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今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

2つの二重災難

2018年09月10日 | 失敗・災難

大阪や北海道では、とんだ災難に遭って茫然となっている人たちがいるが、なんと私にも災難が連続して降りかかってきた。

まず台風21号の記録的な強風によって、名古屋市内の「星が丘」の故障中の気象観測装置が破壊されたことは前の記事に記したが、それだけでなく、名古屋郊外の「日進」でも校舎の屋上に設置して稼働中の同形の観測装置が、コンクリートブロックの幾重もの重しをものとせず、移動していた。
そして電源装置のカバーが外れて内部が雨を浴び、只今電源喪失状態。
電気が通らないと買い替えとなる(研究費が吹っ飛ぶ)。
つまり、大学での気象観測・配信が2つとも停止状態。 

さらに、台風とは無関係だが、研究室内のLANルータが急に認識されなくなり(作動は正常なのに)、気象観測のネット配信ができなくなっている(どうせ観測不能状態だが)。
さらにさらに、 名古屋宅のLANルータも突然故障してやはり認識されなくなり、ネットがつながらなくなってしまった(仕方なしに移動時用のモバイルルータで代用)。

かように、同じ2つの災難がダブルで続いた。

これらの故障たちに急いで対応しなくてはならないのだが、今週半ばに締切の論文作成が最優先事項なので、どれにも手をつけられないでいる。

その他にも懸案事項が重なっているのだが、すべて後回し。
さらにその後に後期授業が待っている(授業が始まったら、日々、それに追われる)。 

来週中にでも、対応しなくては。


遅刻、遅刻!

2018年06月13日 | 失敗・災難

朝、目が覚めて、壁の時計に目をやると、針の位置が不自然に水平に拡がっている。
朝なのにへんだ、また電池切れかと思い、腕時計を確認すると、針は同じ位置。

ということは、今実際に9時15分過ぎということ!?

今日は1限の授業があるため、目覚ましを7時半にセットしておいた。
そうでなくても、いつもは自然な目覚めで、8時前後には目が覚める。 
1限の開始は9時10分。 
授業がすでに始まっている時刻。
もちろん私が授業担当。
授業担当者が完全な遅刻だ。 

あわててガバと跳ね起き、 まずは大学事務室に連絡しようと、携帯をいじるが、
事務室の番号が登録されていない!
そこでネットで大学のサイトを開いたが、事務室の電話番号が見つからない!
仕方ないので、事務課からの着信メールを探して、
発信者の宛名の所に外線電話番号があるのを見つけ、電話をかける。

事務課にかかったので、授業に遅れるので学生には教室で待っているようにとの伝達を依頼する(遅れる理由はあえて明言せず)。

急いで、顔を洗い、歯を磨き、服を着替えて、バッグを持って家を出て、車に乗り込み、
食パンをくわえながら(ウソ)、 大学に向う。

実は、昨日は、長引いた教授会の後に、私が議長の会議を2つこなして、頭がフラフラになって帰宅した。
そして、目覚ましをセットして寝た。
いつも以上にぐっすり眠れて、途中で起きることもなく、熟睡できた。
その熟睡が過ぎて、いつもなら目覚ましアラーム(うるさくない快適な音にしている) が鳴った瞬間に目覚めるのだが、
今日だけはアラームの記憶がない(12時間後、アラームは正しくセットされていたことを確認)。
前述したようにアラームが鳴らなくても、自然な目覚めで遅刻することはないのだが、今日だけは違った。
よほど、頭が疲れていたのだろう。
おかげで、目覚めた後は、頭の疲れは消えている。

大学に着いて、配布予定の授業資料をもって急いで教室に入ると、本来なら授業なしと判断して、待つ必要のない受講者全員が教室に待っていた。
遅刻を謝罪し、急いで資料を配って授業を開始して、結局、今日の授業予定をこなすことができた。
結果オーライ。

その後の授業は問題なく終え、夕方帰宅した。
帰宅して、家のパソコンを見ると、会議開始時刻の案内表示が出ている。

そうだ、今日は授業後に会議があったのだ!
(パソコンの予定表に入力しておいたので、通知が出る)
その会議はすでに20分経過している。
なんと今日二度目の遅刻!

またしても、 バッグを持って家を出て、車に乗り込み、
食パンをくわえながら(ウソ)、 大学本部に向う。
報告事項中心の会議なので、 30分経過しているともう終わりに近いはず。
その中を、そっと大会議室の扉を開けて 、入り込む。
議長(学長)隣の、担当者が淡々と会議資料の説明をしている。
中にいた事務職員が、私の席をそっと指示する。
そこには、空の席の卓上に会議資料が置かれている。
そこに座って身を小さくして資料を手にする。
すかさず、別の事務職員がやってきて、私に耳打ちする。

「今日の会議は、出席しなくてもいいのですよ」

ええっ、だって招集のメールもらったし。
なんでも、そのメールの最後に、私の立場の者は今回の会議は出席不要との一行があったという。
それを読まなかったのだ。

二度目の遅刻は不必要だった。
でもこちらも結果オーライだよな。 


クレカが不正使用された

2017年04月21日 | 失敗・災難

ネットでの買い物と旅行の宿代、それにいくつかの使用料金はクレカで支払っている。

先日、ネットでの買い物で登録しているヨドバシのゴールドポイントカードで払おうとしたら、使用不能になっていた。
へんだと思いながら、とりあえず別のカードで決済し、そのままにしていた。

