今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

追悼植木等

2007年03月27日 | 時事
高齢の植木等さんを思うたびに、恐れていた。
でも、その時を迎えてしまった。

私が最初に熱中した芸能人・私のアイドルが植木等だった。
幼稚園児の分際で、彼のレコードを泣いて買ってもらい、「サラリーマンは~、気楽な家業と、きたもんだ♪」(ドント節)と歌い方もまねて歌っていた(確かに幼稚園児にふさわしくないな)。
もちろん、「スーダラ節」「五万節」や「ハイ、それまでよ」も全部覚えて歌いまくっていた。
彼のテレビ番組を観たのがきっかけで、その後映画「無責任」シリーズも足を運んだ(東宝のゴジラシリーズと同時上映だったような)。
幼い自分が強く感動した何かがそこにあったようだ。

はっきり言って幼少時の植木等体験は、自分の自我形成におおきく影響した。
自分の自我のコア(中心部)は無責任シリーズの主人公、源等(みなもとひとし)・平均(たいらひとし)・初等(はじめひとし)だ。
その外側に、不適応感や劣等感などでによって形成された、暗くおとなしい、いわゆる「山根一郎」という部分がある。
社会的に表出され、日常的に自分でも体験しているのは主にこの部分。
でもその奥にずっとそのままの能天気な無責任男がいる(この部分を表に出すと逆に社会不適応になるから)。
だから植木等は私の心の中で生き続けていく。
私自身となって…