伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

スッカスカ

2020年09月06日 | エッセー

 スッカスカ君とは反りが合わないアッソー君がスッカスカ支持を先導した。「お前を総裁に担いだのはオレだぞ。オレを忘れるな!」ということである。「前政権を引き継ぐにはずっと支えてきたこの人が適任」などと歯の浮くような心にもないヨイショまでして。
 「お前が狙えばいいではないか」には乗らなかった。そのあたりはアンバイ君よりは賢い。いや、ずる賢い。失敗に学ぶことぐらいはできたらしい。もっとも反省ザル程度ではあるが。
 前政権を継承するとは居抜きと同義である。アンバイ政権の受益者の既得権益を保障するということだ。同時に居抜きである以上は先住者が置いていったものも受け継ぐ。モリカケサクラも継承せねば筋目が通らない。ん、そういえば条理からもっとも遠かったのが前政権だった。反知性主義もそのまんま。もう片付いてますと言い張るのもスッカスカ君にとっては立派な跡目の役割だ。となると、立派な共謀罪だとだけは言っておきたい。ポチが生き延びるにはボスの忠実なポチであり続けるしかない。トランプ大親分からするとポチのポチ、ポチポチだ。先だって、「露骨な独裁と戦前回帰にとりあえずの待ったが掛けられたことは慶賀に堪えない」と述べたが、糠喜びだったか。
 イシッパ君には運と仕掛けがなく、キッシー君にはキャラと度胸がなかった。かわいそう。ところが、ポチには巨大な空虚があった。文字通りのすっからかん、スッカスカであった。空疎でなければポチなど務まるものではない。スッカスカ君には他の2人が持ち得ないこの強力な属性があったのだ。稿者、不徳のいたすところこれを失念していた。
 こうもいえる。スッカスカを担ぐのはこの政党自体がスッカスカである証左であり、象徴的な戯画でもある。スッカスカに最も相性が良いのはスッカスカだ。国民政党とは名ばかりで利害政党である本性が曝け出された格好だ。世の利害を集約した政党が内側でも利害闘争を繰り返す。マトリョーシカだ。そんなに可愛くないか。
 さらに、こうもいえる。19世紀の哲学者ジョン・スチュアート・ミルは「国家の価値は結局、それを構成する個人個人のそれである」との箴言を残した。国民と国家のレベルは同値だと諭す。ならば、国民自体がスッカスカといわれても返す言葉はない。
 辞任表明の後、アンバイ政権の支持率が急上昇しているという。日経新聞の世論調査では55%。ただし、辞任を妥当とする声が88%。われら国民は既(スンデ)の所でスッカスカを免れたようだ。55%はまさか判官贔屓ではあるまい。いいとこ、お捻りか餞別と解するに如くはない。88%は政権とのズレを明証する。
 「スカッとジャパン」は夢のまた夢。見飽きた茶番を見せられて、またもや臍で茶を沸かす。そんな小汚ねーものが飲めるか! って、自分の臍じゃないか。まったくー。 □