するとヨドバシのカード会社から携帯に幾度も電話がかかっていたことが分った(携帯は鞄に入れっ放しで通話にはほとんど使わない)。 

カード会社からなのでこちらから電話してみると、実は私のカードが不正使用された形跡があったので、使用不能にしたのだという。
その不正使用(15回もの連続使用)は、私には被害は及ばず、カードは自動的に再発行されるという。

不正使用された原因の可能性を尋ねると、ランダムな検索で偶然ひっかったか、買い物先のセキュリティが甘かったためという(これは今後注意していきたい)。

いずれにせよ、私本人が気づく前に半ば自動的に使用停止してくれたのはありがたい。
不正使用された点は不安だが、その後の対応の迅速さには却って信頼感が増した。 

ちなみに、母の知人宅(高齢者)に、やはり同様の主旨の電話がかかり、カードを再発行するために暗証番号を尋ねてきたという。
こっちは明らかに振込め詐欺。

カードにはこのような危険もあるが、セキュリティ機能と補償機能があるので、結果的には安心できる。
少なくとも高額な現金を持ち歩くよりは安全だろう。 


自分のシステム1が調子悪い

2017年03月09日 | 失敗・災難

心のサブシステムの1つで、日常行動の中心的役割を担っている「システム1」の調子が悪い。

国会図書館に行くのに地下鉄を使うのだが、降りる駅を乗り越してしまった(こんなこと初めて)。
いつものように乗車中はiPadで読書するので、システム2(思考言語)の作動がメインになるのはいたしかたないが、いつもなら周辺意識であるシステム1が降りる駅のアナウンスを合図に作動してくれるのに、今日は作動しなかった。

そして、図書館から帰りの地下鉄では、乗換え駅で、家とは反対方向の車両に乗ってしまった。
いつもと違う駅で乗換えたため、慣れていなかったこともあるが、直感的な空間感覚と勘が見事に外れたのだ。

もともと勘(システム1の一部)の性能は人並み以下で、その証拠にUSBの差し込み口はたいてい上下を逆に挿し込もうとする(もっと正確な証拠では、トランプを裏返しにしてカードの色を次々と当てる作業をすると、毎回決まってハズレの方が、6:4で多くなる。一度たりとも当たりが多くなる、あるいは半々になったことがない!)。

そして家に帰ったら、部屋のエアコンがつけっ放しだった。
毎日同じ外出時のルーティン作業(システム1) がミスった。

いったいどうしたんだ。俺のシステム1。

システム1は、迅速だが不正確なのが特徴で、しかも私はADHD気味なので、もとより品質が悪いのだが、今日の不正確さは異常だ。
今日は、車を運転しない日でよかった※。 

※この4日後、ガソリンスタンドで、車のサイドブレーキをかけ忘れて、降車してしまい、知らぬ間に車が後退してスタンド内の鉄骨部にぶつかり、後ろのバンパーが破損した。このミスもシステム1の不調による。 

システム1は行動経済学やマインドフルネスからは悪者視されているものの、日常行動の主役であるので、これはこれできちんと鍛える価値がある(その方が生活が楽)。

学習理論にもとづくきちんとした心理学的プログラムが正統な方法だが、第六感を鋭くしたいので、少々怪しげだが”潜在意識”の覚醒をすれば効果があるだろうか。


締め出され

2016年02月08日 | 失敗・災難

3泊の慰労旅も今日で終わり。
私にとっては”3泊”は最長の部類なのだが、ここ定宿での滞在としては物足りなさを感じている。
毎年数回の連泊をずっと継続しても一向に飽きないからだが、逆に飽きてしまうともう行く気がしなくなるので、「もうちょっと居たい」と感じながら帰るのが丁度いいと、自分に言い聞かせている。

気持ちを残して去る。これを「残心」という。

さて、今日は何も用事がないので、のんびり帰り、14時すぎに到着。
荷物を部屋に戻して、車の小さなキズが気になったので近くのディーラーに車で出かけた。
わが部屋の鍵を閉める時、いつもとは違うへんなひっかかりを感じたが、そのまま出かけた。
戻ってきて、部屋の鍵を差し込んだが、鍵が回転しない。 
すなわちドアがあかず、部屋に入れない。
閉め出された。

前回は赤チンクに閉めだされたが、それは自分のミス。
今回は私のせいでない(と思う)。

幸い、外出装備なので、携帯があり、管理会社に電話する。
今冬一番の冷え込みだった今日だが、車での外出だったので防寒着がない。
なので、管理会社の人が来るまで、表で待つわけにはいかない。
さらに幸い、車のキーもあるので、車の中で待つ。

だいぶ待って管理会社の人が来て、鍵穴に鍵専用の潤滑剤を注入する。
すると、鍵が回転し、開けられた。

お礼を言って、部屋に入り、今度は夕食の材料を買いに出かける。 
今度は革のジャケットを羽織り、代わりに車のキーを置いて、外から施錠する。
さっきと同じ違和感があったので、鍵を回してみたが、回らない。
また、閉めだされた。
さっきの成功はつかぬ間で、状態が戻ってしまったのだ。

