伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

東京裏返し!?

2020年09月12日 | エッセー

 数年ぶりにエキサイトしつつ読み、<あとがき>に至った時になんと著者も同じ言葉を使っていた。
<今まで気づかなかったスポットに遭遇し、思いもせぬ結びつきを知り、多くの魅力的な風景を発見し、その度に興奮した。東京がこれほどエキサイティングだったとは──。>
 グルーヴともいえる。これほどの高揚感をもって1冊の著作に対峙するのは僥倖でもある。
 目次の端(ハナ)に「都電荒川線」とある。令和になってもなお残る東京で唯一の路面電車である。もう目が釘付けである。往年、日常の足だった。あの頃は確か「都電32番線」と呼んでいたように記憶する。それはともあれ、これが読まずにおられよか。
   「東京裏返し──社会学的街歩きガイド」 (吉見俊哉著、集英社新書、先月刊)
 吉見氏は東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授、元東京大学副学長で専門は都市論、文化社会学。日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割を果たす。著書に『都市のドラマトゥルギー」「五輪と戦後上演としての東京オリンピック」など。
 帯と見返しにはこうある。
 〈これからの注目は「都心北部」! 
 これまでに東京は三度「占領」されている。一度目は徳川家康、二度目は明治政府、三度目はGHQによって。消された記憶をたどっていくと、そこに見え隠れするのは、日本近代化の父と称される渋沢栄一であった。本書の中核をなすのは、都心北部=上野、秋葉原、本郷、神保町、兜町、湯島、谷中、浅草、王子といったエリアである。これらは三度目の占領以降、周縁化されてきた。しかし今、世界からも注目される都心地域へと成熟している。まさに中心へと「裏返し」されようとしているのだ。〉
 都心北部から南西に移動した中核が裏返り、再び北部へ戻る。なんと壮大なドラマトゥルギーか。「裏返し」とは、知られざる穴場の観光スポットガイドではない。家康のはるか以前、知られざる太古からの東京に地政学と社会学を駆使して分け入った探検記録である。
 吉見氏は都市のモビリティには3つあるという。時速4キロの歩行、同13キロの自転車や路面電車、40キロ以上の自動車と電車。都電は生活の場所から乖離せず低い目線で同じ空間を移動する。いわば「走る歩道」だと評する。
 そこで荒川線だ。氏は以下のように繙く。
──早稲田駅から三つ先に鬼子母神前駅。子授けの神は出産・育児さらに少子化問題につながる。
 その一つ先に都電雑司ヶ谷駅。日本初の公共墓地の一つ、雑司ヶ谷霊園がある。
 その五つ先に庚申塚駅。「おばあちゃんの原宿」で有名な巣鴨地蔵通り商店街の最寄り駅である。高齢化社会の典型でもある。──
 稿者流に括ると、
    鬼子母神は生を
    雑司ヶ谷は死を
    庚申塚は老いと病を
表徴するといえるのではないか。吉見氏は同著で「人間が生まれてから死ぬまでが、この短い区間に凝縮されているのです」と述べる。この辺りからエキサイトは始まる。
 さらに氏は、飛鳥山・王子から終点三ノ輪、近隣の山谷は資本主義の頂点と底辺とも捉える。ここから本書の陰の主役である渋沢栄一が登場する。一気に地政学の目が鋭くなっていく。
 〈飛鳥山・王子と三ノ輪・「山谷」を結ぶ荒川線の円弧は、近代資本主義の頂点と底辺を結ぶ路線でもあるのです。私たちは、一方では人生の誕生から老後、そして死までをつなぐ、他方では近代資本主義の頂点と底辺をつなぐ時速一三~一四キロの道行として、荒川線を味わうことができます。〉(上掲書より)
 と章を結んでいる。紙幣を生んだ渋沢が、早晩電子通貨に追われるであろう紙幣の最後の顔となろうとしている。とともに、資本主義もパラダイムシフトを迫られている。私たちは今、アイロニカルな歴史の結節点にいるのか。
 次章からは秋葉原、上野、神田、蔵前へと進み、今は蓋をされた水運都市江戸を浮かび上がらせていく。特に、神田・神保町での東大を中心とした学の街への考究は圧巻だ。その探索は東京再発見というレベルを遙かに超え、東京再興への壮大なビジョン、つまりは「東京裏返し」へと拡大、深化する。エキサイティング・トラベルだ。
 〈都市を時間的存在として理解すること。つまり本書は、読者が東京都心で、緩やかな速度(スローモビリティ)、長い歴史的時間の重層(三つの占領)、異なる次元の時間の共在(聖学俗)を、街歩きをしながら体験できるよう仕組まれている。さらに本書は、東京再生のための提案書でもある。本書で提案した多くの構想は、東京文化資源会議というネットワーク組織で議論されてきたものだ。そこで目指されているのは、都心北部の諸地域をつなぎ、二一世紀東京の文化の中心にしていくことである。〉
 と、「あとがき」は結ばれている。裏返して観る。歴史の重層が顕れる。原点に裏返る。なぜなら、人は地を離れて生きてはいけぬのだから。 □