伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ついこないだの話

2017年09月28日 | エッセー

 決して古い話ではない。彗星のごとく現れ流星のごとく消えた一国の宰相がいる。それもG7の一角、わずか3年前に登場し昨年12月に退陣した。イタリア前首相マッテオ・レンツィである。
 2010年代に入り、長く低成長と低インフレが続くイタリアは第2のギリシャになると危惧されていた。学者首相マリオ・モンティを据えてはみたものの、緊縮財政で不況はより深刻に。安全パイで打った次のエンリコ・レッタはなにもできないまま短命で終わり、経済はどん底に。そこに彗星のごとく現れたのが国政は未経験、39歳のマッテオ・レンツィであった。
 04年29歳でフィレンツェ県知事に当選。07年の政界再編で民主党結成に参画し、09年フィレンツェ市長に転身。次々に市政改革を実行した。満を持して13年には再度の挑戦で党書記長選に圧勝。明けて14年2月ついに大統領から指名を受け、イタリア史上最年少の首相となった。
 イケメンでバリバリ。側近は彼を3分以上座らせておくのに苦労したと言われた。日曜も返上、早朝から仕事にかかり寝るのは明くる日の午前2時。既得権にしがみつく連中はみんな「廃車処分」にすると呼ばわった。閣僚を大幅減員、半数は女性。平均年齢は47歳だが財務には重鎮を配し、本邦流「仕事人内閣」であった。
 手始めに、閣僚が乗るマセラティ・ジャガー ・BMW・アルファロメオなどの高級車をごっそり競売に掛けた。単なる観光地からの脱却を訴え、経済の抜本的改革を掲げた。月に一つの改革を約束し、労働市場改革にも手を打っていった。甲斐あってか、翌15年には経済の好転が報じられた。
 イタリア民主党は中道左派である。だが彼は改革には左派も右派もないとし、政敵ベルルスコーニ元首相とも政策協定を結んだ。これには民主党左派が強く反発した。いわば守旧派の壁である。改革のため彼が打った手は自らが握る書記長の地位を活用することだった。先ず改革案を党議にかける。党議のメンバーは党員であり、大半は議席はないが彼の支持者。党議決定で党内を自案に統一できる。守旧派の議員も議会では賛成せざるを得なくなるという仕掛けだ。この強行突破を繰り返し既得権を却け改革案を通していった。しかし際立った結果はなかなか出ない。
 急いては事を仕損ずる。性急で強権的な手法に不満が高まった。というより、独裁制志向に転じたというべきか。前稿でも述べたが、行政府と立法府の一体化、行政府による立法府の取り込みを狙ったと見て取れる。改革の金看板を掲げ、立法府の権限削減に打って出たのだ。
 比例代表制に再選挙や総取りに近い細工を加え、多数派の形成を図る選挙法の改正。地方議会や上院の権限を大幅に縮減し、法案の成立を加速させる実質的な一院制への移行。そのための憲法改正を問うて、国民投票に踏み切った。否決されれば辞任と公言。事実上の信任投票となった。俄然反撃の烽火を上げたのが「廃車処分」と槍玉に挙げられた既得権益層、中高年層。事前調査で反対が圧倒的となり大差での否決が明らかになったため、昨年12月7日、投票を待たずに辞任を表明した。
 と、以上が概略の流れだ。なぜかアンバイ君にもK池女史にも二重写しになるからフシギだ。約(ツヅ)めれば独裁志向が潰えたともいえるし、共和制の逆襲といえなくもない。前稿を引こう。
 〈立法と行政が一体化した独裁制の対立概念は何か。内田 樹氏は、独裁制の対立項は共和制だという。共和制では立法権と行政権が分離され、統治機構の内部で権限が複数のセクションに分割されている。具体的には両院制、三権分立、弾劾裁判、憲法裁判制度などの様々な形を取るとする。しかし本質は制度ではなく「統治のマナー」にあるという。「重大な決定については、それぞれ立場や基準が異なる複数の審級を経由させて、最終的な結論が出るまでに長い時間をかける。一時的な熱狂や、カリスマ的政治家の巧みなアジテーションには重要な決定を委ねてはならない。まずは頭を冷やす。共和制は、人間がことを急いで、熱狂的な状態で下した決断は多くの場合間違ったものだったという歴史的教訓から人間が汲み出した知恵です」と。さらに「共和制とは意図的に作り込まれた『決められない政治』システムのことです」と言い切っている。〉(抄録)
 失念するところだったが、彼の国の正称は「イタリア共和国」である。『共和』の2文字が象嵌されている。レンツィの失脚は国の立ち位置に揺り戻されたというべきかもしれない。アンバイ君は対岸の火事にしないでほしい。ついこないだの話だ。反面教師とせねばなるまい。
 同時にK池女史にも同じ轍を踏まぬよう切に願いたい。「廃車処分」の逆襲もなかなか侮れないものである。タクティクスには長けていてもストラテジーには熟議が必要だ。イタリア民主党は前記の07年政界再編で旧共産党系と旧キリスト教民主主義勢力左派などが合流した「寄り合い所帯」である。政争の産物だ。それもありではあるが、政論の産物ではない。レンツィは早くも返り咲きを画しているし、今民主党は分裂含みで揺れ動いている。本邦ではかつて日本新党・細川政権の無様な顚末があった。忘れるほど昔ではない。ついこないだの話だ。 □