また管理会社に電話した。
今度は車に入れないので、まずはスーパーに行って買い物を済ませる。
それを済ませてもいっこうに連絡が来ない。
催促の電話をする。
いつ来るかわからないので、喫茶店で休むわけにもいかず、ずっと家の周囲を歩きまわる。
日没となり、どんどん気温が下がってくる。
そとにいると寒いので、近くのコンビニに入るが、買うものもないので、長いするわけにはいかない。
なので、近所のコンビニをはしごする。
長居できるのはスーパーしかない。
スーパーに戻って、また催促の電話をする。
どうやら、外回りの人は一度成功したので、2度めの依頼であると思っていない気がしたので、2度目の依頼であることを詳しく説明しなおす。

そうしてやっと管理会社の人が到着。
一度目と同じ作業をしたが、今回は鍵が回転しない。
管理会社の手に負えない事態になったので、専門の業者に依頼してもらう。

業者が到着するのは19時半だという。
それまで45分、寒空の下で待つわけにはいかず、空腹になったので、自炊用に買った食材を持ちながら、駅前に戻って食堂に入った。
そこで夕食を食べていると、予定の15分前に到着したと業者から電話が来た。

いそいで夕食をたいらげ、戻る。
専用の工具を携えた業者の人が待っていた。

彼、いやその”鍵師”は、ドアの鍵周りの部分を分解し、夜の外に面した廊下で懐中電灯を灯して部品一個一個を精査する。
そして、それらを付け直し、鍵が軽快に回るのを幾度も確認した。
部品に損傷はなく、つまり正常なので、原因は不明だという。
私も幾度も鍵を閉めてみたが、今回はきちんと回転する。
さすが鍵師だ。
賃貸なので請求は管理会社に行く。
私はお茶を一杯差し出しただけだが、心から感謝を示した。 

原因不明というのが気になるが、
可能性としては、鍵についたゴミが鍵穴の一部を塞いだかもしれないという。
確かに、以前から使っていた鍵を覆うキーケースをやめ、最近は鍵を束ねるだけのキーケースに乗り換えたばかり。

 


FIATに締め出され

2015年12月22日 | 失敗・災難

超ローテクのRoverMINIから、新車のFIAT500Sに乗り換えたはいいものの、そのギャップにいまだ慣れない。

キーはもちろんリモコンで、しかもドアの他に後ろのトランクだけ開けるボタンもある。

今日、出がけに、トランク内の整理に使おうと、ビニール袋をトランクに入れるため、トランクだけ開けるボタンでトランクを開けた。
MINIのトランクは上から下に開くのだが、FIATは下から上に開き、空いたドアが頭上高々と立ちはだかる。
それが目障りだったのか、思わず、トランクを締めた。

その時、ありえないミスをしてしまった。
キーケースをトランクの中に入れたままだった。

あわててトランクを開けようとしたが、しっかり施錠されている。
トランクだけ開けるキーは、ドアは施錠したままなので、トランクは一度締めると施錠されることが、やってみてわかった。
もちろん、トランクにキーケースを入れるという愚かなミスは自分のせいで、これは弁解しようがない。

そして私はさらに顔面蒼白になった。

車のスペアキーは確かに部屋(棲み家のアパート)に保管してある。

だがキーケースには、車のキーだけでなく、部屋の鍵もつけていた。
出がけだから、部屋は施錠してきて、車はまだ施錠した段階でのこの出来事。

今、私は車だけでなく、部屋にも入れない状態になったのだ。
部屋に入れないから、車のスペアキーが出せず、車も開けられない。
車が開けられないから、トランクの中のキーケースをとり出せない。
だから部屋に入れない。
われは天に見放された…

嘆いていても埒があかない。
幸い、荷物の入ったバッグは手元にある。
携帯を取り出して管理会社に電話して、合い鍵を持ってきてもらえないかお願いする。
管理会社は他の市にあり、遠い。 
なかなか連絡が来ないので再び電話し、管理会社が契約している近くの管理会社に連絡してもらい、やっとその会社から部屋の合い鍵をもってきてもらった。
その間、小一時間。
幸い、用事が迫っていなかったので、ずっと路上で待てた。

合い鍵を受取る時、もちろん、身分の確認が必要で、サイフから免許証を見せた。 
バッグまで閉じこめられたら、お手上げだった。

部屋に上がって、スペアキーを取り出し、車のドアを解錠すると、トランクも連動して解錠された。
トランク内のキーケースをつかんであっけない解決。

ローテクのRoverMINIでは経験できない顛末だった。
手数を省ける便利さには、融通の利かない不便さが内蔵されている。
便利さに潜むリスクを肝に銘じる教訓を得た。 

教訓1
トランクを開ける時は、必ずドアを解錠して開けることにする。トランクだけを開けるボタンは使わないことにする。

教訓2
家の鍵と車のリモコンキーを同じキーケースに入れない方がいい。キーケースをなくすと両方なくすことになるから。

教訓3
バッグの奥に家のスペアキーを潜ませておこう。
☞これは防犯上やらないことにした。


旅先でMINIの修理

2015年10月05日 | 失敗・災難

旅先で車が故障したが、まだ旅の途中で中断したくない。
そこで、任意保険のロードサービスで近場の整備工場まで運んでもらい、そこで修理を依頼した。
Rover-MINIなので、製造中止になってずいぶんたつが、部品の調達は意外に可能。

