伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

監督の死闘

2017年09月07日 | エッセー

「青春が戦争の消耗品だなんてまっぴらだ」 
 本番直前に監督が差し替えた台詞だ。79歳、末期ガンと闘いつつ新作に挑む。「意図的にノンポリで来た」と語る監督が極めてメッセージ性の高い映画と取り組んだ。自らの死魔と差し替えた作品なのかもしれない。
 大林宣彦。軍国少年だったかつての自分と、「青春を戦争に消耗された」父とがモチーフとなった。『花筐 HANAGATAMI』は戦争を弾劾する映画だ。原作は檀一雄、キャストに窪塚俊介、満島真之介、矢作穂香、池畑慎之介らを配し、今夏クランクアップした。
 昨夜偶然Eテレで、その監督を1年間追ったドキュメンタリーを観た。試写会で、
「黒澤監督が言った『俺の続きをやってよね』という言葉を、若い人たち皆さんに贈ります」
 と絞り出すように語りかけた。
「山田さん、ありがとう」
 と声をかけると、最後列にいた山田洋次監督が片手を少し挙げて応え、さっと会場を後にした。爽やかな画(エ)であった。映画評には、
 〈大林監督ならではの演出によって生まれた異様な雰囲気が終始漂っている。“不良”なる青春を謳歌していた青年らの友情や恋、憧れや嫉妬、平和な日常を侵食していく戦争の気配を赤裸々に描き出し、彩色豊かなルックからは、美しさのみならず、狂喜や儚ささえ伝わってくる。〉
 とある。「筐(カタミ)」とは目を細かく編んだ竹籠をいう。花かごが「花筐」である。籠の編み目から水がすり抜け、青春の花を枯らしていく。そういう寓意かもしれぬ。
 監督には身悶えするほどの危機感がある。戦前を志向する気運の高まりを座視できないにちがいない。「再び青春を戦争の消耗品にさせるなんてまっぴらだ」との熱願がこの一作に凝(コゴ)ったにちがいない。
 刻下、NKの核とミサイルが焦眉の急となっている。忌憚なくいえば、もはや手遅れだ。どんなに強がっても、本邦は人質に取られているも同然である。喉元にピストルが突き付けられている。軟弱、弱腰といわれようと敗北主義と罵られようと、人質が警官隊に向かってもっと圧力を掛けてくれというはずはない。突入でもされた日にはとんでもないことになる。自滅に等しい。
 勘違いしてならないのはただの拳銃ではなく、相手は核だ。核とは、爆弾の大なるものでは断じてない。破壊どころか、破滅の兵器だ。最優先すべきは暴走させないことではないか。
 先日は自民党の竹下某が、広島に比べ島根は人が少ないからミサイルを落としても意味がないと暴言を吐いた。自分の選挙区を話のツカミにするとは不届き千万だが、それ以上に無知に呆れる。広島にはなくて島根にはあるもの、それは原発である。巻き添えを食ったら、フクシマの二の舞どころではなくなる。そんなクリアカットな想像すらできないアタマの悪さに反吐が出る。先日、本稿で触れた立法府の権威低下を自演しているのであろう。さすがは前国対委員長だ。立場は変わっても、国会の無力化にひたすら献身なさる。
 閑話休題。
 手遅れとなって、NKはすでに核ミサイルを手中にしてしまった。首相は「異次元の圧力」などと能天気なことを宣っている。そんなことをして窮鼠猫を噛む事態にでもなったらどうするのか。石油を止められて暴走したのはどこの国であったか、まさか忘れはしまい。暴走、暴発の結果がなぜ予測できないのだろうか。異次元の兵器を突き付けられて、まだ目が覚めぬらしい。それこそ平和ボケではないか。
「昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ」
 まず自軍の守りをしっかり固めよ。その上で敵が弱点をあらわして勝てる態勢になるのを待て。そう孫子の兵法は訓える。悔しいが、アメリカはNKを核保有国として認めるほかない。大人の対応だ。ならば、「以て敵の勝つべき」は到来する。
 〈「あなたの言うことは理解できないが、私に危害を加えない限り、共存するに吝かではないよ」という態度こそ、紛争や戦争を起こさない最も効果的な方法だと思う。〉
 とは「ホンマでっか!?TV」でお馴染みの生物学者池田清彦氏の言である(角川新書先月刊「正直者ばかりバカを見る」)。孫子の兵法に通底する。さらに氏は、
 〈権力者の誇大妄想は、時に一部の国民の熱狂的な支持を受けるが、第二次世界大戦の際の、日本の軍部やヒトラーがそうであったように、あるいは金正恩がそうなりつつあるように、これは亡びへの道である。日本も滅亡への道を歩き始めたのかもしれない。安倍自民党が亡びるのは勝手だが、巻き添えを食らうのは御免被りたいね。〉
 と辛辣に断ずる。日頃の柔和な物言いからは意外なほど手厳しい。ともあれ、戦争という選択肢はあり得ない。ならば、それを誘発する「圧力」という選択肢もあり得ない。戦争によって消耗されるのは青春であり、青年たちの未来だ。
「青春が戦争の消耗品だなんてまっぴらだ」
 この一言は重い。
 『花筐』は12月に公開される。洒落めくが、監督の「形見」にならぬよう願う。 □