〈未来の見えない日本の中の未来なき政治家の典型が安倍晋三です。安倍晋三のありようは今の日本人の絶望と同期しています。未来に希望があったら、一歩ずつでも煉瓦を積み上げるように国のかたちを整えてゆこうとします。そういう前向きの気分の国民があんな男を総理大臣に戴くはずがない。自信のなさが反転した彼の攻撃性と異常な自己愛は「滅びかけている国」の国民たちの琴線に触れるのです。彼をトップに押し上げているのは、日本の有権者の絶望だと思います。〉(「憲法が生きる市民社会へ」から)
「日本人の絶望と同期」、「攻撃性と異常な自己愛」。これほど「あんな男」の正体を深く鋭く捉えた洞見を他に知らない。露骨な独裁と戦前回帰にとりあえずの待ったが掛けられたことは慶賀に堪えない。
待ったは意外なものが掛けた。疫病である。4月の拙稿「コロナの大功名」で呵した通りだ。「日本人の絶望と同期」が「日本人の不安と同期」に転位した。安倍晋三が不安を代替した刹那、辞任以外の選択肢がすべて失われた。アベノミクスに始まり、アベノマスクに終わった。浜 矩子氏ならアホノミクスからアホノマスクへ、と言うだろう。
アホノミクスの成果として彼がなんとかの一つ覚えに誇るのが400万人の雇用創出である。しかし実態は55%がパート、アルバイト、非正規である。当然、正規よりも所得は少なく手当てもなく不安定だ。川向こうに橋を架けるのではなく、たくさんのロープを渡すようなものだ。過重な負担と不安が増すばかり。余計事態は深刻になったというのが真相だ。現に主要13カ国の1994~2018年の名目賃金は日本が約マイナス5%と、本邦だけが減少した。件(クダン)の一つ覚えは、一つのデータを一つの上っ面だけを取り上げた恣意でしかない。瞞されてはなるまい。やっぱりアホノミクスに変わりはない。
ついでだから付言したい。「安心安全」という言葉。これは形容矛盾である。字引によると、安心とは物事が安全・完全で、人に不安を感じさせないこととある。安全とは物事が損傷・損害・危害を受けないこととある。「物事が安全・完全」であることは不可能である。不可能である以上は不安は尽きない。また不安の解消を求めて物事の安全・完全を追求するのだが、これは無限ループだ。つまり、両立しない。どこかで折り合うしかない。ところが、どこかの政権は見果てぬ夢を軽々しく安売りしていた。「安心安全な国民生活」、「安心安全な町づくり」、「食の安心安全」などなど。あるいは逆に、「日本を取り巻く安全保障環境の悪化」を殊更に言挙げして不安を煽った。どちらにせよ、安心ホルモンであるセロトニンが際立って少ない日本人への『安心安全トラップ』といえなくもない。だが惨めにも、このアンビヴァレンツに絡み取られ身動き取れなくなったのは他ならぬ「あんな男」ではなかったか。自宅で犬を抱いてくつろぐ様は、遂に犬にしかくつろぎを与えてもらえない「あんな男」の末路を象徴して余りある。
愚稿を採録して結びとしたい。3月「一寸の虫 9」から。
〈規模の大小を問わず、国家権力を超える権力は国内には存在しない。超えるものは2つ。1つは他の、より強大な国家権力。もう1つは自然現象、天変地異である。
ナチスは連合軍によって潰えたし、ポルトガルは大地震によって世界の覇者から引きずりおろされた。ペストによるパンデミックは洋の東西を越えて人類を何度も危機に陥れた。
アンバイ君がどんなに一強を誇示し、独裁を欲しいままにしても道理は同じだ。新型コロナはさしずめ天変地異か。一強を超える自然の猛々しい力を見せつけている。付け焼き刃の「やってる感」なぞで太刀打ちできる相手ではない。
百歩も千歩も譲って、到底宰相の器ではない者の「開いた口へ牡丹餅」が転がり込んだとしても、取ってつけた箔はもはや毀たれ「弱り目に祟り目」の境遇にあると自覚することだ。
いや失念。この御仁、牡丹餅より桜餅がお得意だった。〉
因みに、努力や苦労もせずに予想外の幸運が舞い込むことを「開いた口へ牡丹餅」という。夜郎自大な「あんな男」はすぐ図に乗る。今度は己がはなばなしく桜餅を振る舞って墓穴を掘ってしまった。まことに天網恢々疎にして漏らさずである。 □