ヒーターホースが破損して、その中の金属のパイプ部分も破損していた。

修理の間、私には代車(国産の軽)があてがわれたので、本日の予定をこなした(別記事にする)。
代車で30km以上走ったのだが、使った燃料は1リットルに達しなかった。
さすが日本車の軽、燃費の良さに驚嘆。
でも運転はちっとも楽しくない。

夕刻、MINIの修理が終わった。
ホースは交換したが、金属部分は整形応急処置で、締めて三万円弱(致し方ない)。

半日別の車に乗っていたせいで、改めてMINIを味わえる。
まずドアを閉める時の「チャッ」という音から上品だ。
室内は日本の軽の方が広いが、ハンドルの触感からはじまる車との一体感はMINI の方が上。
品のいい後ろ姿と小さい車体から出る重い排気音にはいつもほれぼれする。

もちろん欠点も多くある。
燃費が悪く、ハンドルは重く、小回りはきかず、そして故障が多い(しかも山の中で)。

茶臼山でへばったMINIとのつきあいを今後も続けるか、思案のしどころ。


愛車が湯気噴いた

2015年10月04日 | 失敗・災難

愛知の最高峰・茶臼山高原に泊まりに愛車Rover MINIで愛知の最高地点まで駆け登った。

南アルプスの展望台に着いて、車のエンジンを切ったら、途端にボンネットから湯気とともにジュージューと水しぶきの音がし始めた。

ボンネットの中が熱湯まみれになっているわけだから、しばらくはなすすべもなく、ただ湯気が収まるのを待った。
周囲の人も音に気づいてこちらを見ている。 

湯気がとまったので、ボンネットを開けてみると、ヒーターホースに穴が開いていて、そこから熱湯が勢いよく噴出している。

とりあえず穴に布切れを押し付けて、噴出をふせぐ。
ほどなくして、噴出が停まった。

実は、今年の7月、車で帰宅したら、ボンネット内から白煙が上がったことがあった。
ラジエター内がほとんど空になっていた。
それ以降、ラジエター内の水量をこまめにチェックしていたが、水量が大きく減ることはなかった。
もっともちょい乗りばかりだったからかもしれない。
といってもホースにガタがきていたのは確かだろう。 

今回、80kmもの遠出で、しかも標高差1000m以上も登ったのが運の尽きだったか。
なんとか今夜の宿までには達しようと、様子をきいてきた隣の車の人に、ガムテープを借りて、ホースの穴を塞いだ。
そして、だましだまし宿の駐車場までこぎつけた。

そういえば、昨年の10月も、このminiで奥三河の旅で出て、途中でマフラーを縁石にぶつけて、車体から外れてしまった。
その時は、幸いトランクに入れていたロープでマフラーを車体にくくりつけて旅は続行できた。
今回はそういうわけにはいくまい。

山を下った所に整備工場があるのを宿で確認したので、明日(月曜)そこに修理にもっていきたいが、はたしてそこまで運転できるか。
とりあえず、ディーラーに電話で相談。
ラジエターの蓋を開けたままにして、ホースに圧がかからないように運転する手もあるが、山道なのでお勧めしないとのこと。
そこで、任意保険の会社に電話して、ロードサービスのレッカー車を手配した。

実はこの旅はもう1泊分予定している。
この旅を続けられるか心配だ。


新幹線放火事件に遭遇

2015年06月30日 | 失敗・災難

今日の昼、新幹線で名古屋に帰ろうとしたら、とんでもない事に遭遇した。

正直言って、死ぬ思いをした。 

会議専用日の火曜の今日だが、月末週なので会議がない。 
なのでゆっくり名古屋に帰れる。 

10:50の広島行きに間に合うが、次の11:00発のぞみ225号新大阪行きにしたほうが空いていると思い、あえて1本遅らせた。
乗るのはいつもどおりの1号車(自由席)。
これが運命の選択になるとは…

東京駅では空席が目立ったが、品川駅でかなり乗客が増えた。
でも二人掛けの自分の隣席は空いているので、その席側にキャリーバッグを置き、買ってきたサンドイッチを頬張った。
新横浜でまた人が乗ってきた。
席は8割方埋った。
新横浜を出てから、身なりが他とは違う小柄な初老の男(後に71歳と判明)が通路を往復した。
身なりが他と違うというのは、新幹線の乗客は会社員か観光客なので、それなりによそ行きの格好と大きめの荷物をもっている。
ところがその人は、室内着のようなラフな格好で、新幹線で遠方に行くとは思えない姿だった。
もっとも私はiPadの地図を見入っていて、彼を注視したわけではない。
ただ、 席を探すでもなく通路を往復しているのが少し気になった。 

