伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

Jennifer On My Mind

2015年10月28日 | エッセー

 タモリの「四ヶ国語麻雀」は優れものだが、もっとスゴいのが「ハナモゲラ語」であった。ものまねの次元が違う。「四ヶ国語麻雀」は外国語のカリカチュアライズだが、「ハナモゲラ」は外国人の耳に聞こえる日本語を日本人がデフォルメしつつ再生したものだ。70年代演芸の至宝ともいえよう。
 キャッチコピーには
──浅田次郎が描く、米国人青年の日本珍道中!
 とある。文学版「ハナモゲラ」ではないか。米国人の目に映る日本を「日本人がデフォルメしつつ再生」する。展開はまさにそうだ。しかしそこは稀代のストーリーテラー、並のデフォルメではない。ずしりと重く深い滋味が織り込まれている。
 氏は記事下広告にこう寄せている(抜粋)。

 旅は見聞を広める。同時に自分を再発見する。
 つまり、旅は知の獲得であり修養でもあるから、昔の人は「かわいい子には旅をさせよ」と言い、あるいは武者修業や吟行の旅に出た。
 「わが心のジェニファー」のひとつのテーマは、私たち現代人が利器を捨てて旅立ったとき、はたして故人と同様に「知の獲得」や「修養」が可能であるかどうかという、想像と実験である。
 一方、もうひとつのテーマには、私たちが運命的に背負っている日米関係を据えた。歴史的な日米関係はあまりに壮大すぎて、もはや客観的な分析は不可能である。
 小説は娯楽に過ぎないけれど、娯楽ゆえに不可逆的な科学の進歩に反抗することも、分析不可能な歴史的事実を解析することもできる。そして、何よりも娯楽なのだから、面白くなくてはならない。

 また、このように諭したこともあった。
「人間は経験によってたゆまぬ成長をとげるものであるから、苦労を伴わずに経験を得ることのできる今日の旅は、子供よりもむしろ大人にとっての好もしいかたちになったと言える。この福音に甘んじぬ手はあるまい。『かわいい自分には旅をさせよ』である。金だの時間だの手間だのと、旅に出かけぬ理由を思いつくのは簡単だが、よく考えてみれば金は貯めるものではなく使うものであり、時間はあるなしではなく作るものであり、手間を惜しむは怠惰の異名に過ぎない。つまり旅に出てはならぬ合理的な理由は、実は何もないのである。」(「かわいい自分には旅をさせよ」)
 amazonの紹介文を借りてラフスケッチしておこう。

   わが心のジェニファー
   Jennifer On My Mind 
──日本びいきの恋人、ジェニファーから、結婚を承諾する条件として日本へのひとり旅を命じられたアメリカ人青年のラリー。ニューヨーク育ちの彼は、米海軍大将の祖父に厳しく育てられた。太平洋戦争を闘った祖父の口癖は「日本人は油断のならない奴ら」。
 日本に着いたとたん、成田空港で温水洗浄便座の洗礼を受け、初めて泊まったカプセルのようなホテルに困惑する。……。慣れない日本で、独特の行動様式に戸惑いながら旅を続けるラリー。様々な出会いと別れのドラマに遭遇し、成長していく。東京、京都、大阪、九州、そして北海道と旅を続ける中、自分の秘密を知ることとなる……。
 圧倒的な読み応えと爆笑と感動。浅田次郎文学の新たな金字塔! (小学館、今月26日刊)──

 読み始めて数頁で気づくことがある。タッチがいつもの「浅田次郎文学」のそれではない。外国人が書いた小説の翻訳のよう。ストーリーだけではなく、失礼ながら「ハナモゲラ」の芸が細やかだ。長い物語ゆえ、途中馴染みに戻ることはままあるが、基調はそうだ。かつて名うての『言葉使い』とこの作家を評したが、その意味でも「新たな金字塔」だ。極みはさらに極まった。
 Jennifer On My Mind
 “on my mind”を「わが心の」と翻(ヒルガエ)したのは、蓋し名訳であろう。となれば、とりわけ団塊の世代には" Georgia on my mind " 「わが心のジョージア」が懐かしい。60年代、レイ・チャールズがカバーしたこの曲ををレコードが擦り切れるほど聴いた。96年アトランタ五輪の開会式ではレイ自身が熱唱した。缶コーヒー“ジョージア”のCMでも随分流れた。
 ビートルズは“Back In The USSR”の歌詞にこのフレーズを紛れ込ませた。
〽That Georgia's always on my mind.
 “Georgia”とは「グルジア」を「ジョージア」州に引っ掛けた痛烈な皮肉である。さすがの凄腕に今さら唸る。とまれ名題に“on my mind”という絶妙なイディオムを持ってくるとは、まことに憎い。司馬遼太郎に負けず劣らずタイトリングの名手だ。
 記事下広告にある「運命的に背負っている日米関係」は、「何よりも娯楽なのだから、面白く」描かれている。大団円は特にそうだ。“Jennifer On My Mind ”とは、つまりは“Japan On My Mind”だった。カットアウトに余韻が十全に籠もり、しばし涙を堪えた。
「時間はあるなしではなく作るものであり、手間を惜しむは怠惰の異名に過ぎない。つまり旅に出てはならぬ合理的な理由は、実は何もないのである」
 優れた文学作品で行く旅もまたそうではないか。 □