伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ジャンヌ・ダルクよ

2017年01月16日 | エッセー

 彼女はいま、早瀬に立つ一本の杭のように激流に抗っている。春には隣国フランスとオランダで大統領選と総選挙がある。秋には自国の総選挙、政権4期目が懸かる。
 中間層が細り格差が露わになって反グローバリゼーションが鎌首をもたげ、反イスラムと反移民を誘い込み、三つ巴になったところにポピュリストがナショナリズムを煽りEUを目の敵にする。国民国家を超えようとする人類史の雄図は、刻下凄まじい逆風に対峙している。
 つとに知られたことだが、彼女の出自は東独だ。存の外、父はプロテスタントで福音主義教会のカリスマ的な牧師だった。福音主義は真っ直ぐに聖書を掲げ、原則を曲げない。難民受け入れを筆頭に、彼女の人道への揺るがない信念は福音主義に生きた父君(フクン)の感化にちがいない。加えて隣家に障害者施設があり、日頃の交流が弱者への眼差しを彼女に授けたのかも知れない。
 意外なことに、同教会は東独政府から「進歩的勢力」と認められ、危険視どころか西側諸国へ海外旅行できる特権まで与えられていた。そんな中、中学時代は全科目オール5、成績抜群であった彼女はエリート教育を受ける。特に数学に秀で、大学では理論物理学を専攻し博士号を取得。科学者の道を歩き始める。
 転機はベルリンの壁崩壊とともに訪れる。東独最後の政権での副報道官を皮切りに政界に進出したのだ。西独首相ヘルムート・コールとの出会いを得て、CDU(ドイツキリスト教民主同盟)に入党する。コールとの奇縁というべきか、意想外にも左派SPD(ドイツ社会民主党)ではなく右派に身を投じた。このあたり、解析と予見に突出した科学者の冷徹な眼があったのかもしれない。フクシマを受けて即座に脱原発に舵を切った英断にもそれは窺える。因みに父はCDU支持者ではなく、母はSPDの熱心な支持者だという。自立自存、まことに欧州だ。
 連邦議会議員に当選、入閣、女性・青少年問題相に抜擢。後、CDUの野党転落や党内抗争の間隙を縫って期せずしてCDU党首の座が転がり込む。当初サッチャーに準えかつコールの子飼いゆえに『鉄のお嬢さん』と揶揄され3期12年、今や『ドイツのお母さん』と呼ばれるに至る。サミット出席連続11回、最多を誇る。曲折は経つつも一貫して内外ともに現実的でリベラルな路線を走る。特に、コールのレガシーでもあるEUについては一際注力してきた。ギリシャなどの財務危機と難民への救いの手。かつて自由を冀求する東独市民はベルリンの壁を迂回しハンガリーを経由して西側に逃れた。国境を開けたハンガリーの勇断だった。「自由な移動こそが今のドイツを作り上げ、欧州の繁栄をもたらしたとの信念が根底にある」と、報道は記す。
 あと数日、アメリカでは会社の経営のごとく国政を語ることから、会社の経営のごとく国政を回す大統領が誕生する。いわば、安倍、橋下の極大化である。会社の責任は有限であるが、国政の責任は無限である。失政の罪科は彼らが死に絶えても消えることはない。今時(コンジ)、そして将来の国民が背負い込まねばならぬ。身近な例を挙げよう。豊洲の失政が何を招来したか。当の執政者は引退し知らん顔をしていても、都民はどれほどの苦渋を舐めることになるのか。いわんや国政である。いわんや国際である。EUの命運は彼女に托されている。欧州、否、世界の良心だ。蛇足ながら、彼女は安倍と同い年である。民族に優劣なぞないと固く信ずるが、あまりの落差に信念が揺すられもする。選ぶ側を含めて。
 アンゲラ・ドロテア・メルケル。激流が奔る早瀬に立つ一本の杭よ。21世紀のジャンヌ・ダルクたれ。東端の僻地より、そう熱く、願う。 □