今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

飲んだら乗るな?

2006年09月14日 | 時事
悲惨な事故を受けて、飲酒運転に対する(自治体などによる)厳罰化の機運が高まっている。
少数、いや単数意見として言わせてもらえば、事故の直接原因はわき見やスピード違反などの業務上過失(注意義務違反)そのものであって、
飲酒それ自体は本来は罪ではなく、罪を起こす可能性を高めることに過ぎない(睡眠不足や体調が悪い状態で運転するのと同じ。飲酒という行為自体ではなく、酩酊状態が問題)。
道交法では飲酒での運転(正しくは、血中アルコール濃度を測定された”酒気帯び・酒酔い”の運転)だけでも単独に”罪”となるから、その罪の発覚をおそれるために、
飲酒を伴った人身事故が被害者にとってはさらに危険なひき逃げに発展してしまう。
でも、無節操(無作法)な輩が起こす悲惨な事故によって、厳罰化の声が高まるのを抑えることはできない。

この話題をアップしようとした矢先、痴漢行為で捕まった人が「酔っていたのでわからない」と、よくある弁解をしているという(その後、「でっちあげ」に変更)。
記憶がなくなるほどの泥酔なら、まともに電車に乗ないはずなんだが、とにかくその本人が酒のせいにすることで、
「また酒か」という印象を世間に与える事は確か。
こうなると厳罰化の世論はさらに強まり、酒を「飲んだら電車にも乗るな」と言われそう。
2ちゃんねるではさっそく「禁酒法を制定しろ」という声もあがっている。
作法的に言えば、”無節操”(飲酒でいえば酔払い)が本質的問題であって決して酒が悪いのではない。
と言いたいのだが、この主張は全米ライフル協会の銃規制反対の言い分にそっくりなので、声高にできないのがつらい。

法律でかんじがらめにしないと、人は無節操になってしまうものなのか。
人間には、貴重な自由を満喫するために、自己規制するという礼節(節度を保つ=中庸=中道)能力があることは2500年前に発見されているはずなのだが。
人間て進化しないもんだなぁ。

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