伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

奇跡の人

2017年01月04日 | エッセー

 ヘレン・ケラーではない。“奇跡のリンゴ”をつくった木村秋則氏のことである。奇跡を生んだから奇跡の人だ。いや、奇跡の人が奇跡を生んだのだ。
 昨年のPPAPから奇想が跳ねて“奇跡のリンゴ”に行ってしまった。古い本を引っ張り出して、再考してみた。以下、ノンフィクション作家・石川拓治著『奇跡のリンゴ』(08年、幻冬舎。NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作斑監修)に拠った。(〈〉部分は同書からの引用)
 「絶対不可能を覆した農家 木村秋則の記録」と、サブタイトルにある。リンゴの無農薬栽培だ。
 〈農薬を使わずにリンゴを育てる。簡単に言えば、それが男の夢だった。少なくともその時代(引用者註・1980年代半ば)、実現は100%不可能と考えられていた夢である。〉
 奇跡を起こしたものはなにか。木村氏は言う。
「ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り会うことができるんだよ」(同書から、以下同様)
 つまりは、「狂」だ。文字学の巨人・白川 静先生によれば、旁「王」は大きな鉞の(マサカリ)の刃を表し豪然たる霊威が宿るとされ、玉座の前に置かれていたという。配下が王命を受け旅に出る際、その刃に足を乗せ霊力を身に帯して出行した。偏「犭」は元「彳」と同形で、烈しい人ならぬ力により獣のように「くるい」「往く」、と解(ホド)く。そこから先生は「狂」とは運動の起動力となり権威を否定する精神であるとし、その否定を通じて新しい発展が招来されると論じた。維新回転を成した長州藩を「狂」と括った司馬遼太郎の炯眼に通じる。
 この場合、否定した権威とは「100%不可能」という常識であった。奇跡は「狂」が生んだといえる。当人の片言が期せずしてそれを証している。
 「狂」は6年に及んでも、いっかな明かりは見えない。それどころかすべての辛苦は水泡に帰し、絶望の淵に立たされる。山中深く分け入り、自死のために頃合いの枝に投げたロープがあらぬ方角に飛んだ。自らのへまを自嘲しつつロープを拾いに斜面を降りようとした刹那だった。満月の光に照らされて輝く「魔法の木」が目に入った。極めてドラマティックに、豁然と迷路は開かれた。遂に起死回生の突破口に至ったのだ。やはり事実は小説よりも奇なりだ。妙な連想だが、ニュートンが万有引力を着想したのはリンゴが木から落ちたからではなく、学理に脳髄を痺れるほど使い果たした末にそれと偶会したからだ。太古よりリンゴは木から落ちている。地球が引き寄せたと観たのはニュートンの科学の目だ。後世の作り話にせよ、伝えているのはそのことだ。「魔法の木」が劇的なのは無農薬栽培の狂人の目が捉えたからだ。常人には視れども見えずだ。
 話は戻るが、挫折を繰り返している最中、彼は宇宙人に捕らえられUFOで拉致される(と、語る)。これについては、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で「奇跡のリンゴ」が取り上げられた時の番組キャスター・茂木健一郎氏が
「人間は苦労して追い詰められるとUFOに乗ります。銀色の宇宙人が飛び回ります。脳は感情がものすごくつらくなると、幻を生み出すことでバランスをとろうとすることが、科学的にわかっているのです。そういう経験がない人は、まだまだ苦労が足りないということですから、大丈夫です。」(「『ほら、あれだよ、あれ』がなくなる本」から)
 と語っている。稿者なぞUFOどころか国内線の飛行機にしか乗ったことがない。まことに苦労が足りない。
 「魔法の木」との出会いの後、無農薬栽培にとって最大の敵である害虫と向き合う姿勢がガラリと変わる。なんと虫取りではなく、日がな虫の観察を始めたのだ。
