伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

パクって、ディスって、なんて談話だ! 

2015年10月13日 | エッセー

 安倍談話なるものが発表された8月14日の夜、「究極の選択」と題する拙稿でこれを取り上げた。一部を引く。
〓今夕、「戦後70年談話」なるものが恭しく発表された。なんのことはない。中学生レベルの歴史知識と高校生の弁論大会レベルのお話であった。というのは正確ではない。とても中高生にはできない極めて狡知に長けた“お話”であった。
──わが国は先の大戦における行いについて、繰り返し痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンをはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。こうした歴代内閣の立場は、今後もゆるぎないものであります。──
 ここだ。「歴代内閣の立場」は「ゆるぎないもの」なら、なぜ当代の首相として「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」しないのか。コンテクストを注視すれば判る。「わが国は」の一節は鉤括弧で括ってある。言わば伝聞である。自らは単なるパッサーでしかない。「反省」し「お詫び」しているのは歴代内閣であって、第97代内閣総理大臣安倍晋三の肉声はない。
 これはズルい。悪知恵だ。トリッキーで、狡猾、老獪この上ない。そこまでしてこの言葉を避けるトラウマとはなにか。父祖伝来の価値観、歴史観か。とまれ前提を欠損した未来志向なぞ戯言に過ぎぬ。この程度の人物に「究極の選択」を、断じて預けたくはない。〓
 約二ヶ月後、朝日新聞が「安倍談話の歴史観」と題して俎上に載せた。その中に、日本女子大教授で近現代日本史を専攻する成田龍一氏が寄稿している。以下、要約。

◇司馬史観、一側面だけ利用
 西洋諸国の植民地支配の中で、日本が近代化を進め、独立を守り抜いたという出発点や、日露戦争が近代化の達成点だということ。やがて日本が第1次世界大戦後につくられた新しい国際秩序に対する挑戦者になり、失敗したという見方もよく似ています。
 司馬史観の特徴は、国民国家という枠組みや価値観を肯定していることです。ただ、そこには弱点もありました。司馬は、日本の近代化と国民国家化は成功だったが、その先で間違えたという二段階で考える。だが、近代化の過程で欧米とそっくりな国にしたために、日本は軍事的にも領土的にも拡大路線をとらざるをえなかった。司馬が成功と見なしたことが、実は失敗に直結していた。安倍談話も同じく二段階で捉えているから、司馬史観の弱点を引き継いでいるといえます。
 もう一つの弱点は、植民地の問題に視線が及んでいないことです。「坂の上の雲」には台湾や朝鮮の植民地化がほとんど出てこない。安倍談話も「植民地支配からの訣別」は強調しても、誰が植民地化したのかには触れない。日本が加害者だという視点が希薄な点でも共通しています。
 しかし司馬は単純に国民国家を肯定していただけの人ではなく、グローバル化の波の中で、国民国家の枠組みを超えていくことも考えていました。しかし、安倍談話はそうしたものは一切、採り入れていない。「坂の上の雲」の司馬しか見ず、司馬史観の一つの側面だけを安易に利用しているように見えます。
 東日本大震災の後、経済的繁栄とは違う新たな目標を誰もが求めた。60年代の司馬的な理念(国民国家にもとづく経済的繁栄こそが日本の進むべき道)はそこで終わったはずですが、安倍談話は国民国家を立て直し、経済的繁栄を取り戻すという、司馬自身も80年代に捨てた夢を追っている。そこが決定的な問題だと思います。◇

 安倍談話の該当部分を挙げる。
〓百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
 そして七十年前。日本は、敗戦しました。〓(原文)
 拙稿で「中学生レベルの歴史知識」と評したのは、口気から受ける印象ゆえだった。中学校の教科書を音読しているような感触が耳に障ったのだ。「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」が十八番の首相が手の平を返し、やに大上段に振りかぶり教壇にでも立っているかのようで嫌悪感が募った。
 感情が先走ると碌な事はない。これが司馬史観の『パクリ』だったことを看過してしまった。慚愧に堪えない。成田氏がいう通りだ。ただ氏の「坂の上の雲」の位置づけが若干ステロタイプに過ぎる嫌いはあるが、「司馬史観の一つの側面だけを安易に利用している」のは隠しようもない。安倍談話のなんと盗人猛々しいことか。だから、「とても中高生にはできない極めて狡知に長けた“お話”であった」は強ち的を外れてはいない。
 成田氏寄稿の「もう一つの弱点」については、拙稿のイシューと通底している。
 後段の「安倍談話は国民国家を立て直し、経済的繁栄を取り戻すという、司馬自身も80年代に捨てた夢を追っている。そこが決定的な問題だ」は、さすがに鋭い。80年代以降、「土地本位制」を断罪し国民の堕落を嘆いた司馬の憂国を貶めるものだ。完全に『ディス』っている。アベノミクスも「1億総活躍」も「司馬自身も80年代に捨てた夢」の焼き直しではないか。偉大な史家への侮蔑であり誹謗以外のなにものでもない。まことに憤慨に堪えない。怒りを込めて小峠くん流に締め括りたい。
 パクって、ディスって……なんて談話だ! □