伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ふー、疲れた

2011年05月18日 | エッセー

 連れ合い側の親戚で法事があり、山間(ヤマアイ)の町を訪ねた。総勢、19人。現地の親族を含めると、25、6名になる。もう立派な集団である。
 山懐に町はある。木々の緑と、川、渓谷。自然のただ中である。村おこしで観光地化を進めている。一軒とはいえ立派なホテルも温泉もあるのだが、経費を考えて簡易宿所に泊まることにした。ぎりぎり分散して、わたしを含め9人が一カ所に。
 食事なし、風呂なし(近くの温泉でもらい湯)、テレビなし、タオルも洗面道具もなし。さすがにシーツは新しいものが用意してあったが、なにやら布団がカビ臭い。そういえばドアを開けた時から、建物全体がかすかにカビ臭くはあった。
 今は使っていない調理場もあるから夏場だけの観光客相手か、あるいはかつての主役がいまはホテルに座を奪われてうら寂しくなっているのか、訊きそびれてしまった。
 副業でやってますという風の主人が、自由に使ってくださいと言って前払いの料金を受け取ると、さっさといなくなってしまった。あくる朝そこを辞す時になっても現れず、電話で連絡してそれでお仕舞い。なんともあっけらかんとしたものだった。

 歩いて数分のところにレストランがあり、お定まりの打ち上げとなった。鄙びたところには不似合いのフレンチ。シェフが腕を振るった料理に舌鼓を打つ。と、宴もたけなわのころ、大皿に載った土色に焦げた肉のブロックが運ばれてきた。
 嫌な予感……。何度か触れたが、わたしは焼き肉さえ食さない『文明人』である。だからユッケ騒動なぞ無縁。どっかにユッケ(行け)だ(若干、無理か)。
 ひょっとして猪か? ところが聞けば、熊だという。もっと悪い! とたんに、壁際へ猛ダッシュ。フレンチだかイタリアンだか知らぬが、いっぺんに酔いも醒める。しかし、愚妻はおもむろにスライスしてむしゃむしゃ。『共食い』も恐れぬ猛獣のごとき食欲、服を着た石器時代人。長い年月、こんな野蛮人といっしょに暮らし、よくぞ食べられなかったものだ。わが身の幸運に涙しつつ、部屋の隅でしばし蹲っていた。
 愚妻曰く、「少しくさかった」と。なにをおっしゃるウサギさん、いや、大ブタさん。あんなに美味しそうに喰らいついておいて、いまさらクサイもないもんだ。クサイのニオウのは、乙女の時に言うことば。今や歩くビヤ樽、傍若無人のオバさんとなっては、ご冗談にしか聞こえませぬぞ。それともグサイ(愚妻)だけにクサイか(失礼)。

 1歳ちょっとの玄孫(ゲンソン・やしゃご)から、いまだカクシャクたる90数歳の高祖母(コウソボ・ひいひいおばあさん)に至る揃い踏みは、実に圧巻、壮観であった。どれがだれなのか、だれがどれなのか? ついにそれぞれが誰某(ダレソレ)の何なのか、名札をつけることに。ぜんぶ集合すれば、いったい何人になるのか。眼前の20数人にして、すでに『人間家系図』である。どうにかすると、ダーウィンの「種の起源」が連想されてしまう。少子化の時代に、これは表彰物ではないか。いやー、あっぱれである。

 深夜、宴は跳ねた。杯盤狼藉を後にして宿舎へ。したたか酔ってるくせに、寝付けない。寝が浅い。3人づつの3部屋。隣は相も変わらず傍若無人さんが、傍若無人ないびきをおかきいになっている。その隣にもう一人。親族とはいえ、異例の川の字だ。おまけに寒い。さすが盆地である。苔むすようなクーラーはあるものの、エアコンではない。たまらず物置を物色し、石油ストーブを持ち込む。
 朝が早い。天候ではなく、宿がである。かつ、ちぐはぐである。年寄りからワケ(若)ーのまで、日が昇る前に起き上がる人、布団を上げても依然寝つづける者。9人が一つ屋根の下で暮らすと、こんなにもリズムが錯綜するものか。ずるずるの朝飯、あひる飯(ブランチ)、慌ただしい洗面、トイレ、意外に多いゴミ。
 東北での避難所生活が、どれほど大変か。慰問に来た東電の社長に「あなたもここで生活してください!」と被災者が詰め寄っていたが、宜なる哉だ。寝て起きるという基本のサイクルが、環境の変化で突如苦痛を強いてくる。なごみの循環が呻吟の繰り返しに豹変する。わずか一泊とはいえ、骨身に染みた。

 正午を期して、散会となる。それぞれ、遠近(オチコチ)に散ってゆく。再開を約しはしたものの、はたして……。玄孫はやがて親となるであろう。高祖母の上の呼称はないが、にわかな造語が必要となるまで長寿をと願う。
 ともあれ、稔りは撓(タワ)わにあった。しかし草臥(クタビ)れた。身体の芯に疲れを残したまま、谷間(タニアイ)の郷(サト)に別れを告げた。□