「あのさ、虫取りをしながら、ふとこいつはどんな顔をしてるんだろうと思ったの。それで家から虫眼鏡を持ってきて、手に取った虫の顔をよく見てやったんだ。そしたら、これがさ、ものすごくかわいい顔をしてるんだ。あれをつぶらな瞳って言うのかな、大きな目でじっとこっち見てるの。顔を見てしまったら、憎めないのな。私もバカだから、なんだか殺せなくなって葉っぱに戻してやりました。私にとっては憎っくき敵なのにな。だけどさ、害虫だと思っていたのに、よく見たらかわいい顔しているんだからな。自然って面白いもんだと思って、今度は益虫の顔を見てみたわけ。害虫を食べてくれるありがたい虫だよな。ところが、これが恐い顔してるの。クサカゲロウなんてさ、まるで映画に出てくる怪獣みたいな顔してるんだよ。」
 石川氏はこう受ける。
 〈ドングリの木があそこ(引用者註・自然林の中)にあったのは、自然がそれを受け入れたからだ。リンゴの木は違う。リンゴの木を植えたのは人であり、リンゴの木を必要としているのは、あくまでも人だ。自然の摂理に従うなら、おそらく枯れるしかないだろう。そのリンゴの木をなんとか生かそうとするのは、人間の都合なのだ。それが農業というものであり、農薬を使おうが使うまいがそれは同じことだった。つまり木村の抱えていた問題は、自然の摂理と人間の都合の折り合いをいかにつけるかという問題でもあった。折り合いのつかない部分が、虫や病気として現れていたわけだ。農薬はいとも簡単にその問題を解決する。極端な言い方をすれば、現代の農業は自然のバランスを破壊することで成立しているのだ。〉
 養老孟司流にいえば、意識という「人間の都合」が農薬でもって「自然の摂理」を捻伏せ、排除しようとした、となる。既存のりんご園とは自然を排斥して作られた人工物、「脳化社会」ならぬ「脳化自然」ともいえる。その点、養老氏は徹底している。
「私は実験科学を嫌って、野生動物の研究や虫採りに励んだ。実験室は人工物で、その中に自然物を閉じ込める。それが培養細胞であり、実験動物である。でもそんな細胞も動物も、自然界には存在しない。」(「骸骨考」から)
 ともあれ、「リンゴの木を必要としている」。では、どうするか。
 「折り合いのつかない部分が、虫や病気として現れていた」との達識は、木村氏に起こった奇跡のブレークスルーである。「魔法の木」から「自然の土」の発見、害虫との向き合い方、肥料と無農薬の関係、自然観の深化。後半多くの紙幅を使って述べられるこれらの事柄は、単なる成功譚を遙かに超える高みに読者を誘(イザナ)う。「奇跡のリンゴ」への疑問や農薬の必要悪を主張する向きは、これらの論述にもっと謙虚に耳を傾けるべきだ。
 無農薬への挑戦が始まったころ、枯れかけたリンゴの木に木村氏が頭を下げて回る姿を妻が目撃してていた。天性明るい彼もさすがにひとの眼を憚って日が落ちる前、夕闇を選んで一本一本に
「無理をさせてごめんなさい。花を咲かせなくても、実をならせなくてもいいから、どうか枯れないでちょうだい」
 と語りかけていたのだ。ところが、頼みも虚しくあちこちの少なからぬ木が枯れた。石川氏は同書の結びをこう締め括る。
 〈その枯れたリンゴの木を調べていて、木村は奇妙なことに気づく。どのリンゴの木が枯れるかはランダムで、場所による規則性のようなものはもちろんなかった。ところが、例外がひとつだけあった。ドミノを倒したように、その一列のリンゴの木だけは全滅していた。木村はそのことを今も深く後悔している。木村が声をかけずにすませたリンゴの木は、一本残らず枯れてしまっていたのだ。〉
 これもまた奇跡の人が生んだ奇跡だ。感動づくりの後付だと嗤う人は一生かかっても「魔法の木」との邂逅はあるまい。すでに心が枯れているからだ。
 13年には阿部サダヲの主演で映画化され、フィレンツェ映画祭で観客賞を受賞した。ピコ太郎からとんでもない飛躍だが、一見の価値ありだ。
 奇跡の人は稿者とは4日違いの同い年。団塊の世代の誇りでもある。 □