伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「白村江、再びか?」再び

2018年10月11日 | エッセー

 14年4月に小稿『白村江、再びか?』を呵した。この国が初めて集団的自衛権を行使したとされる白村江の戦い(663年)について以下のように述べた(朝日新聞に一部が転載された)。
 〈結果は惨敗に終わる。当然、唐による本邦侵攻の危機が予見される。4年後即位した中大兄皇子・天智天皇は関係改善のため遣唐使を送り出す。併せて北部九州や瀬戸内、西日本の防衛強化、さらに海浜部から内陸部への遷都。実に素早く適確な対応であった。目が覚めたというべきであろう。素朴な侵略、拡張の時代に粗略な戦略が国家存亡の危殆を招いた。アナクロニズムと嗤うなかれ。大国の覇権、彼我の戦力、辺境という立ち位置、地政学的な諸元はなにも変わってはいない。〉
 浅学浅慮というべきか、先日、再考を促す学知に偶会した。「目が覚めた」「粗略な戦略」のところである。実はとっくに目は覚めていたのであり、緻密な戦略が練られていたのだ。
 歴史学者で日本古代政治史が専門の倉本一宏氏が『戦争の日本古代史』(講談社現代新書)に「目が覚め」る論攷を詳述している。大括りにすると、白村江の戦いは律令体制という中央集権国家をつくる歴史的画期になった、ということだ。
 倉本氏はこう推断する。
 〈対唐・新羅戦争というのは、勝敗を度外視した、戦争を起こすこと自体が目的だったのであり、それによって倭国内の支配者層を結集させ、中央集権国家の完成を、より効果的におこなうことを期したという側面があった。あるいは、もっと深刻な可能性として、倭国の敗北が国内で周知の事実となってしまった場合でもなお、中大兄は自らの国内改革の好機ととらえていたのではないか。あたかもこれから、唐・新羅連合軍が倭国に来襲してくるという危機感を国内に煽り、これから両国が倭国に攻めてくるぞ、我らが祖国を守るためには、このままの体制ではいけない、国内の権力を集中して軍事国家を作り、国防に専念しなければいけない、国内の全権力を自分に与えろ、と主張しようとしていたのではないか。じつはこのパターンが、もっとも強力な軍事国家を作ることができるのであり、中大兄にとっては、この戦争は、まさに「渡りに舟」のチャンスと認識していたことになる。〉(上掲書より抄録、以下同様)
 敗戦は織り込み済みであった。国家的危機を逆手に取って国内の全権掌握を図り、「強力な軍事国家」をつくる。となれば、「粗略な戦略」どころの話ではなくなる。権謀術数、極まれりだ。
 私地私民の既得権益を持つ豪族層を弱体化させ公地公民を実現させねば律令制は立ち行かない。倭国政権は総力戦の名の下に豪族を挙って白村江に投入した。結果、無残にも豪族は勢力を削減された。図星は外れなかった。証拠に、9年後の壬申の乱には豪族の名がほとんど消えている。地方にまで中央の権力が浸透していたことが窺える。中大兄と鎌足の遠謀は成ったというべきだろう。40年弱の後、両者の後継によって大宝律令が制定され、構想は実現した。
 そこで、「白村江、再びか?」である。「再び」なのだ。国家の危急存亡を煽って国内を統べる。この極めて古典的な、というか、抜き難き病的DNAに取り憑かれた政権が刻下のアンバイ政権なのである。「対唐・新羅」はほぼそのまま当て嵌まるし、「豪族層」を反戦勢力・野党と置換すれば一連の安全保障政策の無理強いは「強力な軍事国家」への里程そのものである。「大宝律令」は憲法改正の悲願達成か。旧稿を引くならば、「アナクロニズムと嗤うなかれ。大国の覇権、彼我の戦力、辺境という立ち位置、地政学的な諸元はなにも変わってはいない」となる。問題は「なにも変わってはいない」核心は何か、である。
 倉本氏はこう続ける。
 〈何故に近代日本は「明治維新」後に突然、朝鮮に目を向け、侵略に踏み切ったのであろうか。その淵源は、古代の倭国や日本にあり、そして長い歴史を通じて醸成され、蓄積された小帝国志向、それに対朝鮮観と敵国視が、幾度にもわたって記憶の呼び戻しと再生産をもたらし、近代日本人のDNAに植えつけられてしまっていたことにあるのではないかと考える。そのキーワードは「東夷の小帝国」ある。つまり、倭国は中華帝国よりは下位だが、朝鮮諸国よりは上位に位置し、蕃国を支配する小帝国であると主張するものである。その願望が、古くから倭国の支配者には存在し、中大兄と鎌足もそれにのっとった。〉
 “辺境”はやたら中央にキャッチアップしようとするあまり、そのマネをしたがる。それもオリジナリティーのない模倣、擬い物だ。「東夷の小帝国」とはまさにそれで、現代に至ってもなお引き摺る宿痾であろう。今や自己目的化した対米従属路線と反省のないアジア蔑視は「東夷の小帝国」志向となんら変わりはない。ただし、「東夷」は大洋を挟んだ超大国の『西戎』とパラフレーズすれば、だ。 □