旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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出てこいっ!キジムナー 

2013-08-01 03:27:00 | ノンジャンル
 きじむなあの話が 信じられるようになると
 世の中は平和だ
 アカジラー〈赤っ面〉で アカガンター〈赤毛〉で
 大抵妖精 きじむなあたちよ
 わがシマの上を 翔べ

 真夏になると、決まって本棚から出してページをめくる1冊「きじむなあ物語」の序詩である。作者は船越義彰〔1926~2007〕。第5回山之口獏賞受賞作品。

 キジムナーは、沖縄諸島に伝承される想像上の生きもの・妖精。
 「きじむなあ物語」では、自己紹介をこうしている。

 その丈三尺を超えることなし その体重 ときには盤石のごとく また 空気のごとく 推定するにすべなし 
 髪 あくまでも赤く 西の海の茜のごとし
 顔 あくまで愛らし 歳月はあれど その一生 優に人間歴の世紀を重ねて なお余りあり
 巨木岩木に棲み 黄昏時より夜明けまでの天地を
 わがものとして翔びまわるわれを 人間は木の精というなり
 さなり われは木の精 風と土とまぼろしの
 不思議なる融合をとげたるもの きじむなあなり
 古き遠き日 人間の自然へのおそれと 素朴なる祈りと生活の中のなかのユーモアが純粋なりし頃の 残像のひとひら きじむなあなり
 いまなお このシマのなかに生きつづけていると
 自らは確信しおる たしかなるまぼろしなり

 キジムナーを見た人は多い。もっとも、戦前生まれの人たちに多く、いまどきの人は、その存在さえ信じない。(たしかなるまぼろし。妖精)なのだから、信じてやればいいものの、現代人はロマンをどこかに置き忘れてしまったらしい。私はと言えば、存在を否定しながらも、幼い日に聞いたキジムナーばなしの不思議な魅力をいまもって払拭できず、孫たちには(いる)と、語り聞かせている。
 各地に伝わるキジムナーの容姿や行動は、微妙に異なっているが、共通しているのは、魚獲りが達者。ただし、魚の目玉だけを食し身肉は好まない。したがって、キジムナーと親しくなると(海の幸)には事欠かない。ただし、ティーヤーチ(手八つ・蛸)は苦手。からみつかれるのが気色悪いらしい。放屁を嫌う、キジムナーと魚獲りに行った者が、うっかり放屁してしまい、突き飛ばされて溺れたという話も聞いた。いまひとつキジムナーは、アカチチ ミーコーカー(暁の目ざめを告げる鶏)の羽音と声を恨む。夜をわがものとしているキジムナーには、夜明けが辛いからだろう。
 キジムナーは時折、寝ている人を金縛りにすることがある。それも人間と親しくしたい彼の愛情なのだが、人間はそれが理解できず、キジムナーを恐れるきらいがある。(たしかなるまぼろし)を、恐れるにはたりないと思われるが、それは私がキジムナーの金縛りにあったことがないからかも知れない。
 
 目がくりくりして、いかにもウーマク(やんちゃ坊主)をキジムナーに譬えることもあったが・・・・。

 T女史は昭和22年、占領軍の白人兵士と沖縄女性の間に生まれた。当時は、合いの子、アメリカーグァーと白眼視された。幼少のころは、自分の出生の経緯を知らず、普通に育ってきたが、学業に就くにしたがって、自分の容姿が学友とは異なることに気づきはじめる。学友たちも彼女を「キジムナー」「キジムナーグァ」とあだ名し、からかうようになってくる。
 「どうしてワタシの目は青いの?髪は赤いの?他の人より色が白いの?」
幾度問うても、母親の悲しい目は何も語ってはくれなかった。
 T女史が自分の運命を確信したのは、中学生になってからだった。中学には「クロンボー」と呼ばれる少年もいたし、同じく「キジムナー」とからかわれる少女もいた。宿命を同じくするものは自分ひとりではない。戦争は、何かをワタシに背負わせたのだ。そう思うようになって多少、気が楽になった。しかし、苦渋の日々をすべて振り切ったわけではなかった。
 T女史は今、東京で生活している。
 「日本はいい国よ。ハーフ大モテ時代。もっとキジムナーよ、出て来いっ!出て来いっ!。いやいや、これは冗談よっ。冗談!」。
T女史の強さに敬意を覚える。

 長い夏の夜ばなしに、キジムナーを登場させたいのだが・・・・。彼らの姿も声も、オスプレイの騒音にかき消されて、もう見えない。聞こえない。


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