今月17日、旧民主党政権時代に官房長官などを務めた元衆院議員、仙谷由人氏が亡くなった。
仙谷氏というと、「あんな子ども」がすぐ浮かぶ。小稿で何度か取り上げた。14年、第2次改造安倍内閣がスタートした時、こう記した。
〈第一次内閣を放り投げた時、民主党の仙谷由人氏が「あんな子どもに総理大臣なんかやらせるからだ!」と言い放った。またもや、「あんな子どもに、二度も総理大臣なんかやらせるからだ!」とならないとも限らない。〉(「焼酎の水割り」から抄録)
その「またもや」が現実になって久しい。「子ども」とは何か。内田 樹氏の卓見を徴する。
〈衰退の特徴は何よりも「以前より単純になる」ということにある。成長するものは変化する。そして以前より複雑になる。考え方も感じ方もふるまい方も、より複雑で、重層的で、こまやかで、厚みのあるものになる。それが「成長」ということである。今の日本人が全く逆の行程を歩んでいることは疑うべくもない。日ごとに人々の語る言葉は定型化し、思考は硬直化し、反応は常同化している。総理大臣が国会答弁を「ロボットに代わってほしい」と言ったのは、これを象徴している(16年度予算算案の衆院通過を受け、衆院予算委員長や与党理事らを首相公邸で慰労した際、安倍氏は「ロボット答弁者っていいな」と発言)。複雑な思考も複雑な修辞も複雑な感情も制御できない人たち(それを日本では「子ども」と呼んできた)が、今この国の舵取りをしているのである。これを「衰退」の兆し以外の何と見立てればよいのか。〉(16年3月「AERA」から抄録)
「複雑な思考も複雑な修辞も複雑な感情も制御できない人たち」が「子ども」の定義である。アホノミクスのチープなシンプルさ、常套句「丁寧に説明」の空語化、「あんな人たち」の露骨な感情不制御、挙げれば切りがない。その退嬰化を「あんな子ども」と仙谷氏が剔抉した。慧眼の士だったと呼ぶべきだろう。付言すれば、オーディエンスが少ないとケツを捲った某歌唄いなぞも「複雑な感情も制御できない」「あんな子ども」の一典型であろう。さらに、「複雑な思考」ができない「あんな子ども」の実例を挙げよう。内田氏はこう斬り込んだ。
〈「腹心の友」(加計理事長)が親友(安倍首相)が許認可権を持つ事業の認可申請を出していながら、その事実を親友に伝えず、ゴルフや会食で首相を接待していたという。これは事実上、「親友に汚職の嫌疑を与え、野党とメディアに追及の手がかりを与え、支持率を急落させ、失墜させるための周到な罠」を仕掛けていたに等しい。自分の政治的キャリアを終わらせかねないリスクを伴う行為を仕掛けていた人物を友としてこれからも信じ続けるのは首相の自由だ。しかしこの人物が例外的に邪悪な人物であるか、あるいは例外的に粗忽な人物であるか、あるいはその双方であることは間違いない。そのような人物が学校教育の事業主体にふさわしいという判断に与する人はいないであろう。〉(17年8月「AERA」から抄録)
「その事実を親友に伝え」ていれば、親友は瓜田に履を納れなかったものを。「伝えず」こそ「周到な罠」だ。申請中に接待を受ければ「汚職」、少なくとも大臣規範に反する。だから、聞かなかったという証明至難の嫌疑が真綿で親友の首を絞め続ける。悪魔の証明という蟻地獄に親友を引きずり込む。悪意があったにせよなかったにせよ、この「周到な罠」は「複雑な思考」ができなかった帰結だ。森友も似たり寄ったり。「周到な罠」に変貌しかねない持ち上げを開けて通したのは、これもまた紛れもない「複雑な思考」ができない好個の実例である。
退嬰化する永田町の「あんな子ども」を尻目に、瞠目すべき「あんな子ども」がいる。9月17日放送の「NHKプロフェッショナル」に登場した。以下、番組紹介サイトから抄録、加筆。
〈『プロフェッショナル 子ども大学』、第1回のテーマは「ものづくりの『ヒットメーカー』になろう」。“伝説のヒットメーカー” 佐藤 章さん(スナックメーカー湖池屋社長。キリンビールマーケティング部長からキリンビバレッジ社長を歴任)を講師に迎え、60名の子どもたちは「商品開発」について学ぶ。子どもたちが考案した「新しいポテトチップス」。さて、どのようなポテトチップスが誕生するのか…?