新幹線は時速250kmを超えて相模平野を疾走している。

そしてある時、1号車の私より前方の席に座っている人たちが、一斉に通路に出て、我先に後方へ走り出した。
「油をまいた」とか「ガソリンまきやがった」とか叫びながら。

iPadを見ていた私も立ち上がり、前方を見ると、さっきの初老の男が1号車の前側のデッキドアに背を向けてこちらをむいて立っていて、白いポリタンクから液体を肩にふりかけている。
咄嗟に「新宿バス放火事件」を思い出し、 身の毛がよだつ思いをしながら、素早く1号車の後ろのデッキドアに逃げた。
我に返ると、大事なキャリーバッグを持っていなかった(カメラや名古屋に持ち帰るべきものがたくさん入っている)。

この男がガソリンをまき終わって、自分に火をつけようとしているのがわかった。
今が、その一瞬の間(ま)だ。
私は躊躇せず、キャリーバッグを取りに席に戻った。
キャリーバッグに手をかけた瞬間、前方のデッキドア付近から大きな火の手が上がり、男の姿はオレンジの炎の中に消えた。
目の前全部が炎になった。

こういう時、火と自分の荷物と避難先しか 目に入らない。
あと何人1号車に残っていたのか記憶がない。
私の後ろの席が派手に弁当がちらばっている風景だけが印象に残った。

キャリーバッグを持った私は他の乗客と一緒に2号車に逃げ込んだ。
今、この緊急事態を知っているのは1号車の乗客しかいない。
新幹線は通常走行している。 

1号車と2号車の座席間にはトイレや洗面所があり、1号車の惨状は2号車の客にはわからない。
1号車から殺到した乗客たちに唖然としている2号車の乗客に対して、
事態を説明する余裕がない私は、ただ「逃げて、逃げて」としか言えなかった。

2号車の乗客も逃げ始める。もちろん避難路は中央の通路しかない。
途端に通路は人でいっぱいとなり、避難の速度が停滞する。
そこに背後から熱風と猛烈な黒煙が追いかけてきた。
あっという間に2号車は黒いススを含んだ煙で充満した。
熱く、息苦しい。
新幹線だから窓が開かない。

後ろで、幼児をかかえた若い父親が「子どもだけでも通してください!」と叫ぶ。
でも私を含めて、この黒煙と熱風から逃げるのに必死で、しかも思うように身動きがとれない(ただし、列を乱す人はおらず、いわゆる”パニック”には至っていない)。
この2号車を抜ける間が一番苦しく、つらかった。 

2号車を抜けると喫煙ルームがあった。
その扉を開けると空気清浄機が作動している。
後ろから来た幼児連れ
を入れた。
3号車に入ると、乗客はもうすでに後ろの車輌に避難したらしく、ほとんど空席だった。
そして煙も熱もほとんど来ていないので、
横の座席に入り、周囲の大人たちにも脇へ入るよう促し、子供連れの避難を優先させた。

ここにきて初めて他者を優先する余裕ができたわけだ。
気づいたら列車は停まったようだ(後で確認したら、この間は2分らしい。小田原の平地に出る弁天山トンネルの手前。トンネル内を避けて停車したという)。 

私は5号車まで達し、ホントは指定席だが、空席に腰を降ろした。
何が起こったんだろうという感じの人と、命からがら逃げてきた人が同席する。

この後、やっと本格的な救助が始まる。
消防と警察が来た。
報道ヘリが飛び交う音が聞こえる。 

ここでやっと東京の実家に携帯をかける。
もうこの件はテレビで臨時中継されているらしい。
ただ、情報不足なようで、車内から出火して、臨時停車しているという程度の認識らしい。 

車内は停電しているので、暑苦しく、息苦しいため、開いたドアに行き新鮮な空気を吸う。
少々煙を吸ったのでちょっと咳込む。
消防士が具合の悪い人がいないか探し回る。
精神的ショックで気分が悪くなった女性が出る。
2号車の方から ぐったりした女性がかかえられて来る(自殺者の他に、女性客が1号車で死亡したのは後で知った)。

ここかしこに、顔やシャツがススで黒ずんで、トリアージタッグをつけた人がいる。

近くにいた消防士の1人に、1号車に荷物を取りに行きたい旨を話すと、先導してくれた。
消防士に先導されて1号車に入ると、室内が異様に熱く、窓も座席もススで真っ黒になっている。
さっきまで自分が居た車内とは思えない。 
人間が生存できる場所ではなくなっていた。 

自席付近で持ち忘れた充電器を拾う。これもススで真っ黒になっている(後で確認したら、使えなくなっていた。私にとってこれが実質的な被害)

自席の後ろの席にはスーツの上着がかかっていたが、一部が黒焦げになっていた(マスコミに画像が出ている)。
あの瞬間、キャリーバッグを取りに戻って正解だった。 

14:20、列車がゆっくり動き出す。
小田原について、全員降ろされる。
ホームに降りると、待機していたマスコミのシャッター音を浴びる。
そしてホームで警察の事情徴収に応じる(1号車にいたので)。

