旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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夏は子育てのとき

2016-07-10 00:10:00 | ノンジャンル
 イクメンがすっかり定着した。
 息子、2人の娘が幼少のころ、ボクという父親は(イクメン)をしたことがあっただろうか。
 息子に二人の娘が手のかかるころは、たまに、ごくたまにオシメを替え、風呂に入れた記憶はあるが、その他は母親任せだった。それで世間には通用する時勢だったのだろう。いやいや、家庭における子育ては(母親の義務)と決めつけて、父親面を通していたのかも知れない。いまになって反省しきりだが、それでも息子、娘が人さま並みに成長してくれて、合計6人の親になって、ボクを(しあわせ爺)にしてくれた。感謝以外に言葉をもたない。

夏になると、男5人女4人を産み育てたおふくろが、自分の娘や嫁に言っていた古諺を思い出す。
 「赤ん子ぁ 6月にん 雪降ゐん=あかんグァぁ ルクグァチにん ユチふゐん」。直訳すれば「まだ、ちゃんと生育していない乳児にとっては、盛夏の6月でも、雪が降る日々だ」ということになる。つまり、自分では体温調節のできない乳児は極端に暑さに弱い。したがって、親が暑いからといって裸になり、あるいは薄着をさせたのでは健康を害する。このことを心得よとする教えである。子育ては季節を問わず、健康管理が第一であることは、世界共通の認識。それを雪は降らない沖縄で(雪)を引き合いにして(親の心得)としたところが平明で説得力をもっている。

 スペインには、次のような諺があるそうな。
 ◇誰と一緒に暮らすかであって、誰の所に生まれたかではない。
 人は誰の子として暮らすかによって、一生が左右されるのであって、誰の子に生まれるなぞ、問題ではないとしている。大切なのは氏素性ではなく、育つ環境。本性よりも教育を重視する考え方であろう。日本の「氏より育ち」に通じるか。もともと生まれというものは、あまり当てにならないもので、やはり「育て方・育ち方」に重さを置くべきなのかもしれない。
 非イクメンのボクは、いまひとつウクライナの諺を見つけて、またぞろ頭を抱える。
 ◇小さな子は頭痛をもたらし、大きい子は心痛をもたらす。
 子どもは小さいうちは何かと手がかかり、チブルヤミー(頭痛)の絶える間がないし、大きくなればなったで、他人さまに迷惑をかけないか。反社会的な道を歩みはしないか。チムヤミー(心痛・心労)を持病とすることになる。
 乳飲みん子(チーぬみんグァ・乳児)や幼児を育てるのも大ごとだが、親の苦労はむしろ、子どもが大きくなる過程のほうが大きいとも言える。日本的には「子は三界の首枷」か。
 ◇小さい子は母の前掛けを踏み、大きな子は心を踏みつける(ドイツ)。
 ◇小さな子は膝に重く、大きな子は心に重い(エストニア)。
 ◇小さな子は眠らせてくれず、大きくなると母親が眠られぬ(ロシア)。
 ◇小さな子は粥を食べ、大きな子は親の心を食う(チェコ)。
 ◇小さな子は小さな喜び、大きな子は大きな悩み(ロシア)。
 これらは北村孝一著「世界のことわざ辞典」に掲載されているが、一番手がかかったのはボク「非イクメン親父」であったことを思い知らされる諺群である。

 ダメ親父も子たちのおかげで、好々爺をさせていただいている。
 けれども、世の中の価値観には寂しさを覚えないこともない。
 先日、2歳半の末孫のために夏服を買った。煙草以外、買い物をしたことのないボクがである。デパートに立ち寄り孫注文のシューズを買うという老友について行ったおかげである。いい爺ぶりを誇りたかったのだ。意気揚々、持ち帰ったことだが、爺の期待は裏切られ、夏服は孫の身を包まなかった。孫の母は、口調は柔らかかったが、鋭く切り込んできた。
 「幾らしたの?へぇーっ!そんなに!気持ちはありがたいけど、ダサすぎる!ひと昔前のデザインよっこれ!私が買い換えてくるわ。引換券が付いていたでしょう。えっ!もらってないの!だめねぇー。これからは勝手に買い物なぞしないでね。品物よりキャッシュを頂戴。私が買ってくるから。これっ?どうするかって?せっかくだからもらっておくわ。ヤーカラー(普段着・遊び着)にはなるから」。
 反論の余地なし。爺になるのもただごとではない。
 「若い父親は頼りになるが、老いた父親はセンスがない」というところか・・・・。
 非イクメンの末路をみた。
 それでも爺は、そのまた爺婆たちが座右の銘にした言葉を記さなければ、存在がますます薄くなる。その言葉・慣用句はこうだ。

 ◇冬や銭儲きてぃ 夏や子儲きり=ふゆやジンもうきてぃ なちや クァもうきり
 他府県に比べて、そう寒くもない沖縄は働きやすい。冬は懸命に生業に打ち込み、蓄えを成し、他府県より暑い沖縄の夏場は、子育てに専念せよの意。言うまでもないが(子もうきり)は(子づくりに励め)にあらず。殊に乳児の健康に留意せよということだ。
 子が生まれたことを「子をもうけた」とは、いまでも使っていることば。

 いま午前0時を少し回った。孫たちは夢の中だろう。爺も同じ夢をみることにしよう。明日も暑くなりそうだ。


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