参加者は小学5、6年生を対象に募集した60人。佐藤さんは授業の中で「商品開発の中で大切にしてきたのは自分にウソをつかない事」だと話す。授業を受け、子どもたちは企画や開発に動き出した。後、その中から8人が選抜される。
悠真は鳥について詳しかったが、学習塾を辞めて自分に自信を持てなくなってしまっていた。佐藤さんは、「自分にウソをつかない」という言葉に「まだその意味はわかっていないと思うので自分の中で問いかけてほしい」と話す。ハンバーグ味にした悠真は「自分は買うかどうか」と聞かれると気持ちが揺らいでいた。颯人は同級生の案を元に梅に合う食材を探し、試作の味に嘘はないと感じていた。梅チップスの颯人は佐藤さんによると、流儀の本質が届いてないと感じ、再考を促す。佐藤さんは改めて「自分にウソをつかない」という言葉を小学生達に提示し、「自分の経験の中に好きがある」と教えた。作り手は自分の熱量を相手に伝える仕事だと佐藤さんは子どもたちに訴えた。
7歳までアメリカで育った桜子は、ココナッツを使って今までにない味を作り出していた。佐藤さんから褒められてからは、親が共働きで少し寂しいといった経験までもアイデアに取り入れて成長を始めた。
颯人は佐藤さんに「考え直したほうがいい」と言われて悩んでいた。泣き虫颯人は涙を流しながら考え続けた。ダメ出しをされたのは生まれて初めての経験。母親もどう声をかけていいか悩んでいると明かした。ぜんそく持ちで入退院を繰り返してきた颯人。彼が好きだと語ったお味噌汁は母親が「病弱な息子にどうしても野菜を食べてほしい」と願い、試行錯誤したものだった。颯人がたどり着いた結論は、母が作る味噌汁に込められたぬくもりと元気の素だった。
お菓子会社でプレゼンする日がやって来た。ツカミや返し、どの子も実に上手い。考研は十勝こがねというじゃがいもにこだわったポテトチップスをプレゼン。社員のつっこみにも的確に答え、「よく研究しているね」と褒められた。鳥が好きな悠真は「サクッとやきとり」という商品を自信をもってプレゼンし、会議を盛り上げた。桜子はココナッツペッパー味を自信を持ってプレゼンし、社員のツッコミにも熱意で返した。颯人は家族のことを思い出すトン汁味のポテトチップスを考案し、母の味噌汁がなぜ好きなのかを語った。
プレゼンを聞いた社員からは「颯人くんのプレゼンに心を動かされた」「桜子ちゃんに世紀の大発見といわれたら食べてみたい」「焼き鳥味はつまみコーナーにも並びそう」と意見が出た。選ばれたのは颯人と桜子の作品。佐藤さんは選ばれなかった子どもたちに向けて「悔しい思いをしながら自分の強みは何なんだろうって本当に自分と向き合えていくかどうかです」と語りかけた。
選に漏れた6人は颯人・桜子の2チームに分かれ、それぞれをバックアップしていく。桜子の案は専門家によってブラッシュアップされ順調に完成へと進む。ところが颯人案は主婦層のモニタリングで「ポテトチップスにお袋の味は求めない」「物産展みたい」と酷評され、大幅な軌道修正を迫られる。そこで元気志向かぬくもり路線かを巡り、チームで検討が続いた。颯人はぬくもりを捨てる選択をし、専門家により『ファイとん』と命名された試作品ができる。それでもなおぬくもりに惹かれる颯人。そこで仲間からぬくもりをテーマに4コマ漫画にして袋の裏に描いてはとの提案があり、やっと完成へ。〉
葛藤の中で人間は成長する。いや、それ以外に成長の場はない。シンプルな解は成長を阻害する。佐藤氏の狙いは明らかに颯人にあったとみるべきであろう。氏には片々たる商品開発の流儀を子どもたちに伝える気など端っから毫もなかったにちがいない。葛藤の中へ誘(イザナ)う。「成長するものはより複雑に変化する」という内田氏の洞見を借りるなら、その恰好のサンプルに佐藤氏の職業的直感が颯人を選んだ。そう捉えるべきではないか。
オーラスで、8人各自が感想をワンフレーズに記した。颯人は「心を開け、今が次につながる」とボードに書いた。オープンマインドこそ創造の源。佐藤氏のメッセージは見事に伝わっている。
「あんな子ども」にも「こんな子ども」がいる。未来への確かな曙光と言祝ぎたい。 □