自分の心拍数を測ってみたら100になっていた。
自分の普段の安静時は50だから(ちょっと徐脈気味)、2倍になっている(2時間以上たっているのに)。 

もちろん、この間新幹線は不通だった。
われわれが乗った事故車がゆっくり発って、やっと不通が解除される。

でも小田原だから、「こだま」しか停まらないのか。
名古屋まで行くのはたいへんだ。 

幸い、復旧最初の2本の「のぞみ」は小田原に臨時停車してくれた。
名古屋に停車する2本目の「のぞみ」に乗るが、さすがに今回は”1号車”に乗る気になれないので、
2号車の後ろのドアから乗ったが、超混雑していて足の位置もずらせない。
その態勢でずっと立ちっ放し。
不通は解除されたが、事故車が前を走っているので、三島までは超ゆっくり。 

なんとか18:25に名古屋に着いた。
ここにもマスコミが大勢いた。
東京駅から7時間半かかった。
心身ともに疲れた。

自分がいた同じ車輌で2名が死亡したのだ…。
今、こうしているのも、命がけで脱出できたからだ。
たいへんな一日だったと、一人、名古屋宅で振り返る。

誰かに話さずにはいられない気分なので、さっそくこうして記事にする。 


わが携帯電話よ

2015年05月20日 | 失敗・災難

自分の携帯(電話)がいつも入れているバッグにないことに気づいたのは、長野駅前から善光寺大門行きのバスに飛び乗った直後だった。

サイフと携帯は入れる場所を決めている。
そこにないということは…嫌な予感が走った。

まずは家に置いてきた可能性から考えてみた。
実際そういうことがしばしばあったからだ。

だが、一番直前に携帯を使ったのが、今朝の北陸新幹線のホームで自販機のお茶を携帯のSuicaで購入した時だと思い出し、携帯を持参したことは確実になる。
それ以降、携帯を使った記憶はないので、普通ならこのバッグにしまったはずだ。
上着やズボンのポケットも探ったが、手に触れるものは何もなかった。

残すは、コインロッカーに入れてきたキャリーバッグだ。
いちるの望みを残して、予定通り善光寺を参詣した。
ただ、気はそぞろで、前立本尊を拝観した後は、どこにも立寄らずに、またバスで長野駅に戻った。

コインロッカーに直進し、キャリーバッグを取り出し、チャックを開けて中を開くが、携帯は見当たらない。

携帯電話を紛失したことがこれで明らかとなった。

バスに乗る前は、新幹線だ。

駅ビルに入り、遺失物コーナーを探すと、駅の反対側口の一階にあった。
そこのドアを開け、係の人に乗ってきた便と車両・座席を言って、なくした携帯の特徴、すなわち黒い二つ折りで、裏のバッテリ部分の蓋が取れている旨を説明した。

すると係の人はその特徴に反応し、奥に入って、黒い二つ折りの携帯を持ってきたではないか。
しかも、裏のバッテリの蓋が取れて、白いバッテリがむき出しになっている。

だが私の携帯はバッテリの部分に黒いビニールテープを巻いて保護してあるのだ。
それに、私の携帯よりボディが大きい。
少しの違いだから、これでもいいか…というわけにはいかないのが、つらい。

これではありませんといって、引き下がる。
もう名古屋行きの特急の発車時刻だ。
ホームに行ったら、座席は満席で座る余地がない。
あきらめて、1時間後の便にする。

そして、ビールとつまみを買って、次の便に乗る。
列車は長野駅を後にする。
もう諦めるしかない。
私は携帯を見つけられなかった。 

缶ビールを開け、車窓に目をやるが、旅情を味わう気になれない。
東京から真直ぐ名古屋に帰れば、こんなことにはならなかったはずだ。
長野の善光寺に寄り道したことは高くついてしまった。
私にとって善光寺とはなんだったのか。 

列車が川中島に達した頃、後悔に耽ってはいられないことに気づいた。
Wifiに電源を入れ、iPadからネット経由でドコモのサイトに繋ぎ、自分の携帯にロックをかけた。
これで被害が拡大することはない。

考えてみれば、私にとっての携帯はほとんどがFeliCa(おサイフ機能)に使うだけで、あとはごくたまに特定の相手に連絡するだけ。
なので、無くなって生活に困るわけではない。
そう、実害は意外に少ないのだ。

だが、喪失感はどうしてもぬぐえない。
私はスマホは使わず、このガラケーとタブレットという最強の組合せですごしてきた。
いわば、私の情報生活を陰ながら支えてきたのがこの携帯だった。
あまり使わないため、なおのことバッテリがよくもち、いつも私と行動を共にしていた。タブレットよりもずっと前から。
私と一番長くそして近く、”伴に在った”ものかもしれない。

それが今は無い…

名古屋宅に着き、ドコモに電話して、紛失を伝えた。
すると、 「DoCoMo補償」に加入していて、同じ機種をゲットできるという。
これは助かった。
ただ、この機種はとっくに製造中止になっているので、同じ機種は不可能だろう。
補償を受けるためには警察に紛失届を出してくれというので、 翌日、仕事帰りに名東警察署に立寄った。

心はすでに 新機種に傾いているので、すぐに紛失届の写しをもらいたかった。
ところが、警察署の若い担当者は、私が無くした携帯の特徴を丁寧に尋ね、それを熱心にメモしていく(上述した特徴の他に、ストラップについても聞かれたので、その特徴も話した)。
そして席に戻って電話をしている。
長野県警あたりに確認をとっているのだろう。
職務熱心なのはありがたいが、無駄な作業だし、私としては届けの写しがほしいだけなのに。
ずいぶん時間がかかっているので、近くの振込め詐欺防止のチラシなどをくまなく読んで時間を潰す。

