旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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琉歌百景・歌さんしん編

2009-02-05 12:14:49 | ノンジャンル
★連載NO.378

 先週から始めた「琉歌百景」。今週は三線に心情を託した琉歌に登場願った。

 〔琉歌百景〕④
 ✾寂しさにまかち知らん歌すりば 余所ぬ物笑ぇん伽になゆさ
 <さびしさに まかち しらんうた すりば ゆすぬ むぬわれぇん とぅじに なゆさ> *詠み人・脱身和尚
 歌意=ひとり居の寂しさを紛らわせるために、ほとんど口から出るままの
    即興歌を唄っている自分。それを垣間聞いた近所の人たちは「ホラ!和尚はまた、訳の分からない歌を唄っているヨ」と失笑している。そのしのび笑いの声も、いまの自分にはいい慰めになる。
 脱身和尚<1632~1697>は、臨済宗の僧。首里の名家小波津家の出。早くから出家。25才から15年間、本土を行脚して修行。帰省後、首里円覚寺の住持になった。
 朝夕、神仏と向かい合っている和尚でも、経文だけでは心の安まりは得られなかったのか“歌”のそれを求めたように察しられる。やはり、沖縄人の心の癒しは歌ということなのだろうか。

 〔琉歌百景〕⑤
 ✾三線ぬ音声聞ち欲さどぅしちゃる 何故でぃ肝までぃん取やい弾ちゅが
 <さんしんぬ うとぅぐぃ ちちぶさどぅ しちゃる ぬゆでぃ ちむまでぃん とぅやい ふぃちゅが> *詠み人しらず
 歌意=【私は貴女の】三線の音・歌を聞きに来ただけなのに、どうして貴女は私の心まで虜にしてしまうのですか。
 三線を弾くと心を引くを掛けている。古典音楽家の故宮城嗣周師にこんな
話を聞いた。「花の島仲島遊郭に三線はもちろん、歌のうまい遊女がいる。今宵は一緒に行って耳薬<みみ ぐすい=目の保養ならぬ耳の保養>をしてこようではないか」
 そう友人に誘われて仲島入りした首里の身分ある御仁。所詮、ジュリ<遊女>の芸、どれほどのことがあろうかと、高を括って登楼したが、いざ彼女の歌三線を聞いてみると、なんと聞きしに勝る義倆である。ひと節聞いただけで心を奪われ、この1首を詠んで称賛したという。
 王府時代の話とは言え、よくできている。だが、ちょっと羨望もあって推察すると、この詠み人はずいぶん遊び慣れていて、称賛と同時に口説き落とすための1首ではなかったろうか。考え過ぎかも知れないが・・・・ともかく、歌三線は言うに及ばず、その気にさせる美形のジュリだったに違いない。

 〔琉歌百景〕⑥
 ✾三線小取てぃくぁ でぃひゃでぃ弾ち遊ば 無らんだれしむさ 手打てぃ遊ば
 <さんしんぐぁ とぅてぃくぁ でぃひゃでぃ ふぃちあしば ねらんだれ しむさ てぃうてぇ あしば>
 歌意=【仲間が集まった】三線を取り出せ。持って来いよ。さあさあ、弾いて歌遊びをしよう。なに?三線がない!それならそれでよい。手拍子をとれ!歌を乗せて遊ぼう。
 この1首は、島うたの名手・風狂の歌者故嘉手苅林昌の詠歌と思われる。
〔思われる〕としたのは嘉手苅林昌。即興歌の名人だったが、決して自分が詠んだなぞとは言わず「昔からあった」と片づけていた。現在歌われている島うたの中にも、彼が詠んだに違いないとされるそれは数々ある。その辺が嘉手苅林昌らしいところで、誰もあえて調べようともしない。
 三線があれば、それに越したことはない。なければないで「手打てぇ遊ば」で島人は暮らしの中に、常に歌を置いている。野良仕事の合間に歌われた伊江島民謡「木―ぷうじょう」も三線なし。手拍子と木製の野外用煙草盆を叩いて歌われる。また、旧暦3月3日に行われる女だけの行事「三月=さんぐぁちー。浜下り遊び=はまうり」の歌も、小鼓や手拍子に乗せて唄い、即興で踊る。手拍子は最高のパーカションなのだ。さらに、メロディーをはっきりさせるには〔口三線=くちじゃんしん〕をすればよい。これならば、三線を弾けない人でも節さえ知っていれば容易に出来る。♪トゥントゥン テンと声で三線の音を奏でればいいのだから。ただこれは1人では都合が悪い。歌を加えることが出来ないという難点がある。〔三線小取てぃくぁ・・・・〕の場合は、数人がいて2人ほどは口三線と手拍子、残りは歌と手拍子と即興舞をする様を詠んでいる。家庭で幼児を踊らせたり、酒の座でもよくするし、私なぞは「口三線の名人」を自称している。



 〔琉歌百景〕⑦
 ✾里や幾花ん咲ちみしぇらやしが 我身やくり一花咲ちゅるびけい
 <さとぅや いくはなん さちみしぇら やしが わみや くりちゅはな
  さちゅるびけい>
歌三線上手の男に口説かれた女童の返事としての心情が読み込まれている。
 歌意=あなたはモテる男。これから幾つもの恋の花を咲かせることができるでしょう。でも、わたしはあなたと咲かせるこの花だけがすべてなのですよ。ただの遊びならイヤです。心から愛して、きれいな花をさかせて下さるなら、あなたの言葉に染まりましょう。
 この歌詞は40年ほど前、島うたの探し歩きをしていたころ、今帰仁村天底の老夫婦が「今帰仁なーくにー」に乗せて老女が唄っていた。茅葺きの家に住むおふたりの幸せそうな笑顔をいまでも忘れないでいる。

次号は2009年2月12日発刊です!

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