先日22日に八王子に行くために新宿駅で京王線に乗り換える通路を通った時、
私の大好きな「ミロ展」が都美術館で開催中であることを知った。
結構大規模な回顧展なようで、しかも7月6日までなので、週末の本日土曜の午前中に行くことにした(午後より混まないはず)。
ちなみに、ミロ展ではミロの絵がプリントされたTシャツ(ミロT)を買うのが楽しみで、すでに2着持っている。
もとより美術展ではその作家作品のTシャツが販売されるものだが、着用を前提とすると、ミロ以外は買う気になれない。
逆に言えば、ミロTならぜひ欲しい。
そのミロ展なので、ここぞとばかりに(日頃はもったいなくて着ない)ミロTを着て行く事にした。
ただし、モロにミロT着用でミロ展に行くのはいかにもミーハーチック(死語?)なので、上にベストを羽織る。
さて、そのミロ展だが、最初期の、ピカソ・セザンヌ風の自画像・風景画から始まり、
それが次第にミロ独自の絵画言語が形成されていく過程がよくわかる
(さらに彼が90歳で亡くなるまで、現代美術の最先端を突き進んでいたことがよくわかる)。
そして記号化された描画が何を意味するかという記号解読(ある意味、芸術鑑賞をぶち壊す作業)をしながら観て回る。
ただ「星座シリーズ」(右図)は具象画とも抽象画ともつかない線画が集まった世界なので、記号解読を諦めると、その途端、絵がまるで現代音楽のような不協和音たちの協奏による不思議な調和を醸し出し、とても心地よくなった。
この”目で見ただけで心地よくなる”ことが、私がミロの絵を好きな理由で、ミロの絵は、聴くように観ればいいのかと思った。
展示コーナーが終わってショップコーナーに達すると、ミロTが幾種類もあったが、いずれも適したサイズがなく、
またプリントもシャツの前全面ではなく、小さい四角に収まっているので、サイズが合っても欲しい類ではなかった。
その代わり、いつもは買わない図録を買った。
図録って、一度読んだだけで書棚の肥やしになるだけなので極力買わないようにしているが、
考えてみれば、ミロほど好きな画家なのに、彼の図録は持っていなかった(ミロT購入を優先したから)。
帰宅して、その図録を読むと、ミロは絵画の中に「沈黙の音楽」を探していたという。
ならばミロの絵を音楽的に観ることは、的外れな鑑賞態度ではなかったようだ。