やっと 戻ってきた彼の第一声に、わが耳を疑った。

私が話した特徴すべてが該当する携帯が、長野県中央警察署に届けられているという。

あったのだ。私の携帯が。

コインロッカー付近に落ちていたらしい。
届けてくれた人は、名をつげなかったという。 
さすが善光寺の門前町。 

警察官に見えない優しそうな担当者は、今後の受取手続(私が先方に連絡して、着払いで自宅に送ってもらう)を丁寧に説明してくれた。

とにかく嬉しくなり、喜びと感謝の気持ちを目の前の担当者に吐き出す。
担当者も笑顔で応えてくれた。

思ってもみなかった結果になって、足取りも軽く警察署を後にした。
よし、今晩は祝杯だ!

客観的には、マイナスが帳消しになっただけで、決してプラスが増えたわけではにないのに、感情はぐっとプラス側に伸びている。
人間て面白いものだ。  


失せ物顛末

2015年01月26日 | 失敗・災難

実は、昨年の暮、高校時代の仲間との飲み会に参加し、注がれるままに酒を飲んだせいで、不覚にも泥酔していしまい、タクシーに放り込まれて、なんとか家までたどり着いた。

翌朝、正気になってみると、まず着ていった上着(LLビーンのフィールド・コート)がない。
そして眼鏡もない。

両方ともお気に入りだったのに。
フィールド・コートは定番なのでいつでも買えるが、眼鏡の方は木製のテンプルで今は販売されていないと思う。
眼鏡はタクシーの中、上着は店に置き忘れたと思ったので、まず店に電話して確認したが、上着の忘れ物はないという。

タクシーはどこの会社かわからない。
とりあえず、警察署に紛失届けを出しに行った。

昼になって、昨日飲んだ一人から電話がかかってきた。
上着を預かっているという。
なんでも、彼が上着を店に取りにいっている間に、私が乗ったタクシーは走りだしてしまったという。
年明けに受取ることにして、これで上着は解決。

残るは眼鏡。
眼鏡なしでは生活に困るが、幸い、予備の眼鏡を名古屋から持参してきたので、さしあたってはなんとかなる。

ただ予備だけでは心もとないので、年明け早々に眼鏡店に行っておなじ度数の 眼鏡を新調した。
ただしテンプルは半分だけが木製のものしかなかった。

新調した眼鏡が手元に届くまで2週間待ち、その間に予備の眼鏡の方が壊れかけてきたが、なんとか間に合った。

その後、なくしてから約一ヶ月たって、眼鏡を見つけた。
東京宅の自分の部屋の中で…

ドアからベッドに至る直線上の床の上に。
酔ってベッドに直行する際に、服を脱ぎながら歩いたために、顔から落ちたのだろう。
もちろん意識もうろうだったので、またく記憶がない。

そこは使わない荷物の置きっ放しエリアだったため、いつもは動線外で足を踏み入れず、また眼鏡が荷物に隠れた状態になっていた。

まさかそこにあるとは夢にも思わなかった。

でもお気に入りの眼鏡だけに、見つかってよかった。

ただしこれは予備用とし、新調した眼鏡の方をメインに使うことにする。

 


表現者としてのつまづき

2015年01月21日 | 失敗・災難

ブロガーというささやかな(ほとんど自己満足的な)”表現者”を自認している私は、そこは表現者の1人として、モラルを尊重し、堅持しているつもりだ。

たとえば公序良俗に反したり、他者を侮辱するような表現は謹む。

だから、犯罪的動画をアップすることも、異教の預言者を蔑むことも決してしない。

だがその一方で、読者のアクセスを期待し、耳目を集めそうな話題を提供したい気持ちは抑えることは難しい。

その欲がつまづきの原因となってしまった。

表現したいという気持ちが、それが禁忌であることを失念させてしまった。

その記事は急いで削除した。

抽象的な表現で申し訳ないが、何についての事なのかも明記できない。

この失敗を心に刻み、二度と繰りかえさないために、こうして記事にする。


110番に通報

2014年12月04日 | 失敗・災難

生れて初めて、110番(警察通報用電話)に電話した。

受話器が取られると、「緊急通報用電話です。事故ですか事件ですか」と問われる。

事故とも事件とも判断できない状況だったので、それには答えず、通報した目的を話す。

我が名古屋の棲み家(鉄筋アパート)の同フロアのある部屋が、今朝からドアが開いたままで、夜9時を過ぎても開いたままになっている。

丸見えの玄関内には若い女性用の靴が並んでいる。
間取りからいって、若い女性の一人暮らしであることが容易にうかがえる。
だが、奥は真っ暗で、人がいる気配、少なくとも生きた人がいる気配はない。

