伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ヤマザキ&中野、コロナを語る

2020年09月27日 | エッセー

 作品を読んだことはないが、時々テレビで顔は見たことがある。随分尖ったことを言う人だなとの印象を受けた。
 ヤマザキマリ 1967年、東京都生まれ、漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で庭術史・油絵を専攻、2010年『テルマエ・ロマエ』(エンタープレイン)で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞、著書に『プリニウス』(とり・みきとの共著、新潮社)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、『国境のない生き方』(小学館新書、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)など。
 ミッションスクールに通っていた14歳の時、1ヵ月ドイツとフランスを一人旅した。パリからドイツに移動する際に老齢のイタリア人陶芸家が付き纏い、旅の理由が芸術のためであることを話すと、「すべての道はローマに通ずる、イタリアを訪れないのはけしからん」と叱られる。母から「学校をいったん辞めてイタリアに留学したら?」と勧められ、17歳で高校を中退。フィレンツェのイタリア国立フィレンツェ・アカデミア美術学院(イタリア語版)で美術史と油絵を学びながら11年間過ごした。フィレンツェ在住時には学生アパートの隣室の詩人(イタリア人)と恋愛した。妊娠発覚後、その詩人とは別れ、男児を出産してシングルマザーとなった。(以上、ウィキペディアから抄録)
 受けた印象は略歴で充分頷ける。そのヤマザキ女史が脳科学者・中野信子先生とコロナを巡って対談した。「パンデミックの文明論」(文春新書、先月刊)である。
 中野先生のことだから脳内物質との関連で話が進むのかと見当を付けていたら、どっこい、これが大違い。ドーパミンだのセロトニンは出るには出るが、ジャブ程度。中身は看板に偽りなく、高々とした文明論であった。かつ、巨細漏らさず、おばさん目線、いや失礼、女性ならではの視点が斬新でもある。
 欧米では自然は征服する相手。コロナについても、「日本人には想像しづらい自然に屈することへの屈辱感」があり、だから「マスクをすることが『負け』になるという欧米の感覚」があると中野先生はいう。道理で、トランプがマスクを意地になって嫌い、返ってそれが好感されるのも納得がいく。日本人はというと「疫病は『避けるもの』であって、『戦うもの』ではない。マスクは「疫病に見つからないように顔を覆う、という感覚」に近く、「ネゴシエーションすることでやり過ごそうというやり方は、実に『ウィズ・コロナ』的で、意外に洗練された向き合い方なのかもしれない」と語る。おもしろい。○○警察についても鋭い分析があるのだが、次の2点が特に印象深かった。
 ヤマザキ氏は14世紀の黒死病パンデミックをキリスト教が逆手に取って一気に教勢を拡大したという。ヤマザキ女史はただのマンガ家ではない。イタリアを軸に広汎で深い欧州史の学識をお持ちだ。
 「『ペストは信仰を持たない者への天罰だ』と大キャンペーンを繰り広げ」、「キリスト教は死に神と戦っているんだという意識を植え付け、民衆の信頼を得ようとした」と抉る。それまでカルト宗教の一つにしか見られていなかったキリスト教が大きなプレゼンスを掴むことになったわけだ。パンデミックの後には農奴の解放が起こり、ルネッサンスへと連動していく。その俯瞰的な史的考察は圧巻である。
 2つ目は「アントニヌスのペスト」が誘起したローマ帝国の瓦解についてだ。
 「アントニヌスのペスト」とは、165年から180年にかけてアントニヌス帝の治世下ローマで猖獗した疫病である。350万から700万人ほどの人々が死んだ。なぜか? 「全ての道はローマに通ず」であったからだ。 
 ヤマザキ氏はこう繙く。
 〈メソポタミアから兵士たちが持ち帰った疫病によって、総死亡者数は一千万を超えたとも言われ、経済機能が止まってしまいます。生活インフラを担う商人たちが軒並み倒れたので、食料が尽きてしまった。さらに貿易を扱う人も船を漕ぐ人もいなくなってしまったので、物資が港に入ってこない。都市全体が飢餓に直面する中、兵士たちも次々と死んで軍隊が脆弱化する。そうした負の連鎖が続いた結果、ついに広大な帝国を監視・維持できるだけの国家の体力が奪われてしまったのです。〉(上掲書から)
 帝国の版図拡大はパンデミックとアンビバレンスにある。それはそっくり現代に当て嵌まる。トランプの愚昧さを勘定に入れたとしても、アメリカの惨状は古代ローマの生き写しといえる。もはや引き返せないグローバリゼーション。しかし宿痾も抱えねばならない。このアポリアを人類はどう乗り越えていくのか。蓋し、壮大な文明論ではないか。
 さまざまなコロナ本に当たってきたが、なんだか一番読み応えがあった気がする。好著だ。 □