈眼に拠るにちがいない。
   浅田次郎著 天子蒙塵 四 (講談社)  *〈 〉部分は同著よりの引用
 だから、
〈みながみな、芝居を打っている。家出少年も、駆け落ちの男女も、関東軍の軍人たちも、銀行も商社も。むろん彼らを飯の種にしている新聞記者とて例外ではない。〉
 と続く。この一節は本作のこれ以上ない簡潔な梗概ともなっている。「芝居」は「変身願望」が生み出(イダ)す。絶頂は廃帝溥儀の皇帝復位だ。   
 〈私は三跪九叩頭の礼を尽くしたあと、跪いたまま天に誓った。
「愛新覚羅博儀、天を奉じて皇位に就きまする。翼(コイネガワ)くは天地神霊のご加護、あまねくわれに垂れ給わんことを」〉
 虚像といえなくもない。いや、幻想にちがいない。茶番と断じることもできよう。しかし、主人公も日本人と同様、否それ以上、狂い死にするほどに「変身願望」に焦がれていたのだ。
 もう一人の主人公、張学良。物語はパラレルに進む。こんな場面もある。
 〈「本名を知りたい。生かすも殺すも、誰だかわからぬのでは後生が悪い」
 翔宇は私に向き合い、右手を背広の胸に当てて名乗った。
「中華ソヴィエト共和国臨時政府の、周恩来と申します」〉
 この長遠な『蒼穹の昴』シリーズは、もうここまで来ている。これで第五部は完結するが、おそらくシリーズは第六部に引き継がれ、1949年まで往くのではないか。その先は文学を離れる。
 大団円で、媼となったヒロインが語る。
 〈没法子(メイフアーヅ)とさえ言わなければ、人間は存外まともに生きてゆけるものです。(略)万物の霊長たる人間が、「どうしようもない」などと言うのは贅沢な話です。
 嘆く間があるのなら、どうにかするのですよ。〉
 蓋し、箴言といえよう。
 “Emperer’s exile” 溥儀と張学良。二人の天子が追放され、放浪の旅へ。そして今、軋む歴史の間(アワイ)に “comeback” を果たす。はたして舞台は現(ウツツ)か幻か。稀代のストーリテラーが時空を跨ぎ、縦横に紡ぐ。 □