今朝までこんなことはなかった。

若い女性が住む部屋のドアが朝から開けっ放しで、夜になってもそのままというのはあまりに不自然だ。

まずは不用心だが、それ以上に犯罪の可能性もある。

自分の棲み家の同フロアが「事故物件」になるのは嫌だなぁ。

ドアが開けっ放しなので、物理的には容易に室内に入れるが、自分が「第一発見者」になる度胸はない。

同じフロアの住人として、開けっ放しのドアを放置できず、かといって管理会社には連絡がつかない時間帯なので、110番するしかないと思ったのだ。

私の通報によって、警察が来てくれることになった。

ほどなく、インターホンがなり、ドアを開けると、略帽をかぶった警官が2名立っている。
下の道路には赤色灯をつけたパトカーが2台止っている(サイレンなしで来たわけだ)。

警官の1人が、通報者である私の個人情報を尋ね、ノートへの記載を求める。

やましい事はないので、すらすら書くが、横で見ている警官の視線が鋭く私を観察している。

婦人警官を含めた数人の警官が開いたままの部屋に入っていく。

私は、室内を見たくないので、関心を示さず、自分の部屋に戻る。

再びインターホンが鳴り、ドアを開けると、

さきほどの警官が立っていて、

室内は無人で、生活している痕跡があるという。

「どうやら鍵を締め忘れて出かけたようです」とのこと。

拉致や失踪でもないらしい。

私は安心して「一番心配したことでなくてよかったです」と返した。

結果的に無駄足を運ばせたことになるが、私が他室のドアを閉めることはできない。

実は、私も部屋の鍵を締め忘れて出かけたことはあるが、さすがにドアを開けっ放しで出かけた事はない。住人の女性は私以上の粗忽者なのか。

警官たちはドアを閉めて帰っていった。

閉じられたドアには、小さなクリスマスのリースが何事もなかったように飾ってあった。


ミニを修理

2014年10月28日 | 失敗・災難

我が愛車ローバー・ミニクーパーで奥三河高原を駆っている時、

とある寄り道先でバックして縁石にマフラーをぶつけた。

金属が潰れる音がしたので、後ろを見ると、マフラーに続く(触媒とかがある)配管部の固定がはずれて、垂れ下がって、地面にすりそう。

この経験は、前のミニでもあったので、その時と同じく、車に積んであるナイロンロープで固定して、そのまま走った。

湯谷温泉の近くの自動車整備工場に、応急処置を頼みに行ったら、

車高が低すぎて、法的に触れないといわれ、修理を断られた。

ミニの車高って元来こんなもんで、それが今さらに下がって道路にスリそうなのでお願いしたいんだが、適わなかった。

まぁ、ロープで固定しているかぎり、配管は地面をすらないので、そのまま予定通り旅を続け、旅から戻ってやっとディーラーにもっていった。

マフラーの管自体が曲がってしまったので、マフラーの交換が必要だと。

ホントは、来年早々の車検には通さず、もうこのミニを手放して、もっと現代的な車に買い替えるつもりだった。

ところが、こうして修理をして、お金をつかってしまうと、

お金をかけた分、心理的な価値が増してしまう。

お金がかかった物ほど捨てられないという行動経済学の論理そのものだ。

これで、車検を通した日にゃ、また2年、車を買い替える時機を逸してしまう。

 


失敗の専門家

2014年03月01日 | 失敗・災難

私のポカは昨日の記事で終わらなかった。

今日は、一年で最も重要な教授会である「卒業判定教授会」。

そのために数日前から名古屋に帰っていた。

そして今日、早めに大学に行き、教授会が始まるまで研究室で待機した。

そろそろ始まる頃と思い、会議室に行ったら鍵がかかって入れない。

照明は切れて、中には誰もいない。

事務室に行ったら、会議開始は3時間前で、もちろんとっくに終わったという。

事務室の職員は皆、私の顔を見て笑っている。

その瞬間、私は強烈なデジャブー(既視感)に襲われた。

いやデジャブーではない。

昨年も私は今日とまったく同じ行動をして判定教授会に出られなかったのだ。

2年続けて、同じ失敗をやらかした。

その理由はすぐにわかった。

自分のスケジュール管理はパソコン・タブレットのカレンダーソフトでやっている。

年一度の定例行事は、一度入力したものを「毎年」で繰りかえしにしている。

昨年の「判定教授会」の開始時間の入力を3時間間違えた。

そしてそれをそのままにしたので、今年も同じことをしてしまったのだ。

かように、私は次から次へと失敗する。

なにしろ我がブログのカテゴリーに「失敗・トラブル」を設けたくらいだ。

ただし、失敗をしても、ただでは起きないのが私。

自分が犯す失敗を分析し、再び繰りかえさないよう対処行動を考える。

まず、昨日の記事で示した、事業収入は今後は計算ミスをしないように、エクセルの集計欄の隣に入力額の半額を自動出力する欄をつけた。

菓子を入れる袋は、食べ終わった空き袋を入れるのは透明の袋にし、買ったものは白い袋と色別にして、食べ終わってない菓子を間違って捨てることがないようにした。

そして今日の判定教授会については、忘れないうちにカレンダーソフトの来年の開始時間を訂正した。

ミスをしたあと、どうすればそれを防ぐか考え、即座に実行する。

その対処行動を繰りかえして、ノウハウを蓄積していく。

きっと私は、失敗をいかに防ぐかという”失敗学”の専門家になれる。

一人の失敗だけで、専門家になれるのかって?

私はそもそも、”失敗”の専門家なのだよ。