伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

カルテットの妙

2015年10月24日 | エッセー

 今年のノーベル平和賞は「チュニジア国民対話カルテット」に決まった。「アラブの春」に先鞭をつけた「ジャスミン革命」後の深刻な国内対立を収め民主化を推進した功績を讃えるものだ。
 “Arab Spring”はアフリカ大陸北辺に待ち望んでいた恵風を送ったかにみえたが、またたく間に容赦ない砂嵐に掻き消されてしまった。エジプトでは軍事政権に逆戻りし、カダフィを退治したリビアでは蟻地獄のような内乱に嵌まり込んでいる。イエメンは中東の覇権争い、代理戦争が危惧される深刻な事態だ。一旦は芽吹いたシリアは途轍もない混沌、いな瓦解に直面している。大規模デモという一陣の風が吹き渡ったものの芽吹きで事切れた国は、アルジェリア、モロッコ、サウジアラビア、ヨルダン、レバノン、イラク、クウェート、バーレーン、オマーンと多数に及ぶ。
 その中で、唯一開花を迎えたのがチュニジアである。原理的なイスラム勢力と政教分離の世俗勢力とに折り合いをつけたことが、「カルテット」のなによりの殊勲であった。以て与野党を仲介し、制憲議会を復活させて男女平等、人権尊重、報道の自由を謳う憲法の制定に漕ぎ着けた。加えて、昨年末に自由選挙が行われ大統領が選出された。いまだテロは散発するものの、民主化への流れは根づいたとみていい。
 注目すべきは「カルテット」だ。四者による重唱、重奏である。13年国内対立が先鋭化した時、四者は手を組んだ。最大労組のチュニジア労働総連盟、経営者団体である産業商業手工業連合、それに人権擁護連盟、全国弁護士会の四者である。工業連合を除く3者は革命側にいた。対立の危機に、若者を中心に大きな動員力を持つ総連盟は大集会を打ち抗議の声を上げた。人権連盟と弁護士会は知識層を代表した。先行政権の遺産か、チュニジアは教育水準が高い。同国の弁護士、医師には女性が多い。加えて、すでに一夫多妻制が禁止され女性の意識も低くはない。労働、産業、人権、司法によるカルテットは市民社会を網羅した。特筆すべきは、革命後賢明にもどの団体も政治と距離を置いた点だ。これが幸いし、対立勢力のどちらにもしがらみなく仲介ができた。
 アルフレッド・ノーベルは「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」を平和賞の授与要件に挙げている。稿者が最も注目するのは「最大・最善の貢献をした」主体者、当事者ではなく、仲介者が選ばれたことだ。調べたところ、過去100に余る個人・団体の受賞者に1人しかいない。国連特使としてコソボ問題やインドネシア・アチェ和平合意など数々の紛争解決に功績のあったマルッティ・アハティサーリ=フィンランド元大統領だけだ。08年に受章している。他には寡聞にして名を挙げ得ない(漏れがあれば、陳謝)。
 平和賞は過去幾度も物議を醸してきた。今となっては、佐藤某氏などは下手なブラックジョークでしかない。プレジデント・オバマへの『期待』は尻つぼみで終わりそうな雲行きだ。ただ、今回はちと違う。スタンドアローンなタフネゴシエーターではなく、外周にいる複数が協働して橋渡しに当たる。その仲裁・仲介というソフトパワーに焦点を絞ったところが特異であり、これからの平和構築への方向性とメッセージを含意しているのではないだろうか。手打ちをしたご両人ではなく、お膳立てをした黒衣を労り誉めそやす。偉いのは寄り合った黒衣たちだ。そういう成り行きではないか。
 内田 樹氏は、人間の集団で「最初にできたのは、メンバーたちの間で起きた利害対立の調停のための『裁きの制度』だった」(NHK出版新書「日本霊性論」)という。対立のストレスとリスクを軽減し生き延びるための「プラグマティックな判断」は、「新しい状況下でどう行動するかを考え、指示すること」を神に「丸投げ」することだったと述べる。(「」◇部分は上掲書より引用)
◇集団成員がてんで勝手に自己利益を追求した結果「とんでもないことになった」事例と、集団の公共的な利益を優先させたために「みんなが助かった」事例についての「訓戒的・教訓的な経験」の蓄積、それが「神々の声」の発生源となります。もちろん、「神々の声」を聴き取る感受性にはかなりの個人差があったはずです。「神々の声」がはっきり聴き取れる人、その身体を通じて「一般意志」が湧き出てくるように見える個体が長老や預言者や族長に擬され、彼らが裁き人に任ぜられた。裁き人に求められた資質は属人的な知性の鋭さというよりはむしろ「公共我」に憑依されやすい体質だった。◇
 「神々の声」を聴き取り「一般意志」を代弁する「長老や預言者や族長」を「カルテット」に擬すると、パワーとしての労働総連盟と産業商業手工業連合は「族長」に、高次の価値基準を体現する謂で人権擁護連盟は「長老」に、そして現代の「神々の声」たる法に与る全国弁護士会は「預言者」となろうか。「利害対立の調停のための『裁きの制度』」を「仲介」とパラフレーズすれば、対立の解決は原初的で根源的な手法に戻りつつあるといえなくもない。「カルテット」は「『公共我』に憑依されやすい体質」を表徴するなんとも巧みな仕掛けだった。カルテットの妙に脱帽の他ない。
 以下、余話として。
 今年のノーベル文学賞に叙されたベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチ氏がインタビュに応えて、「(チェルノブイリ原発事故に続く)2回目の原子力の教訓が、技術が発展した国で今起きています。これは日本だけでなく、人類全体にとっての悲劇です」と語った。もちろん福島第一原発事故を指す。続けて、「原発事故が描かれた黒澤明監督の『夢』はまさに予言でした」とも述べた。深く印象に残る言葉だった。06年4月の拙稿「死に神の名刺」が蘇る。
〓だれにでも、忘れられない言葉がある。通奏低音のように脳裏を流れる言葉の群れがある。
  黒澤明監督『夢』の一場面 ―― 原子力発電所が爆発し、逃げまどう人々。種別に着色された放射能の霧が迫る中、原発技師が叫ぶ。
「人間はアホだ。放射能の着色技術を開発したって、知らずに殺されるか、知って殺されるか、それだけだ。死に神に名刺をもらったってしょうがない!」
  今月の26日、「チェルノブイリ」から20年が過ぎる。『夢』は事故の4年後の作品である。だから、監督は事故に触発されて撮ったに違いない。
  チェルノブイリの炉を覆う石棺はもう保たなくなりはじめた。2、3年後にはその上からさらに石棺をかぶせる。第二の石棺の耐用年数は100年。閉じこめられた放射能が1000分の1になるまでには、あと300年を要する。恐怖の引き算だ。〓(抜粋)
 アレクシエービッチ氏は『夢』を観ていたのだ。改めて文化の伝播力に感じ入った。しかし、余沢に与っていないのは当の発信元ではないのか。
 今月、川内原発が再稼働した。チェルノブイリの石棺に比してもなお日本人のなんと脆いことか。「死に神の名刺」をまた受け取ろうとしている。 □